第10話 中山道⑤ 上松から馬籠

12月31日、上松宿〜須原宿〜野尻宿

 朝、庭に浴槽を出してもらい、キャンベルはお湯が凍る前にすばやく入浴を済まし、「体調は再び回復し、疲れずに歩けるようになり、寒さにも耐え、筆舌に尽くしがたいこの野生の生活をまた楽しむことができるようになった」。とても晴れやかで,明るく、澄み切った日で、澄んだ鐘の音がビッグ・ベンを思い出させてくれた。8時半に宿を発ち、渓谷の地質を観察し、家々の新年の飾りを眺め、ここでも西洋とよく似た風習があることに気づいた。11時45分、500フィート(150メートル)下り、9マイル(14.4キロメートル)歩いたところで、須原(Suarra)に到着した。ここで新しいポニーを手に入れ、再び壮大な渓谷沿いを下った。狩猟を生業とする人が多く、道沿いの店で熊の歯と鹿の皮を、肉屋で鹿肉を購入した。


「青い服の猟師は、鹿の背後でカウンターに座り、肉枝を切り分け、塊を量った。茶色い狐のような犬が座って眺め、雪の光が差し込んでまるで、レンブラントの(絵の)ようだった(図46)。火が燃え盛る中、三脚付きのシチュー鍋が炉床に置かれ、猟師が作ったシチューは、私の記憶に今も鮮明に残っている。シェレスで食べたもう一つの食事と共に。1874年の日本では鹿肉と日本酒で、1841年のスペインではイノシシとシェリー酒で健康を祝った。私たちは一緒に祝宴を開き、その間、食べ物は全て消え去った。」(66)

図46.獣肉を売る猟師、須原、12月31日M.p.137.図47. 髪結い、野尻、12月31日, M.p.138.


 肉料理で満腹になったキャンベルたちは、主人に別れを告げ、再び歩き始めた。午後3時半、朝から600フィート(約180メートル)下り、14マイル(約22.4キロメートル)歩き野尻(Nojiri)の宿町に達し、荷物を背負った馬が遅れていたので、そこで投宿することにした。


「待っている間、私は老婆が頭を剃り、まげを作っている姿をスケッチした(図47)。老婆は夕日を浴びながら、子供たちに囲まれて家の扉の前に座っていた。私は鉛筆のスケッチに色を塗り、5時半まで、いつものように焚き火のそばでストング(布団)の下に足を置いて原稿を書いた。その後、鹿肉と紅茶という高貴な人物にふさわしい夕食が用意され、盛大な行事のために葉巻が用意されていた。1874年最後の日は最高の記念日になった。大晦日のこの東の果てにある渓谷では、大鐘が鳴り、子供たちが歌い、すべてが活気に満ちていた。人は一人でいる時よりも孤独でない。私は皆に新年の幸福を祈り、もう一度熟睡の涅槃を貪った。」(67)


 キャンベルは、須坂で獣肉屋を、また野尻で髪結いをスケッチしたが、寒さに指がかじかんでいたためか、荒い描写になっている。鹿肉の夕食後、葉巻をゆっくりとくねらせ今年一年の出来事を振り返り、そして、外の大晦日の喧噪を感じながらキャンベルは深い眠りについた。


1875年1月1日、野尻宿〜三留野宿〜妻籠宿〜馬篭宿〜落合宿

 キャンベルは、子供たちの騒ぐ声で目が覚めてしまい、そそくさと朝食を済ませ、8時半、吹雪の中を出発した。10時頃、岩石がむき出しになっているところに到達し、その近くに京都55里、東京75里という道標を見つけた。江戸ではなく東京と刻印されていたのなら明治政府が設置したものなのであろう。多数の石仏の脇を通り過ぎると三留野(Midono)に着き、茶屋でいろりに座り雑煮(New Year cakes in hot broth)を食した。昼近くになると空は晴れ渡り、通りの門松や旗や花の正月飾りを見ながらしばらく歩くと、12時半に馬籠(Mamone)に到着した。妻籠は通過しただけで、立ち寄らなかったことになる。気圧を計測すると28.400水銀柱インチ(962ヘクトパスカル)になっており、400フィート(約120メートル)下ってきたと記録した。


「ここで大河は西に大きく蛇行し、街道は支流をさかのぼる。その支流では、木材伐採人の一団が、丸太を滑り台に落としたり、ダムをくぐったりして忙しく働いていた。彼らはとても絵になる野性的な日本人だった。ここにも、人が木を伐採して利用する北の山岳国に共通した工夫がある。日本人はとても学習能力が高いので、古今東西の技術者が他の技術に混じってこれを教えたのかもしれないが、もし外国人から学んだとしても、彼らはその学びを自分たちの土地に適応させている。」(68)


 峠からの木出しtimber slideの光景は圧巻で、キャンベルは「アルプスでも、ノルウェーでも、アメリカでも、その他でも、私は多くの木出しを見てきたが、これほど素晴らしいものはなく」、また正月も休まず働いている理由を、東京で焼失してしまったミカドの御殿再建のためであると木こりから聞いた。峠の茶屋でご飯とお茶を出してもらい、それから「夕日に向かって長く急な坂道が歩き、そして、絵のように美しい村に着いた」。旅の時間を節約するために、美しい村を通過し、泥と雪の混じった道を小一時間歩いき、落合(Utchiai)に到着した。町の西側に大きな川が流れ、それは妻籠から西側を迂回して木曽川であることに気づいた。また、木出しで大忙しかった妻籠と対照的に、ここ落合は「スコットランドのハイランド地方で新年に行われていたような」正月のお祝いで華やいでいた。キャンベルは宿に入り荷解きし、記録を整理していると、宿の家族全員が見に来たので、ポケットから時計やナイフやお金などを出して見せてあげた。


1月2日、落合宿〜中津川宿〜大井宿〜十三峠〜大湫宿

 今朝起きてみたら、キャンベルは、昨夜、本陣らしきたいそう立派な宿屋に泊まったことに気づき、「私の寝床の4枚ある襖には、等身大の素晴らしい鷹の絵が4枚飾られていた。私が見た中で最高のもの」だった。これは本陣に間違いなく、最近、数人のアメリカ人が宿泊していた。朝8事半に出発し、少し登った後、「平原の長くまっすぐな町まで下りると、すべて掃き清められ、旗が掲げられて、門松が植えられていた」。「この地域はもちろん、日本のどこでも、男も女も大人も子供もみな好きな場所を飾るために何かをし、神や仏や聖人にお供えをしており、私は幸運なことに外国のやり方がまだ入り込んでいないところでそれを見ることができた。外国の影響を受けているのはカレンダーだけだ」と結んでいる。

 笠置山(Kasengi)を右手に見ながら街道を進むと、地質が変わり、最初は火山灰だと思っていたが、花崗岩が分解したカオリンのようだった。おそらく中津川の宿町と思われ、その製陶工場近くの店で美しい陶磁器製の酒瓶を購入した。午後1時、朝から9マイル半(約15.2キロメートル)歩いたところで大井の宿町に到着し、昼食にすることにした。ここで大変珍しい四つ箱水車を発見し(図48)、その図は脱穀・製粉装置の発展の考察の中に再登場している。その後、十三峠を越えて、大湫まで15マイル(約24キロメートル)歩き、沿道の美しい風景を次のように述べている。


「この地方全体はV字型の渓谷で深く刻まれており,夕日がその斜面を照らし、その形を鮮明に浮かび上がらせていた。午後4時、私は草の上に座って日光浴をした。田んぼでは稲が髭を生やし、木々の間で鳥がさえずり、そばの小川では心地よい水音がした。日没後、カンガイアKangaiaを作り、そこで足を洗い、できたばかりの新しい旅籠屋に投宿した」。(69)

図48. 日本式水車Japanese Mill、1月2日、十三峠p.142

図49. 銀によるシダの葉の拓本、大湫.p.144.

図50. キャンベルを見ようと集まる老若男女たち、1月3日、大湫.p.146.

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