第8話 中山道③ 望月から下諏訪
12月23日、望月から和田
翌朝9時10分に宿を発ち、5.5マイル(約8.8キロメートル)歩いたところで休憩した。そこの宿屋には外国人宿帳が備えられており、そこには6名の外国人の名前が記され、そのほとんどがイギリス公使館関係者であった。1872年に、公使のパークス公使は書記のローレンスらを伴い京都から東京まで籠に乗って旅行し、翌年、ローレンスは『王立地理学協会雑誌』に旅程を紹介している(57)。そこからしばらく歩いたところで昼食を取り、再び狭い渓谷道を上り下りした。「カラマツのような竹、松、桑の実、たわわに実った稲、絶えることのない製粉所、屋根に重石を載せたシャレーのような集落、つらら、日差し、雪、これらがこの日の行軍の特徴だった。真後ろに浅間山が遠望でき、時折立ち止まる良い口実になった。」そして、約12マイル(約19.2キロメートル)歩いて、午後3時15分に和田に到着した。
12月24日、和田から和田峠
出発の9時半に気温は華氏39度(摂氏約マイナス15度)、気圧計は27400水銀インチ(約928ヘクトパスカル)を示していた。町中の道は「人と馬の足で踏み荒らされ、泥と雪でべちゃべちゃ」になっていたが、そこを過ぎると乾き凍った地面となり、和田峠まで9マイル(約14.4キロメートル)ほど歩いた。そこで昼食を取ると、気温が更に下がり、降雪が酷くなり、吹雪の中を「起き上がっては奮闘したり、助け合ったり、同じ境遇の人たちを助けたり、助けたりした。私も転んだり、滑ったり、ずるずる滑ったりして」いるうちに、キャンベルたちは道を見失ってしまった。幸運なことにコイケが後から追いついて、やっと「戸口で火を燃やしている山の茶屋に着いて、無事に同行者たちと合流し、荷物を待ちながら衣服を乾かした。」和田峠を越えたすぐのところに宿屋があり、その日はここに泊まることにし、その日の経験を次のように述べている。
「この恐ろしい峠の雪の中で、私は善良なサマリア人の国を見つけた。皆が互いに助け合っており、この小さな日本人たちを私は感心した。私は、不機嫌そうな表情を一つも見なかったし、荷役の馬の皮膚には打撃痕が一つも当たらなかった。馬がもがくと彼らは尻尾をつかんで馬を引き上げ、馬は蹴りもしなかった。スコットランドの諺にあるように、「賢い人は自分の家畜を誘導する」のだ。」(59)
12月25日、金曜日、クリスマスの日。和田峠から下諏訪
この日、キャンベルは、カーリー、日本人の使用人3人と人夫3人、馬一頭を伴って凍って滑りやすい道を、6マイル4分の3(約11キロメートル)を歩いて下諏訪に到着した。この峠は水流が東西方向に分かれる分水嶺になっているらしく、キャンベルは地形と地質を子細に見て回った。ここは浅間山による火山活動の地域とは大きく異なり、古い玉石が堆積した扇状地のようであり、「氷河の痕跡を探したが、この大きな花崗岩の塊が運ばれてきたのは、地域的な洪水によるものであろう」と判断した。町の入り口には噴水があり、鹿の角と不思議な耳を持つ石造の龍が口から水をはき出していた(図44)。その後、壮大な神社(諏訪大社)に行き、美しい彫刻と装飾に目を奪われた。また、「小屋の下には木に描かれた絵が何枚かあり、2頭の鹿のうちの1頭には本物の角が刺さっていた。もう1枚は、日本版「ドラゴン神話」(図45)だとすぐにわかった。」
キャンベルはこれらに大変興味を抱いたが、衣服がまだ濡れたままだったので、とにかく宿を確保することにした。「この神社の隣の宿屋は繁盛しているようには見えなかったので、従者たちは他を当たる」というので、キャンベルはお茶を飲んで待つことにした。すると、一人が呼びに来て、今日の宿屋に案内してくれた。その「宿屋の表側には街道が走り、その一角に「イギリスの田舎町の市場や計量所のような建物と温泉場があった」というのであるから、旧本陣の岩波家に泊まったことになる。「市場や計量所」というのは問屋のことで、温泉場については次のように記している。
「浴場は男、女、子供、少年少女でいっぱいで、おしゃべりをしながら歩き回っていた。アダムとイブのように裸の二人の人間が、紙傘をさして下駄をはいて静かに通りを歩いていた。これがこの国の、そしてこのエデンの無邪気な服装だとすると、天気は確かにとても寒かった。」(60)
図44. 下諏訪の龍口、1874年12月26日。M.p.130.
図45. 龍神神話を描いた絵馬, 1874年12月26日。M.p.128.
下諏訪の龍の口と八岐大蛇退治の絵馬を見て、キャンベルはマサナオにその由来を尋ねないわけにはいかなった。マサナオは、絵馬の物語が素戔嗚尊による八岐大蛇退治であることを話してくれ、キャンベルはそれがイギリスの守護神である聖ジョージの物語とそっくりであることに大変驚いてしまった。これについては、後述する「神話」の中で深く考察することになる。このようなことから、下諏訪に2、3日滞在し、ドラゴン神話に関する情報を集めることにした。
12月26日〜27日、下諏訪
26日の朝食前、キャンベルは観測機器を取り出し、この場所の経緯度、気圧、気温の記録をつけた。ここは、昨日通過した和田峠から2000フィート(約600メートル)下にあり、東京から4000フィート(約1200メートル)上ったところにあると記録しているが、実際の数値とはかなりの誤差が見られる。その後、キャンベルは町の有力者に挨拶に行き、その際、彼に肖像画を作製して贈ることにした。27日、「朝からうっとうしい雨だったので、当地の大地主の絵を仕上げるのに費やす」ことにし、一方、カーリーは狩猟に出かけた。午後、キャンベルは「古い寺院まで歩き、従者の助けを借りて僧侶たちと長い話しをした。彼らは知的で教養があり、紳士のような風格を備えていた。私たちはたき火を囲み、煙草を吸いながらお茶を飲み、住職や個人商店から持ち込まれた珍品を買い求めた」。もう一度、和田峠から下諏訪まで流れてくる小川沿いに歩き、そこですばらし建物と彫刻に出会った。
「純粋の神道の祠堂に改装された神社に行くことにした。この神社の彫刻は私が日本で見たどの彫刻にも劣らず、他のどの場所のものよりもすばらしかった。龍は壮麗で、厚く幅広の木材から彫られ、祭壇の近くに立った葉の茂った竹は、木彫りの芸術家が作ったものとして見事だった。ここは神道なので、目の邪魔になる色彩はなかった。」(61)
この神社は、前日に見た諏訪大社下社春宮であろう。キャンベルのもう一つの関心事であった地層地形の成り立ちについて、「小川にも、神道祠堂の境内の回りの大きな岩壁にも、氷河の痕跡を示すものは何一つ見つからなかった」と述べ、結局、諏訪盆地一帯では氷河の痕跡を発見することはできなかった。
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