第6話:ただの護衛屋

 薬品とゴムの匂いが漂う、白い病院の待合室。

 明るい床と淡い色の壁が、無機質さをわずかに和らげている。


 外は白み始めていた。

 彼女が診察室の奥に消えてから、30分ほどが過ぎている。


 ジョージはΩRMへ簡単な報告を送ると、端末を伏せた。

 背筋を伸ばし、視線を落としたまま、ただ待っていた。


「彼女を連れてきたのは、あなたで間違いない?」


 見上げると、眼鏡をかけたふくよかな年配の女性看護師が立っていた。


 看護師の胸元には、写真入りのIDバッジと、小さな花の形やハートをしたピンが並んでいた。


 色褪せている。

 長く使われてきたものだろう。


 だが今その視線は、ジョージを鋭く射抜いていた。


「はい」


 ジョージは答えた。


「私が今夜の看護師長よ。

 こっちに来てもらえる?」


 やさしさはない。警戒をにじませた声だった。


 選択肢は与えられていなかった。



 案内された部屋は待合室とは違い、狭く、無機質だった。

 机と椅子が2脚、壁には医療用の注意書きが貼られている。


 看護師長がジョージの対面に座り、その後ろには、体格のいい長身の警備員が立っていた。

 腰には警棒が鈍く光っている。


 どういう意図なのかは明確だった。


「付き添いってことで……いいの?」


 看護師長は眼鏡越しにゆっくりとジョージの顔を見た。

 目の奥を探るように、問いかける。


「はい」


 ジョージは簡潔に答える。

 表情は変えず、声にも感情を乗せない。


「お名前を、お願いします」


「ジョージ・ウガジン」


「で、彼女とあなたの関係は?」


「護衛です」


 ペンが、止まった。


「……護衛? 本気で?」


 響きには明確な引っかかりがあった。


「つまり、家族じゃないのね?」


「家族ではありません」


 看護師長は、静かに頷いた。

 驚きはない。

 ――最初から、そうだと思っていた目だ。


「ID、見せてもらえる?」


「はい」


 ジョージは、即座には手を動かさなかった。


 ゆっくりと胸元から出したIDホルダーの中から3枚を選び、机の上に並べた。


 ΩRMオルムの社員証。

 写真付きの個人ID。

 そして、この州バージニア州で有効な民間護衛ライセンス。


 指で押し出すように位置を整え、相手の方へ滑らせる。


「……正式な登録ね」


「はい」


「今、武器は持ってないってことでいいの?」


「今はありません」


 事実だけを答える。


「ここで武器は禁止。それは分かっているわよね?」


「承知しています」


「彼女、IDは持ってなかったわ。

 外見は成人でも、医療的にはそう見なせない。

 骨の成長から見て、未成年の可能性が高いの」


 それは告知ではなく、反応を見るためだった。


「そうですか」


「知っていた?」


「いいえ」


 ジョージの声は変わらない。

 看護師長の目が、わずかに細くなる。


「いつから、一緒に?」


「昨夜からです」


「どこで?」


「指定された場所で合流しました」


 看護師長が顔を上げる。

 ここで初めて、正面から視線がぶつかった。


「“指定された場所”?

 それってどういう意味?」


「仕事の条件です」


「じゃあ、彼女をここに連れてきたのは、どういう判断から?」


「呼吸が乱れ、パニック状態になりました。

 医療介入が必要だと判断しました」


 余計な言葉は足さない。


「彼女、自分の意思であなたと来たのよね? 

 間違いない?」


「はい」


 事実だ。

 だが、それ以上の意味は含めない。


「念のため確認するけど――

 彼女に必要以上に触れていないわよね?」


「応急対応に必要な範囲のみです」


 看護師長は小さくため息をつくとペンを置いた。


「もうひとつ……

 もう警察には連絡したわ。

 もうすぐ着くと思う。

 あなたにも、協力してもらうわ」


「承知しています」


 その返答に、看護師長は一瞬だけ眉を上げた。


「……大体の人は、そこで取り繕うのよ」


「止める理由がありません」


 短く、切る。


 看護師長は一拍置き、静かに言った。


「OK、それじゃ、ここで待ってて。

 外には出ないでね」


 看護師長は席を立つ。


「分かりました」


 命令でも、お願いでもない。

 ただの事実確認だった。



 看護師長がドアを開けたとき、受付の方から爆発するような男の怒号が響いた。


「女を出せ!!

 ここにいるのは分かってんだよ!!」


 物が倒れる音と、乾いた不穏な音がジョージの耳を叩いた。


 微かだが、間違いなく銃の安全装置セーフティを外す音だ。

 その直後、いくつもの悲鳴が何層にもなって空気に染み渡っていく。


 看護師長の後ろに立っていた警備員がすぐ動いた。

 しかし、銃を持った男を見てぴたりと止まる。


――銃対応の訓練は受けていない。


 ジョージは身を低くし、影のように動いた。

 床を蹴る足音はほとんどしない。


 警備員の横をすり抜け、ドアを出、受付の男を視界で捉える。

 銃を持つ手は震えて、腕は伸び切っている。


――素人だ。


 ジョージは横から踏み込み、前腕で銃を叩き落とした。

 それを蹴って警備員の方に滑らせた。


 瞬きする間も与えず、体重を乗せ、肘を極める。

 足払いをし、男の重心を崩す。

 男の膝が床につくと同時に、頭を床に押さえつけた。


「動くな」


 ジョージは男に唸るように言った。


「手錠を」


 警備員の方に目配せをし、手錠を受け取った。

 後ろに回した男の手に手錠をかけ、しっかりとラチェットを咬ませる。


「警察へ」


 それだけを言って、男を警備員に引き渡す。

 男は暴れたが、体格のいい警備員にしっかりと掴まれ連行されて行った。


「今の動き……

 あなたは……」


先ほどの看護師が震えた声でジョージに声かけた。


「あなたは、元軍人なの?」


 ジョージは否定も肯定もしなかった。

 ただ、乱れた襟を整えながら言った。


「……今は、ただの護衛屋ボディガードです」




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