第5話 日本人識者との交流と金星日面通過観測

日本人識者

 11月28日に東京のヤマトヤシキに戻ったが、キャンベルとマクヴェインは休む暇なく、翌日午後、横浜に行き、グランドホテルで開かれるセント・アンドリュース記念日のパーティに出席した。飲んで、歌って、踊って、朝方まで楽しんだ(図31)。東京に戻り、また美術工芸品漁りをし、さらに浅草で大道芸人を見て回った。12月5日、黒田長溥の招待に応じて、キャンベル、マクヴェインと同僚のヘンリー・ジョイナー(40)、ヨシイ[吉井友実]、カタタ(先に日光に同行したカタタの父)、海軍省次官のカワムラ(41)[川村純義]を伴って黒田邸に向かった。全員で簾の中に身を潜め、池にやって来た野生の尾長鴨を竹網で急襲するのであった(図32, 33)。黒田は旧大名で、広い見識があり、スポーツ好きな礼儀正しい好々爺であったと述べている。12月7日夕方、狩りに参加した人たちは再び黒田邸に集まり、贅を尽くした鴨料理をごちそうになった。

図31. セント・アンドリュース記念日のパーティの様子。チャールズ・ワーグマン画、The Japan Punch. 左から、ブラック、マクヴェイン、キャンベル、カーギル

図32. 「鴨狩のぞき穴」。P.101. 図33. 「竹網を用いて鴨を捕獲する」。P.101.


 黒田を除く面々は英語をしゃべり、後日、ウィーン万国博覧会の日本側代表者を勤めた人物(42)を加えて再び集まり、日本人の生活習慣や政治課題などを語り合った。これは佐野常民に違いなく、これらの人物との交流を通して、キャンベルは日本文化を深く知るようになり、間違いなくドラゴン神話や氷河について尋ねたにちがいない。黒田邸に行く日の朝はジョイナーに誘われ、一緒に日本人絵描きのところに行って彼が絵を描く様子を見せてもらった。「彼は輪郭を描かず、片手に箸のような筆を2本持ち、おだやかな雁や鷲、竹や松の二曲一双の絵を2、3時間で仕上げ、その間空いた片手でお茶を飲むだけだった」ので大変感心してしまった。


金星日面通過観測

 黒田邸に晩餐会へ行く日、朝からマクヴェインとキャンベルは御殿山で金星日面通過観測の本格的設営を始めた。写真撮影に参加したブラックは、『ファー・イーストThe Far East』に「残念なことにこの2週間は何の準備もしていなかった」(43)と書いているが、実際は、1年以上も前に工部省下で企画され、マクヴェインがグリニッジ王立観測所で観測方法の指南を受け、また最新の器機装置を購入し、準備万端であった。ただ、測量司は同年1月に内務省に移管され、また改編縮小されてしまい、工部省下で予定していた事業が中止されていた。マクヴェインは、キャンベルの来日の目的の一つが金星日面通過観測であることを知り、日光に行く前に急遽、代理内務卿伊藤博文に観測実施の許可を求めた。キャンベルが持参した観測器機と、マクヴェインが用意した器機をあわせて、計6台の望遠鏡を用いて太陽と金星の輪郭の交差時刻を記録した(図34)。さらに、写真撮影と展覧のために、キャンベルはカメラ・オブスクラを設営し(図35)、マリーはその中に入り、長径3フィートの太陽の円影の中に1インチほどの金星が動くのを見たと記している。

図34. 内務省の公式金星日面通過観測所。MVA。中央に三条実美、右側に伊藤博文、杉浦譲、村田文夫、室田秀雄がならび、三条の左側に小林一知、荒井郁之助らがならぶ。MVA.

図35. 「竹と黒色紙で作った覗き小屋(カメラ・オブスクラ)、1874年12月9日」。P.103.


 キャンベルは観測結果に大変満足し、本書の5頁を費やしその様子を詳細に記述している(44)。日本の科学界において、明治政府が御殿山で金星日面通過観測を実施したことはほとんど知られておらず(45)、大変貴重な記録である。そして、翌日、キャンベルらは横浜に向かい、メキシコから派遣された観測隊の結果を見て、「御殿山で行った私たちの観測には、首相や工部相も来ていた。グランドホテルで星空を見終わった後、私たちは牛肉とビールをたらふく食べ」、グランド・ホテルで盛大に成功を祝った。

 12月11日、キャンベルは日本政府発行の通行許可証(図36)を受け取るためにパークスと会い、彼と日本旅行の注意点を確認した。「日本にも他の国と同じように追い剥ぎや乱暴者はいるが、しかし、大方は誰も誰かを傷つけようとはしない」が、「唯一警戒すべきは酔っ払った侍」であると助言を受けた。廃刀令が出されるのは1876年のことであった。「日本は開国したとはいえ、国土測量の責任者(マクヴェイン)でさえ、外国人は政府の旅行許可がなければ、まだ一歩も市外に出ることができない」状態であり、旅行許可書の発行の労をとってもらったパークスにお礼を述べた。

図36. 日本政府発行のキャンベルの旅行許可書の写し。「英吉利国宮内庁官員」。M.p.126


 続いて、パークスは12月14日に天皇との謁見の機会を準備したので、皇居に行くようにとキャンベルに伝えてきた(46)。というのは、パークスは三条実美や伊藤博文らの臨席を得て金星日面通過観測を成功させたのはキャンベルの貢献によるものだと考え、12月9日、明治政府に天皇からキャンベルに報償を出すようにと申し入れをしていたのであった。しかし、キャンベルはその日、中山道の旅に出発することになっていたので、謁見を断ってしまった。本来、内務省の観測実施委員に入っていない人物に天皇が報償を出すことは筋違いであり、パークスは特別な思惑があってキャンベルに配慮をしたのであろう。

 キャンベルは、東京での残り少ない時間を骨董品漁りに費やし、鎧甲、仏像、屏風などを買い求めた。植物の種も探し回り、念願の日本ユリ(Lilium Kramer)はヨコハマクラブ幹事のスミス(47)からその球根を手に入れた。このスミスは日本の植物ビジネスをやっており、旅行許可書を持つ外国人に同行しながら各地で珍しい植物を収集していた。浅草では、路上曲芸師、露天、フラワーショー、軽業師などを観て楽しんだ。キャンベルの回りには、西洋人を見ようと人だかりができ、「男も女も赤ん坊も、幾重もの人だかりが私たちの周りに集まり、時折、長い棒を持った警官が彼らを追い払わなければならなかった。しかし、誰も少しも無礼や不親切なことはしなかった」と述べている。

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