第9話 中山道④ 下諏訪から上松

12月28日、下諏訪宿〜塩尻峠〜塩尻宿〜洗馬宿

 この日の朝、カーリーはキャンベルらと別れ太平洋側へ南下する(甲州街道)というので、「握手をし、手紙を送る約束を交わし、またヨーロッパでの再会を強く願って別れた」。通訳のカガヤマと料理人のコイケもここまでの契約だったらしく、カーリーと同じ道をたどって東京に戻ることになった。町長らしき人物にも別れの挨拶をし、キャンベルは「サイアナラと言って、世界の反対方向へと別れた」。キャンベルとマサナオは9時半に下諏訪を発ち、800フィート(約240m)登って、4マイル4分の1(約6.8km)歩いて11時半に塩尻峠に着いた。そこから諏訪湖を望んだ印象を次のように語っている。


「この湖は、大きな三角州がダムを作るために本流に流れ込んだものだろう。古いクレーターか地震の跡かもしれない。峠の頂上からは、湖の南東が見渡せた。町の背後と第一山脈の背後には、ギザギザの荒々しい峰々が聳え立ち、丘の斜面には雲と、雪が積もっていた。右手には雲に覆われた深い紺色のくぼみがあり、その中に富士山が隠れていた。」(62)


 反対の塩尻側の風景を次のように語っている。


「丘陵地帯の全体的に滑らかで丸みを帯びた輪郭は、枝分かれした水路によって溝が掘られ、それらが合流するにつれて大きさと深さを増し、やがて本流に入り、平原に通じる広い渓谷の中で、多くの源流を持つ曲がりくねった蛇行した川となっていた。スコットランド、ノルウェー、フィンランド、アルプス、コーカサス、アメリカのシエラネバダでも、同じような風景を見てきた。」(63)


 峠から8マイル(約12.8km)ほど下ると、「丘の北側にあるこの村の人々は、顔つきも服装も違っていた。旅人たちは頭巾をかぶり、レギンスとぶかぶかのズボンをはいていた。村で茶店に立ち寄り、魚と米とスープのおいしい昼食を食べた」。すると、キャンベルは塩尻宿を通過し、洗馬宿で昼食をとったことになる。その後、5マイル(約8km)歩いて、に午後5時に本山宿に着くと、「子供たちが外国人を見ようと集まってきた。主人が礼儀正しく頭を床にたたきつけて」出迎えてくれた。宿屋の内部は、「襖で仕切られた部屋が長く続き、その奥にはいつもの石庭がある」というであるから、旧本陣に投宿したのであろう。この日はキャンベルの誕生日の前日で、彼は日本の地理的中心で西洋人一人石庭を眺めて、物思いにふけるのであった。


「53歳の終わりに、私はここに座っている。夢や幽霊にふさわしい時があるとすれば、また、さまよえる人間に不気味なことが起こるとすれば、それはきっと「顕現」の時と場所であり、内なる意識から何かが誕生する時なのだろう。太陽神話、太陽物理学、天文学は、地球と地質学、大気の力と気象学、龍の神話、雲と蛇のように枝分かれする川、枝分かれする木と樹木崇拝、合理的な植物学、動物とその崇拝、獣寓話、自然史とともに、私の思考の一部を占めていた。祖先、カミ、夢、勇者と偶像、神道の神、ツイードのスーツを着た神々しいミカド、中国哲学と海に捧げる神の祈り、仏教の慣性、否定、安息、物質作用、力、エネルギー、主張、存在の否定、コーラン、モルモン書、スピリチュアル・プレスなど。半世紀以上にわたるすべての教訓、世界の輪の中の情景、人々、場所、過去の時代が、私に付き合ってくれた。冬枯れの通りを、ため息混じりに風が吹き抜け、私は煙草を吸いながら考えた。バッグの上に頭を置き、子供のようにぐっすりと眠った。それが涅槃であり、健全な労働と質素な食事に続く安らかな休息だった。」(64)


12月29日、本山宿〜贄川宿〜奈良井宿〜鳥居峠〜薮原宿

 今朝、キャンベルは店先ですばらしい竹細工を見つけ、自らの54回目の誕生日の記念にそれを購入するとこにした。というのも、この茶瓶の竹の置物の紋様がケルトのものによく似ていたからで、細工模様について考察ノートを残している。宿の主人が生きた老鶏を持ってきたので、朝から殺生するのに気が引けたが、マサナオがそれを殺してさばき、朝食は「男らしいシチュー」になった。9時15分に出発し、渓谷沿いの道を上り下りして、11時40分、5マイル(約8キロメートル)歩いて蜷川(原文ではNiegnawa)の宿町に到着した。ここは木工業が盛んなところで、そこで美しい櫛を見つけ土産に1グロス(144個)ほど買った。

 昼食後、旅を続け、午後1時半、朝から10マイル(約16キロメートル)歩いたところで奈良井(Narai)の宿町に到着した。そこで豆とマカロニと鹿肉を買い、午後2時15分、横なぐりの吹雪の中、鳥居峠を目指し出発した。午後2時35分に最高地点に達し、そこの標高を4850フィート(1455メートル)と計測しているので、峠山をキャンベルは越えたことになる。午後4時に薮原(Yabuharra)の宿町に到着し、宿屋に入り、「奈良井で購入したカモシカ肉のシチュー、紅茶、酒、干しエビが誕生日のご馳走」になった。鳥居峠(Torri Tonge)が太平洋側と西日本の分水嶺にあたり、「日本の山々はオレゴン州のそれに似ているようだ。日本の中央部の地形は、標高4〜6千フィート(約1200〜1800メートル)の高地が連なり、地層は褶曲が多く、川によって削られ大きく摩耗している」ことが分かったが、具体的な地層の年代や地理的位置などについての知見は得られなかった。


12月30日、薮原宿〜宮ノ越宿〜福島宿〜上松宿

 すでに朝早くから街道には馬車や牛車、荷物を担いだ人たちが足繁く行き交い、8時30分にキャンベルたちも出発した。日中、路面は下駄で踏み荒らされ、夜間、凹凸のまま凍っており、その上をキャンベルはヨーロッパ製の革靴で大変難儀して歩いた。200フィート(約60メートル)下ったところに宮ノ越(Miomekoshi)の宿町があり、そこの郵便局の前に新年を祝う餅が並べられ、また家々に常緑樹が飾られていた。さらに祭壇の前にケルンが積まれて、布きれが添えられることもあり、キャンベルは同じようなものをアイルランド、スコットランド、ウエールズで目にしたことがあった。「遠い昔、これらの地域には同じ風習があったが、西洋では消え去りつつあるが、ここ丘陵部では力強く残っている」と感じた。

 朝から10マイル(約16キロメートル)ほど歩いたところで福島(Kushima)の宿町に到着し、その大きな町で「赤ひよどりredwings、大ひしくいbullfinches、きれんじゃくgross-beaks、そのほか私の知らない鳥」を食料用に購入した。昼食時に、「茶屋の女主人がたくさん料理してくれた。その間、荷物を完全な信頼と安心な方法で発送した」。昼食の様子と木曾谷の景観を次のように語っている。


「私は宿の扉のそばで、燃える薪の火のそばの四角いくぼみに足を突っ込んで座っていた。私が大きなナイフと割り箸で鳥の丸焼きを食べるのを見ようと、近所の子供たちが集まってきた。私が睨むと、子供たちは海の波のように逃げていった。私は箸を灰の中に落としてしまった。女主人はそれを拾い上げ、流しまで走って行って洗い、礼儀正しく心地よい笑顔でそれを返してくれた。世界一礼儀正しい人々だ。通り全体が常緑樹で彩られ、丘陵地帯に暮らす日本人の生活のありさまは魅力的であった。木曽谷と呼ばれる美しい渓谷を木曽川に沿って歩いた。川は緑濃く澄み渡り、流れも速かった。やがて花崗岩の巨石が転がる場所に着き、それから花崗岩の岩場へと続き、川と渓谷を横切る淡色の閃長岩の斜軸に出会った。

 この地方では、曲がりくねった地層の褶曲方向が日本列島南端の長軸と一致している。河川の流路はこの地質構造とは無関係である。太平洋側へ東に進むと、水蝕の激しい高い花崗岩の丘陵地帯が広がる。この方向には富士山と日本列島の東端がある。ジャッド氏の『スコットランドの二次岩石』論文に基づき、これらを変成岩と解釈した。これは古い火山根部が浸食された跡である。午後4時、真南へ16マイル(約26キロメートル)、約500フィート(約150メートル)下って、気圧27.200水銀柱インチ(921ヘクトパスカル)の地点の町で投宿することにした。」(65)


 キャンベルは、大きな町である福島で野鳥の肉の昼食を堪能し、また荷物を発送し、その後、人々の生活と地層を観察しながら上松(Amyamatzu)の宿町に到着した。

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