第7話:報告書の余白

 1週間後のΩRMオフィス。

 午後の日差しが、赤レンガの壁をじわりと染めていた。


 端に置かれたソファに、ジョージとヴィンセントが並んで腰を下ろしている。

 その向かい、書類を手にしたチャットがやってきて、深々と身を沈めた。


 足を組み、口を開く。


「調べてきた。

 あの子、今は州の児童養護施設にいる。

 教会併設。悪くない場所だ。

 シスター連中も、らしい」


 ジョージは応じない。

 ただ、わずかに視線を落とした。


「で、案の定ってやつだよ」

 チャットは書類をめくりながら言う。


「あれ、監視用のスマホを持たされていた。

 指示は例の、自動でメッセージが消えるアプリ。

 あの子、元いた教会の子たちを人質に取られててさ。

 しかもジョージのことも、敵の仲間だと思わされてたらしい。


 だからジョージがスマホで聞いたとき、あの子、答えられなかったんだろうな。

 あれもテストだと思ってたらしい」


 ヴィンセントの眉が露骨に動き、地響きのように低く唸った。


「クソが……逃げ道も、考える余地も、全部奪ってやがる」


 チャットが鼻で笑う。

 だが、いつもの軽さはなかった。


「組織の正体は、人身売買ブローカーとズブズブ。

 誘拐した子を金持ちに卸す、例の胸クソ産業だよ。


 ……で、自分たちじゃ動けねぇって分かってた。

 警察に目をつけられてるのも分かっててさ、それでもやろうとした。


 だから――ウチをカモフラージュに使った。

 ΩRMの看板で、堂々と少女を運ばせた。


 クソみてぇな話だろ?」


 チャットは書類をひらりと放り、ヴィンセントを顎で指す。


「……で、そっち。弁護士の線は?」


ヴィンセントが短く頷く。


「名前も登録も実在だ。

 だがスキャンされたIDも、署名も偽造。

 本人は交通事故で入院中だった。

 意識が戻ったのも最近だ。

 ――何も知らねぇ。

 で、今は法務局が正式に動いてる」


「ふぅん……つまり」


 チャットは天井を見上げ、皮肉っぽく言った。


「契約はなかったことになり、報酬はゼロ。

 うち、ボランティア団体だったっけ?」


 ヴィンセントがふっと笑った。


「違う。

 うちは護衛屋ボディガードだ。

 命を預かって、その責任で飯を食ってる」


「じゃあこれは?」


 チャットが横目で聞く。


「……これは」


 ヴィンセントは目を伏せ、手の中で指を組む。

 声は穏やかだったが、芯があった。


「プロとして守るべき命だった。

 金にならなくてもな」


 チャットが肩をすくめる。


「いやぁ、うちも粋な会社になったもんだ。

 成功報酬ゼロで、命ひとつ救ってんだから。

 善意の請負人って肩書き、名刺に入れとく?」


 ジョージは黙ってコーヒーを飲み干した。

 マグカップをデスクに置くと、ヴィンセントが尋ねた。


「報告書、どうする?」


「出す」


 ジョージは短く答え、立ち上がった。


「ああ、それと――これ」


 ヴィンセントが思い出したように、内ポケットからシンプルな封筒を取り出し、ジョージに差し出す。


 封筒の表には、華奢だが丁寧な筆跡で、こう書かれていた。


“ボディガードさんへ”


 送り主の名は――


“あの日、後部座席に座っていた者より”


 ジョージは、ほんのわずかに頬を緩めた。


 手紙を手に、静かに歩き出す。

 ドアへ向かう途中、チャットが背中に向かってぽつりと呟いた。


「なあ、ジョージ。

 結局、護衛の正解ってなんだと思う?」


 ジョージはドアを開け、振り返りもせず、静かに返した。


「さぁな。

 ……だが、生きてりゃ続きがある」


 ドアが静かに閉まった。

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護衛屋は、名を聞かない 冬蜂(FuyuBachi) @Fuyubachi

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