繰り返される日常
偶然にも、次に意識を持った場所はあの精霊使い、イルヴァの住まう村のそばだったらしい。
少年がふらふらと彷徨っていると、見覚えのある
「はい……どなたあ?」
目を
「え、ええと……その」
なんと言えばよいのか。少年は言い淀み、
「あの……朔の夜の迷い人ってご存じですか?」
妙なことを聞いている自覚があるゆえに、なぜか丁寧な口調となってしまう。女は
「ああ、もしかしてあんたが「イェーフォンシウス」?」
「……は?」
想像もしていなかった返事に、少年はぽかんと口を開く。
「いやね。日記の最後に必ず、書いてあったんだ。あたしの筆跡でさ。
少年は我知らず、涙を流していた。恥ずかしさで目を擦り、それからへらりと笑う。
「弟子になった覚えはないけど……うん。おれ、あんたの弟子になりたい。また世話になってもいいですか、先生」
「ああ、大歓迎さ。よろしく、フォン」
どうせそう長く続かない。
そう思っていたのに。
記憶が消え、見知らぬ場所で目を覚ましても必ずイルヴァのもとを訪れ、毎日、毎月、毎年とイルヴァとはじめましての挨拶をし、そのつどに少年は精霊使いの弟子になった。そして――もう何年目だろうか。その散らかった部屋の奥から、女は手だけをひょこりと現して、
「おおい、フォン。それ、取ってくれ」
己を呼ぶイルヴァの声に、少年は振り返るも、眉をひそめる。「それ」がどれか分からないし、見つからない。
「イルヴァ、「それ」ってどれですか。というかいい加減、片付けてください」
「
イルヴァは不服そうに唇を尖らせた。その目元には
少年はやたら積み上げられた文献のなかを泳ぐようにして進み、「それ」が何かを教えてくれない女のもとへゆく。古代の伝承か何かが記されているらしい女は、石板の解読に夢中になっていて目を向けることさえない。
「それで。どれなんですか、あれ?それともこれ?」
「ああ、もう!「あれ」とか「それ」とかやめとくれ!」
自分で言っておいて、これである。少年はわざと近くにあったイルヴァのコレクションである文献のひとつを炉へ放り込もうとする。すると、ようやくイルヴァが勢いよく立ち上がって声を上げた。
「悪かったって!言う言う!頼むから文献を燃やそうとしないでおくれよ!」
人質ならぬ物質である。少年は月色の目を半眼にして、「ならさっさと答えてください」と言った。
ちなみに、もしここでイルヴァに剣を向けても、こうはならない。イルヴァにとってはコレクションの方が大事なのだ。心臓をぶちぬくぞ!よりも紙を燃やすぞ!の方が効果があるなんて、どうかしていると思うが、イルヴァ(というより精霊使い)とはそういう人間なのである。
イルヴァは少年から文献を奪い返して、何故か文献をよしよしと撫でながら言葉を返す。
「それだよ、それそれ。今、あんたの足元にあるやつ」
「はあ?」
と足を前に出しかけて少年は咄嗟に止めた。よく見れば、足元に砕く前の青い石――精霊石というらしい――があることに気が付いたのだ。あと一歩で踏み抜いていた。そう思うと、少年は生きた心地がしない。
「イルヴァ!大事な商売道具を床に放置しないでください!」
「後で回収しようと思ってたんだよ。でもさあ」
「でもさあ、じゃありません。こんなに散らかっていたら調合しづらいじゃないですか」
きっぱりと言い切って、少年は戸棚から青と赤の石を取り出す。これだけ散らかっていても、もう手馴れたものだ。ある程度のものの配置は少年も覚えてしまっている。隙間を縫って石を砕くのも、薬草を鍋で煮るのもお手の物だ。どんな文献があったのかもある程度記憶しているので、文献探しもそう困らない。そのことに満足したのかけっして片付けようともしない女はニヤリと笑って言う。
「いいんだよ。あたしには弟子がいる。こうして片付けろと文句を垂れ流しつつも、しっかり調合してくれる弟子がね。このまま後継者になってくれたら、なお良しだね」
突拍子の無さすぎる女の言葉に、少年は己の手を砕きかけた。
精霊使いとは、精霊石と呼ばれる石を使って病や怪我を治す薬を作る者を示している。
この色鮮やかな石がいったい何なのか、精霊使いですら知らない。けれども、それらの石は色ごとに異なる性質があり、砕いて別の色同士で混ぜ合わせると、様々な効果を生み出すということだけは誰でも知っていた。
精霊使いは師である精霊使いから受け継いだ配合と効能を次代へ伝える役割を担うほかに、絶え間ない探求心で新たな配合と効能を編み出してさらなる発展を促す役割も担う。イルヴァはとくに、この新たな調合を試みるのを好む精霊使いであった。それゆえにうっかり弟子を取り損ねている。だが――だからといって、それは不味い。
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