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私がAI執筆を卒業しようとしている理由


 先日(2025年11月中旬ごろ)カクヨムで、「AIラベル」についてアナウンスがありましたね。
 そうなるだろうと薄々予想はしていたので、驚きはありませんでした。

 そして、今まで公表している私の作品については、適切なAIタグをつけました。


■16年ぶりに筆を持ったのは、AIがキッカケ

 私は文字を覚えた時から、何か物語を書くのが好きでした。
 ですが、途中で一度筆を折りました。
 主な理由は、資料がうまく集められなかったから。

 しかし、今年に入って、生成AIを本格的に使い始め、今年2月にもう一度筆を待つ決意をしました。

 私にとっての何よりの魅力は、資料収集にとても優れている事。
 海外の資料だろうが、論文だろうが、ヤツは健気に引っ張ってきてくれます。

 私の目的は、商業化や誰かに評価してもらうことよりも、どちらかというと“自分が楽しんで書けるかどうか”がメイン。
 (評価はいわば食後のデザート。
 無くてもいいが、あるとすごく嬉しい)

 “潜誠の盾”は、ある意味その実験および、リハビリ作でした。
 何せ、16年間のブランクがありましたから。

 あの作品はプロットは100%私(AIからの案も出させたがしっくりこなくて全て却下)ですが、本文は半分以上、ほぼAIが出力した文章を使っています。

 ですが今は、AI利用は資料のみに限定し、本文の関与を避けています。

 理由は著作権や批判などの問題を恐れているのでは無く、単純に“自分が楽しくないから”。

 自転車に例えるなら、補助輪が邪魔になってきて外すイメージでしょうか。


■なぜ、AI執筆の卒業を考えているのか

 AIを使い尽くしていくうちに、「あれ、何度も似たような表現を使っているな」と気がつきました。

 私の小説はハードボイルドがメインです。
 皆さんが「ハードボイルド」と聞いて大体イメージする単語や表現を、AIは若干形を変えつつも、何度も繰り返し出してきます。

 雨、タバコ、ネオン、酒、銃、火薬の匂い、コートなど。

 特に雨ですね。
 やたら雨を降らせたがります。

 どんなに具材を変えて変化させようが、カレーのルー(AI)を入れた時点で、それはもうカレー味にしかならないのと同じ。

 ですが、ハードボイルドの確立者である、“レイモンド・チャンドラー”の作品を読むと、その表現や語彙の多さ・深さは、AIとは比べられないほど優れていました。

 例えば下記文章は、億万長者の豪邸に訪問した、探偵フィリップ・マーロウの一人称視点での描写です。

――下記引用――

 部屋は広すぎたし、天井は高すぎたし、ドアは丈がありすぎた。くまなく敷き詰められた白いカーペットは、アローヘッド湖に降った新雪のように見えた。
(中略)
 白は象牙色を汚く見せ、象牙色は白を生気なく見せていた。

—『大いなる眠り フィリップ・マーロウ〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』レイモンド チャンドラー著
https://a.co/30q6DkB

――引用終了――

 本来ならば褒め言葉になる場面を「〜すぎた」という貶す表現を使うことによって、主人公(マーロウ)の捻くれた、ハードボイルドらしい性格を同時に表現しています。

 白と象牙色の対比の表現(元祖:白って200色あんねん)。
 感覚器官を持ち合わせている人間だからこそ、できる表現だと思っています。

 AIは良くも悪くも、「平均」を出してくれます。
 ですが私が書きたいのは、その「平均」以上の表現なのです。

 5月ごろから段階的に少しずつ独立していき、今ではだいぶ自分で書くことが多くなりました。


■AIを賞賛しないし、使っている人を否定も肯定もしない

 私の基準は“いかに自分が楽しんで書けるか”なので、これからも手で書き続けるかもしれないし、AIを使った方が楽しいと思えば戻るかもしれない。

 なので、使っている人を否定もしないし、肯定もしない。
 そういうスタンスで行こうかと思っています。

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