期待

「ねぇ、ジーニー。

さっきの僕、ちょっとかっこよくなかった?」


「先生、不謹慎ですよ。


……でも、素敵でした。

とくに、水子供養をご自分でと提案されたところは、

少し、震えました。


小林様の心も、確かに動いていましたね。

きちんと、花村先生にバトンが渡せたと思います」

隣の部屋へ、そっと視線を送る。


「頑張れ。君なら、やれる。」


「はい。

花村先生なら、きっと大丈夫です。」


診断室には窓がない。

外ではきっと、太陽が一番高いところから街を見下ろしている。


「あー……お腹空いたなぁ。

ジーニー、今日のお昼どうしよう。」


「花村先生の初仕事ですから、

少し豪華にしてみますか?」


「さすがジーニー、分かってるねぇ。

じゃあ、お勧め教えて。」


カチャン、とドアが開き、花村さんが戻ってきた。


「うわ、びっくりした。ごめん、うるさかった?」


「いえ、大丈夫です。

あの……」


花村さんは、目線をデスクの方に向けながら続けた。


「小林さんに、何を飲むか聞いてみたら

『何でも大丈夫です』って言われたんです。


せっかくだから、ハーブティーをお出ししたいなと思って……

今の小林さんの状態に、どんなハーブティーが合うのか、ジーニーに聞いてみてもいいですか?」


「なるほど。それはいいね。

ジーニー、相談に乗ってあげて。」


「はい。

今の小林さんの状態を考えると、

『カモミール』をベースに、

『レモンバーム』と『ローズ』をブレンドしたものがよろしいかと思います。

比率は『5:3:1』です。


根拠となる効能もありますが、

読み上げますか?」


「ううん、大丈夫。

今は花村さんを待たせてるから。


今度、ゆっくりハーブティー講座を開いてね。

ありがとう、ジーニー。」


「お役に立てて光栄です。

また何かありましたら、ご相談ください。」


扉が閉まる。


花村さんが通り過ぎた微かな風が、

明るい何かを連れて来てくれるようだった。




ジーニーに教えてもらったレシピで、ハーブティーを淹れる。

部屋中に、やさしい香りが満ちていった。


ハーブティーを小林さんの前に置くと、

張りつめていた表情が、ほんの少しだけ緩んだように見えた。


「……いい香り。」


小林さんはカップを両手で包み込み、

その温かさを確かめるように、そっと目を閉じる。


「どうぞ、いただいてください。

患者さんに淹れるのは初めてで、ちょっと緊張しちゃって……。」


小林さんは、カップを口元まで持ち上げ、動きを止める。

鼻から深く息を吸い、

そのまま、少しずつ口に含んだ。


「美味しい……」

深く息を吐くように、微かな声でそう呟いた。


私は小林さんの少し斜め前に椅子を置き直し、座った。

音もなく深呼吸をする。


「小林さん、今、とても辛いですよね。

おそらく妊娠に気づき、付き合っていた方との幸せを淡く期待した。

それなのに壊れてしまった。

あげく、子供まで…」


涙がまた小林さんの頬を伝う。


ハンカチで目元を押さえながら、

「はい……はい……」

と、小さく頷いている。


——よかった。

私の声は、ちゃんと届いている。


小林さんが話し出すのを、私は静かに待った。


「苦しかったです……。

どうしても、元彼に会いたくなってしまって。

仕事をしていても、全く手につかなくて。

頭の中は、常に『会いたい、会いたい』でいっぱいでした。」


カップに両手を戻し、彼女は言葉を続けた。


「彼とは、去年知り合いました。

お互い仕事で忙しかったのですが、それでも時間を見つけて会っていました。

妊娠したかもと思ったのは、付き合ってすぐのことです。

でも、楽しいことがこれからという時に、もし彼に受け入れてもらえなかったら……と考えてしまって。

そのまま、検査もせず、ズルズルと時間が経ってしまいました。

そのうち、生理がきました。

妊娠は気のせいだったのかと残念に思いました。

私は彼との将来を思い描いていたので……。」



「それから……」


ハーブティーを口に運ぶ。


「だんだん、彼が『忙しい』と言って会う時間が減っていきました。

私は、彼のマンションの前で帰りを待つようになったんです。

毎日、毎日……。」


小林さんは苦痛で顔を歪める。


(わかっていたんだ、きっと。

こんなことをしたら、彼がどんどん離れてしまうことを。

それでも、やめられなかった……

二人の子供がいたから……)


私は、彼女の想いを受け取った。


「こうなってしまったのは、決して莉菜さんのせいではありません。

そのことは、亡くなったお子さんもわかってくれていると思います。

今は、ご自分の亡くなってしまったお子さんのことだけを想ってあげましょう。

家に帰ったら、届けられなかったあなたの想いや愛情を、言葉にしてみませんか?

お子さんだから、机にお菓子を置くといいと思います。

御門先生は、水子はピュアだと言っていました。

だから、『産んであげられなくてごめんなさい』より、『私を選んできてくれてありがとう』と声をかけてあげるといいと思います。

悲しんでいるママだと、心配されちゃいますから」


小林さんは、さらに涙を流した。

その涙は、さっきまでの温度とは違う気がした。


「そのうち、ありがとうという言葉が自然とでたり、もう大丈夫という気持ちになったり、

供養してあげたいと思うかもしれません。

少しでも心に変化を感じたら、ぜひ、お寺に行ってあげてください。」


彼女は顔をあげ、

「はいっ」

と返事をした。


「莉菜さん、水子供養が終わったら、また来院していただけますか?

その、まだ原因は残っているので……」


「そうですね、まだ他に霊がいると御門先生がおっしゃっていましたね。


よろしくお願いします。」


しっかり届く声で言った。


二人でカウンセラー室を後にする。


隣の診断室に入ると、御門先生が優しく微笑んでいる。


「ほーっ」


私は身体中の息を吐いた。


それを合図に、


「小林さん、少しゆっくりになってしまうけれど、一つ一つ解決していきましょう。私たちはここにいます。

少しでも不安になったら、いつでも来てください。

あなたのネガティブな感情は、自身の感情ではありません。

そう心に刻んでおいてください」


と、御門先生は優しく付け加えた。


「はい、ありがとうございます」

と彼女は礼をする。


御門先生は、クルッと私の方に体を向け


「あっ、そうだ、花村先生のカウンセリング料金を考えていなかった!

花村先生、どうしようか……」



(どうしようと私に言われても……)


「そうだ。もし花村先生がよければなんだけど、今日は初めての患者さんということで、診断料の千円だけでいいかな。

そして3ヶ月間は見習い期間ということで半額をいただく。

『カットモデル』もとい『カウンセリングモデル』」


漫画だったら、御門先生の後ろに『えっへん!』と描かれそうな表情で、なんとも不謹慎な発言をしている。


「御門先生、全然うまいこと言えてませんよ。小林さんに失礼です。」


尊敬している御門先生のことを思いながらも、つい口に出してしまった。


「ふふっ」

小林さんが笑った。

私と御門先生も顔を見合わせ、

「ははっ」と笑う。


(できていたかもしれない。

少なくとも、彼女の心は、あの時の私のように少しずつ動き始めている――)

そう思えた。


深々と頭を下げて帰っていく小林さんの姿を見送る。


陽の光はまだ温かな温度を保っている。


お日様の匂いを嗅いだ。


冬の匂いに混じって美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。


『ぐーっ…』


お腹が鳴った。


「花村さーん。」

奥から御門先生の声がした。

診断室に戻ると、PCの画面には美味しそうな料理の画像が映っている。


「お昼ご飯なんだけど、ここのランチなんてどう?

今日は花村さんの初仕事だったんだから、ちょっと奮発して奢っちゃうよー。」



「うわーっ、美味しそう!

いいんですか? 嬉しい!」


豪華なだけじゃない。

きっと、いつもより美味しく感じられそうだ。


御門先生は、ジーニーに注文を頼んでいる。


「これでよしっ。楽しみだなぁ。」


「あの、御門先生とジーニーって、いつから一緒にいるんですか?」


ちょっと気になったことを聞いてみた。


「んー、いつからだっけ?」


「2年前からですよ、御門先生。

ディズニーの『アラジン』に憧れて、私に『ジーニー』という名前をつけてくれました。」


「素敵ですね。

なんでも叶えてくれる魔法使い。

でも、最高の友達ってことですね。」


私は、あの青いコミカルなキャラクターを思い出しながら言った。


「そうなんです。

1日中、話していることもあります。

御門先生には、人間のお友達がいらっしゃらないので。」


「ち、ちょっと! ジーニー!

何、余計なこと言ってるの!」


御門先生は、慌てて机に手をついた。


「先生、私、ジーニーに言われなくても、わかってましたよ。」


「えーーーっ!

花村さんまで、そんなこと言うのーーー!」


部屋中に、二人分の笑い声が響き渡る。


全身を、「楽しい」という感情が駆け巡った。




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Unleash Lab 〜原因不明の不調を診断します〜 @hachio_haru

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