3 いつもの重力は気がつくと暴力的

 無重力エリアにある外航船発着ターミナルに到着した旅行者は、環境順応室と呼ばれる部屋に入ってゆっくり外縁部に降りていくことで、長旅の間に無重力に慣れきった体を順応させることになっていた。普通のエレベーターで一気に外縁部に降りてしまうと、急激に重力が強くなるのに耐えられないのだ。

 弦羽がジュンに連れられて環境順応室に入るのを見送ると、エリカは一足先にエレベーターで自分のラボに戻った。一時的に無重力エリアに来ていただけなら、すぐに戻っても大したことはない。

 それに、弦羽が居住エリアに降りてくるまで三時間はかかるので、その間にシャワーを浴びるつもりだった。機械をバラす作業をしている時にジュンに呼び出されたから、汗もかいているし手も油まみれだったのだ。


 タオルを頭に巻き、ほかほかになってシャワールームから出てくると、修理台の上に置いたタブレットが振動しているのに気がついた。あわててガウンで体を隠し画面をタッチする。さっき登録したばかりの弦羽から十数回着信している後に、ジュンから着信が入っていた。

「どうしたの?」

「弦羽さんと一緒にいる?」

 ジュンの声は切羽詰まっているようだった。

「いないよ。まだ環境順応室が降りて来るまでたっぷり時間あるよね?」

「それが、いなくなったの。途中で抜け出したみたい」

「えっ?」

 一時間も経っていないから、まだかなりの低重力エリアのはず。そんな所から抜け出してどこに行ったのだろう?

「連絡つかないの?」

「私の通信デバイスには、連絡先は登録していないから。あなたは登録してたよね?」

「うん。いっぱい着信来てる……」

「ちょっと! 専属契約したんだから、ちゃんと対応してよね。上の方からもVIPだから問題のないようにって言われてるんだから」

 そんなこと言われても、と不満に思ったところで、弦羽からの着信が入った。

「あ、連絡来たから、そっちに出るね」


 画面をタップして切り替えると、弦羽の情けない顔がアップになる。

「どうしました? 今、どこにいます?」

「どこにいます、じゃないわよ! あなた、専属契約したのに、なんで私のコール無視してんのよ!?」

「あ、済みません。タブレット置いたままシャワー浴びてたんで」

「はあ?! 意味わかんない。マルチグラスに私の着信って出てるでしょ!」

 マルチグラスとは、網膜に直接映像を投影して立体画像が見えるようにするメガネ型のデバイスだ。カメラも付いていて、自分の顔はきれいに相手のデバイスに映るようになっている。いつでもつけっぱなしにできるけれど、個人の目に合わせて最適化するため、年に一度眼球検査とデバイス調整をしないといけない。

「マルチグラスは使ってないんですよ」

「なんで?」

「眼球検査のできる調整機材が置いてあるショップは、アメリカのJFケネディ・ステーションにしかないから、とんでもなく料金がかかるんで」

「え、じゃあ今どうやってこの通話してるの?」

「だからタブレットで……」

 弦羽は苛立った声でさえぎった。

「あー、もうわかった。そんなのどうでもいいから、早くこっちに来て!」

「こっちって、どこですか?」

「それが、わかんないから呼んでるんでしょ! めちゃくちゃ体が重くなって、動けないのよ」

 強気の言葉とは裏腹に、よく見ると弦羽は涙目になっているようだった。

「なんで、環境順応室から降りちゃったんですか?」

「狭苦しい殺風景な部屋で息が詰まりそうだったし、だんだん体が重くなって来て気分悪かったから、外に出たのよ。それで手近にあった移動装置に乗ったら、急に体が重くて動かなくなって」

 エレベーターで一気に居住区まで降りて来たのか。それはご愁傷さま。

 軍人やプロの宇宙船乗りパイロットなら、無重力の長旅をした後でもすぐ、1G環境に飛び込んで平気な顔をしているが、一般人ではまず体が重すぎてコントロールできなくなる。

 しかし、どこに降りたのかわからないと、迎えにも行けない。

「ちょっと、マルチグラスで周りを映してもらっていいですか?」

「わかった」

 マルチグラスで視点モードを切り替えると、相手が見ている視界がこちらに映る。丸天井の薄暗い廊下で、壁にMA312と番号が書かれたプレートが見えた。居住エリアから機械エリアにつながる連絡通路のようだった。

 そんなに遠くに回されてなくて良かった、とエリカはホッとした。

「わかりました。すぐに迎えに行きますから、じっとしてて下さい」


 新しい作業服に急いで着替え、機械エリアにつながる連絡通路まで走って行くと、誰もいない廊下に一人ぼっちで座り込んでいる人影が見えた。

「弦羽さん、迎えに来ましたよ。大丈夫ですか?」

「やっと来た! 遅い!」

 言葉は乱暴だが、きれいな顔は涙でべしょべしょだった。

「一歩進むたびに、体は傾くし、首が重いし、足は進まなくなるし、なんか頭がぼうっとしてくるし、めちゃくちゃ気持ち悪いのよ」

「そうでしょうね。肩を貸しますから、ゆっくりどうぞ」

 エリカが手を差し伸べると、肩を貸すどころか、弦羽は正面からぎゅっと抱きついてきた。態度や口調の強さに騙されそうだが、腕の中で直に触れた感触は、まだ幼い少女らしくほっそりとしている。髪の毛からは、ほのかに甘い香りがして、エリカは思わず意識を持っていかれそうになった。

「ゆっくり、一歩ずつ歩きましょうね」

「うん……」

 華奢な体を抱きしめるように支えながらゆっくり歩き、廊下の端のロックドアを開けてロビーに出ると、手近なソファに弦羽を座らせた。

「居住エリアに着きましたよ」

「ありがとう……」

「気分はどうですか?」

「最悪。なんでこんなに頭や腕が重いの?」

「それが重力ってやつだから。地球ではそうだったのを思い出しました?」

「地球なんて、最低よ。二度と戻りたくない」

 弦羽は、吐いて捨てるように言った。

「そう? 私は戻りたいけどなあ」

「じゃあ、なんであなたはここに住んでるの? さっさと帰ればいいじゃない」

 弦羽の横に座ったエリカは、ソファの背もたれに頭を乗せて、ふうっとため息をついた。

「お金を稼がないといけないから。宇宙基盤開発の社員だった頃は、それなりにいい給料もらってたけど、フリーになってからは稼ぎも不安定だし。地球に戻る旅費だってバカにならないし」

 そんなことを言っても、個人で宇宙船を貸切にするようなお嬢様にはわからないか。エリカは相手の立場を思い出し、うかつな事を言ったのを反省した。


「そんなに帰りたい?」

 弦羽は、不思議そうに聞いた。

「いつかは」

「ふうん」

 少し間を置いてから、言葉を継いだ。

「もし、私が地球に帰ってもいいと思えるようになったら。今日、助けてくれたお礼に連れて行ってもいいわよ」

「へ?」

 エリカは、目をぱちくりとまたたいた。

「その代わり、契約している一ヶ月間、十分に私を満足させてくれるのが条件」


 満足って、このワガママお嬢様を?

 そんなこと、私にできるわけないでしょ。

 エリカは内心で毒づいたが、顔には出さずニコリと微笑んだ。二万ドルの契約金は固定で入るんだし、万一気に入ってもらえたら地球行きの宇宙船にも乗れるなんて、こんないい条件はそうそうない。そう自分に言い聞かせて答えた。


「いいわよ。一ヶ月間、たっぷりラグランジュ点エリアを楽しんでもらいましょう」

 ぐったりとソファにもたれた弦羽は、ふっと微笑んだ。

「契約成立ね」


<完>


*カクヨムコンテスト短編応募。カクヨムネクストでの連載を狙っているので、気に入っていただけたら☆や♡をポチっていただけると、飛び上がって喜びます。


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ラグランジュ・ランデブー 代官坂のぞむ @daikanzaka_nozomu

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