第2章 時を越える葉書、隠された絆
時を越える葉書、隠された絆(一)
小泉青年の絵を飾り始めて、一か月ほどが経った。すっかり店の名物となり、来る客は皆鑑賞し、楽しんでいる。そして、もう一つやり始めたことがある。
「マスター。やっぱり平置きじゃ見えませんよ、絵葉書。立てられる物ないかな」
「寅助さんが来たら聞いてみましょう。お店で商品を展示してるでしょうから」
黒田彩菓茶房では絵葉書の販売を始めた。小泉青年の描いた絵葉書だ。
就職活動は大変だろう。絵の仕事も並行することで、心の支えになりたいという誠一の配慮だった。
小泉青年は、売れることを期待してるわけではなかったようだった。けれど嬉しそうで、数日ごとに絵葉書を持って来てくれる。
しかし、売れ残ったら悲しませるだろう。なにか手を打ったほうが良いかと思っていたが、予想は良い意味で大きく外れた。
「すみません。先月の『絵葉書ケーキ』の絵葉書ってありますか?」
「申し訳ございません。完売しておりまして、定番ケーキの絵葉書のみになります」
「えー! 数少なくないですか!? まだ一か月なのに!」
「こんな早くに無くなると思っていなくて。次からは枚数を増やす予定です」
「絶対ですよ! あ、平日は来られないから、発売開始は休日にしてください! それか、予約制にするとか!」
「ああ、そうですね。作家に相談してみます」
小泉青年の絵葉書は、飛ぶように売れている。とくに、誠一が特注でしか作らないお菓子の絵葉書は大好評だ。最初は五枚しか作らなかったが、発売当日に完売してしまった。慌てて五枚追加すると、これも即日で完売し、いまも再販をねだられる。
ためしに絵葉書の横に、土産用のクッキー類を置いてみた。すると、一緒に買ってくれることも増え、売り上げに貢献してくれている。その成果に、誠一も寅助も嬉しそうにしていた。もちろん薫子も嬉しい。けれど、情けなくもあった。
黒田彩菓茶房で働き始めて、やったことは帳簿の書式整理だけ。
赤字削減なら、できることもある。けれど誠一は、やる気どころか興味すらない。やったところで、薫子の自己満足でしかない。結局、薫子の仕事は接客だけだった。
あまりの無力さに薫子は俯いた。けれど、誠一が薫子の背を軽く叩く。
「薫子さんも、なにか売ってみますか?」
「私はなんの芸もないですよ。駄菓子はこの店に必要ないですし……まあ、地元にも、必要ないのかもしれませんけど」
薫子は眉をしかめながら笑った。店が潰れるというのは、結局、そういうことだ。ミスミ洋菓子店はきっかけでしかない。人々の心に残る店ではないから潰れる。
気づいてしまうと、頭は深く項垂れた。けれど誠一は微笑み、ショーケースからケーキを一つ取り出した。季節のフルーツを使ったクリームたっぷりのケーキで、艶子の物語から生まれた果物の虹が掛かっている。
「艶子さんは『私が死んでも誰も困らないんでしょうね』とおっしゃったんです」
「……そう、なんですか。お父様は後悔してたみたいですけど」
「そうですね。でも、僕が虹にした理由は、その言葉を聞いたからです。虹は美しいですが、触れることはできません。なくても困りはしないけれど、求めてやまない美しさ」
誠一はそっと虹を撫でた。果物の皮でできているからふよっと歪む。
それでも触れることはできる。触れたことを後悔して作り直すこともできる。
「艶子さんの胸中は分かりません。でも、ここにいる時は笑っていました。お客さまの笑顔は、僕にとって最高の報酬です。お客さまにも、そうであったら嬉しい」
誠一は幸せそうに微笑むと、薫子の掌に虹を置いた。小さいけれど美しい。
「芸なんて必要ありません。ここでなにかを得て、ご実家の役に立ててもらえれば、それが僕にとっての報酬です」
誠一はするりと薫子の頬を撫でた。
慰めているのか、子供をあやしているのかはわからない。けれど、父親以外の男性に触れられるのは初めてで、胸が大きく跳ね顔は熱くなる。
どうして良いかわからずにいると、店の入り口の扉が開いて男性客がやって来た。薫子は、逃げるようにして客の元へ走った。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
「はい! 絵葉書を買いに来たんです! 特別な絵葉書があると聞いてね!」
男性は、食いつくような勢いで前のめりに叫んできた。気迫に押され、思わず後ずさる。
「申し訳ございません。限定の絵葉書は売り切れておりまして」
「えぇ~!? そんなあ! いつ入荷しますか!? どうしても欲しいんです!」
「ええと、再入荷の予定はないんですけど」
激しすぎる勢いに押されていると、追うように一人の青年が店へ入ってきた。嬉しそうに笑っているのは、話題の小泉青年だ。
「小泉さん! ちょうどよかった。こちらのお客さまが、絵葉書をご希望なんです」
「聞こえてました。作者の小泉です。数日お待ち頂ければ、お描きしますよ。ご希望があればお好きな柄で」
「本当ですか! ぜひお願いします! いやあ、来たかいがあった! 絵葉書を集めてて、藤夲――じゃないや。久宝艶子さんの個展を見に行ったら、お弟子さんがいるって言うじゃないですか! なら、その作品を手に入れなくてはと!」
男性客は激しく興奮して語りだした。鞄の中から数冊の書籍を取り出して、薫子に見せつけた物は、艶子の物販に並んでいた書籍だった。
小泉青年は一瞬驚いたようだったが、すぐにほっこりと微笑んだ。
「艶子さんのフアンなんですね。では、艶子さんに譲って頂いたペンで描きましょう」
「本当ですか! ああ、じゃあちょいとじっくり!」
「小泉さん。奥のソファ席使ってください。珈琲お持ちするんで」
「すみません。いつも有難うございます。では、あちらでお願いします」
薫子は二人をソファ席へ案内し、無料の珈琲を出した。
実は、小泉青年へ直接依頼する客は時々いる。今日もその打ち合わせのために来た。もはや喫茶店ではなく仲介業だが、これも誠一のお悩み相談枠だ。
男性客は珈琲に目もくれず、小泉青年の横に並んで座った。
「僕は藤夲紗英子がデビユーした時からフアンでしてね。殺人事件の推理小説だったんですが、まあなんとも華やかなんですよ。普通はおどろおどろしい現場を描きそうなものでしょう? でも、風が吹き花が舞い、まるで花畑だった。小説家が美しい描写をする文体だから、それに合わせたというんです。推理小説としては、どうなんだと思いましたけどね。でも、それが人気を博したんです! 次に担当した小説は恋愛物で、また美しい男女が描いてあるに違いないと思ったんです。でも、なんと! 今度は、恐怖を感じる恐ろしい絵でした! 人間のどろどろした感情を表しているそうで、この画風の幅広さに胸を打たれましたね。亡くなってから油絵画家だったと知って、ああなるほど、と思いました。もっと早くに知っていればなあ。悔しいですよ!」
男性客は嵐のように語り始めた。小泉青年も気圧されていたけれど、薫子はその場を離れ、洗い物をする誠一の隣に戻った。
「すごいですよ、あのお客さん。早口すぎて、聞き取れませんでした」
「藤夲紗英子さんは、たくさんフアンがいたようですからね。芸術家もお菓子屋も、知ってもらえれば求められる。けれど、知ってもらえなければ存在しないも同然です」
「……知ってても、求められるとは限りませんしね」
ふと実家の店が頭をよぎる。以前はおとなも子どもも、にぎやかに駆け込んでくれた。それがいまや、開店休業状態だ。
「求められる良い商品ってなんでしょうね……」
「世の中『良い商品が売れる』わけじゃありませんよ。『良い売りかたをした商品が売れる』んです」
「そうですけど、でも、うちは田舎の駄菓子屋です。売りかたなんて……」
「難しいですよね。でも、一年あるんでしょう? なら、ゆっくり周りを見て、必要なものを見つけていきましょう。僕もお手伝いします」
「……はい。有難うございます」
誠一は、軽く薫子の背を叩いた。いつも穏やかに笑っている誠一だが、その眼はいろいろなものを見て、覚えている。
黒田彩菓茶房に人があつまる理由は、誠一の人柄だ。お菓子はきっかけにすぎない。小料理屋へ転向しても、きっと客は来る。そういうことだ。
そんなことを考えていると、小泉青年と男性客が連れ立ってこちらへやって来た。
いつの間に合流したのか、寅助まで一行に加わっている。
「マスター、ちょっといいですか。うかがいたいことがあるんです」
「僕でお力になれるなら、なんなりと」
「有難うございます。この景色に見覚えありませんか? この近辺らしいんです」
小泉青年は絵葉書を二枚持っていた。どちらも桜並木が咲き誇り、池に映る月や滝の流れが絵画のような美しさを醸し出す風景が描かれている。
一枚はとても美しく、売り物になりそうな仕上がりだ。しかし、もう一枚は鉛筆の下書きが強く残っていて汚い。
「小泉さんの絵ですか? それにしては、古い絵葉書のようですが」
「いえ。こちらのお祖父さまの絵です。それで、この場所を探してるそうなんです」
「ご存じないですかね。祖父が若い頃なので、もうないかもしれないんですが」
「ううん。僕は新参者なので、昔のことには詳しくないんですよね」
「そうなんですか? でも、この店って結構古い建物ですよね」
「建物自体は昔からあるんですよ。僕は五年ほど前に越して来たんです」
「いや~、あんときゃ驚いたね! 黒田の婆さん生き返ったのかと思ったよ!」
「婆さん? マスターのお祖母さんですか?」
「そうそう。前のマスターだな。こいつは二代目なんだよ」
寅助は自慢げに笑った。小泉青年と男性客は、へえ、と頷いている。けれど、薫子は不思議に感じて、誠一をちらりと見た。
薫子は、誠一のことをなにも知らない。なぜ店を自宅にしないのか。赤字は気にしないのに、なぜ経理要員を募集したのか。今さらだが、妙に感じる。
深く聞いてみたい気はした。けれど、誠一が話さないことを聞きだすのは、いけない気がする。隠したい事情の一つや二つ、人にはあるものだ。
それに、いまこうして楽しく過ごせている。それでじゅうぶんだ。薫子は追及せず、皆と一緒に絵葉書をのぞき込む。
「この辺のことなら、寅助さんは詳しいですよね。どうですか?」
「どうだかなあ。桜並木っていやあ美墨央庭園だろうが、池と滝はねえな」
「美墨? 美墨って洋菓子店のミスミですか?」
「そうそう。美墨ってのが、ここらの地主なんだよ。あちこちに美墨って店がある」
げ、と薫子は心の中で恨みの声を吐き捨てた。
てっきり金を振り翳した嫌味集団かと思っていたが、ただの金持ちではなさそうだ。もし秩父の地主でもあるのなら、桐島駄菓子店は不利だ。
突然の情報に、薫子の頭は重くなった。しかし、誠一に背を軽く叩かれる。
なにも言わないけれど、いつも通りに微笑んでくれた。落ち着いて、と言っているのであろうことは、薫子にも察せられた。
薫子は小さく頷き、絵葉書の話題に思考を戻す。
「やっぱり違う土地なんですかね。桜なんて、どこにでもありますし」
「他にも情報がないと難しそうですね。特別な場所なんですか?」
「いえね、祖父の遺品整理をしてたんですよ。それで、この絵葉書を見つけたんです。けど、そしたら、ほら。ここ」
男性客は、つんつんと絵葉書の一か所を突いた。そこには、流れるような美しい文字が綴られいる。
『櫻区の庭園でまた会おう』
再会の約束だ。それだけだったが、誠一は、ぐいっとのめり込む。
もうわかった。誠一は調べに行くのだろう。持ち込まれた困りごとを、放っておけるわけがない。
薫子の脳内に、閉店の札をかけた黒田彩菓茶房の扉が思い浮かんだ。
「祖父を待ってる人がいるなら、届けたいんですよ。けど住所が滲んでいる」
「お祖父様は、この辺りにお住まいだったんですか?」
「関東大震災の後に少しだけ。建築会社で働いてたんですよ。けど、震災の復興で、あっちこっちであれこれやらされて、過労でぽっくり。なのに、震災の被災者は、祖父の建てた家でぬくぬくと生活をしている。やりきれないもんです」
男性客は口を尖らせ、かかとをがつがつと強く鳴らした。
祖父を愛していたであろう気持ちと、怒りはわかりやすく伝わってくる。誠一と寅助は、なんとも言い難い笑みを浮かべていて、薫子と小泉青年も息を飲んだ。
男性客もすぐ気づいたので、にへらと笑って誤魔化した。
「すいませんね、変な話して。同じような心持ちで待ってる人がいるなら、一言挨拶をしたいんですよ。それで、趣味を兼ねて、思いつく場所を回ってるってわけです」
「そうでしたか。それは気になりますね」
誠一はぐっと拳を握り締め、薫子は寅助と目を合わせた。寅助もわかってるのだろう。にやにやと笑みを浮かべている。
二人でじっと誠一を見ると、出てきた言葉は当然――
「その捜索、僕にもお手伝いをさせてください!」
薫子は、うんうんと大きく頷いた。寅助は声をあげて笑っている。
「本当に!? いいんですか!?」
「ええ。その代わり、見付けられたら、この物語をお菓子にさせてください。素晴らしい彩菓になる予感がします」
「それは嬉しい。ぜひお願いします。ああ、挨拶が遅れました。私は矢野哲郎です」
「黒田誠一です。こっちは」
「助手の桐島薫子と、助っ人の寅助さんです。よろしくお願いします」
「助っ人? いつの間に俺も頭数になってんだい」
「寅助さんは、とっくに黒田調査隊の隊員ですよ」
「なんだいそりゃ」
「私命名です。黒田彩菓茶房の裏の顔。いいでしょう」
「裏か。違いねえな」
寅助はけたけたと笑い、誠一は悪びれもせずにこにこと笑っている。
矢野はそんな様子が面白かったのか、嬉しそうに誠一と握手を交わした。
「有難うございます! よろしくお願いします!」
「はい。こちらこそ」
こうして、今日も黒田彩菓茶房の謎解きが始まった。
黒田彩菓茶房 その謎美味しくいただきます 真野蒼子(蒼衣ユイ) @sahen
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