第27話
桜の花びらが、二人の間で渦を巻く。
境内に吹き上がった風が、一瞬だけ時間を引き伸ばしたように感じられた。
「——っ!」
最初に動いたのは、久瀬だった。
赤黒い燐光をまとった刃が、楽の視界いっぱいに膨らんだ。
「おらァ!!」
真正面からの叩きつけ。
楽は、身を細く折るようにして一歩横へ滑る。
同時に、右手の
剣だった形が、一瞬で「槍」へと変わる。
しなるように長く伸びた穂先で、覇剣の腹を軽く撫でた。
カンッ、と音が鳴る。
わずかな接触、それだけで久瀬の一撃の軌道が、石畳の上でするりと滑った。
次の瞬間、地面が爆ぜた。
さっきまで楽が立っていた場所の石畳が割れ、砂利と土が空高く舞い上がる。
飛び散った破片が、境内に敷き詰められていた桜の花びらを巻き上げた。
「ちょろちょろしてんじゃねェ!!」
久瀬の怒声。
楽は、その破片を盾代わりにするようにステレコスを変形させる。
槍の穂先が縮み、そこから円盤状に広がっていく。
丸盾。
飛んでくる石片や木片が、パシパシと金属に当たって弾かれていく。
(水族館より——だいぶ、マシかな)
盾の陰で、楽はわずかに笑った。
あのときは、久瀬の一撃一撃に押し潰されそうになっていた。
覇剣の軌道を見切るどころか、振り下ろされるたびに「死」が喉元に張り付いていた。
今は違う。
怖いのは変わらない。
だが——「見える」。
久瀬の肩の回り方。
腰のひねり。
踏み込みの重さと、刃に乗るエネビスの流れ。
一つひとつが、以前よりもはっきりと分かる。
「てめェ、この前より身のこなし良くなってんじゃねェか……!」
久瀬が、口の端を吊り上げる。
「調子乗んじゃねえぞ、クソガキ!」
「それ、褒め言葉として受け取っておくよ」
楽は、盾を再び「剣」の形へ戻した。
白緑の刃が、桜の花びらを切り裂くように光る。
距離を取る。
二歩下がって、一歩斜めに入る。
久瀬が、踏み込む。
覇剣が、横殴りに薙がれる。
楽は、今度は「投げナイフ」を選んだ。
ステレコスの刃を手の中で砕くように意識する。
白い光の粒が、ぱらぱらと形を崩し——次の瞬間、手の中には細いナイフが三本。
それを、斜め上に向けて投げた。
真正面ではない。
少しだけ覇剣の軌道を邪魔する位置。
カン、カン、とナイフが覇剣の背と柄に当たり、わずかに角度をずらす。
「チマチマと……!!」
ギリギリで逸れた刃が、楽の肩の横を通り過ぎ、後ろの石灯籠を粉砕した。
砕けた石の破片が、桜の絨毯の上に雨のように降り注ぐ。
楽は、その隙に境内の端まで跳んだ。
拝殿の横。
石畳の段差。
頭の片隅では、別の気配の位置も確認している。
(玲司は——ちゃんと、隠れてる)
拝殿裏の影。
鎖の擦れる微かな音が、風に紛れて届く。
そこに、仲間がいる。
その事実が、楽の心を少しだけ軽くしていた。
「ハエみてえに飛び回りやがって!!」
久瀬が、苛立ちを隠さずに叫ぶ。
血走った目でこちらを睨み、覇剣の切っ先を地面に突き立てた。
石畳に亀裂が走り、桜の花びらがさらに宙へ吹き上げられる。
「『蝶のように舞い』ってやつだよ」
楽は、肩をすくめた。
「本当はその後にもう一個続きがあるんだけどね。そっちは、今はまだお預けかな」
「知るかァ!! テメェの台詞なんざ死体になってからゆっくり聞いてやるよ!!」
覇剣を引き抜き、再び構える。
楽は、距離を測りながら回り込む。
桜の木の方へ、拝殿から半周するように。
ステレコスを槍に変え、突きで牽制し、
すぐさま短剣に変えて、覇剣の根本に打ち込む。
硬い感触。
刃と刃が擦れる感覚。
久瀬の攻撃を、完全には止められていない。
あくまで「軌道を逸らす」だけ。
そのたびに、境内のどこかが壊れていく。
石畳。
石灯籠。
拝殿の階段の端。
(ダメージ、入ってないな)
楽は、自分の呼吸を整えながら冷静に判断する。
久瀬の皮膚には、浅い傷がいくつか刻まれている。
だが、致命打には程遠い。
それに対して、自分の方は——。
「……っ」
脇腹が、じん、と重く痛んだ。
さっきかすめた一撃。
ステレコスで受け流し損ねた覇剣の先が、服ごと皮膚を斜めに切り裂いていた。
熱い。
けれど、動けないほどではない。
呼吸は、もう荒くなっている。
汗が額から顎へと流れ落ち、服の中に吸い込まれていく。
それでも、足は止めない。
久瀬の攻撃を捌くのは、前よりずっとうまくなった。
だが——こちらから叩き込む一撃を、まだ通せていない。
(ボクの仕事は、“勝つこと”じゃない)
あくまで、「引き出すこと」。
久瀬の動き。
覇剣の限界。
グリップと人間の境目。
そして——自分たちが組んだ「段取り」を、予定通りの形に持っていくこと。
「イライラするなあァ!!」
久瀬が、舌打ち混じりに叫ぶ。
「大人しく殺されちまえよテメェ!! 俺が壊してやっからよォ!!」
その怒号に呼応するように、覇剣の赤黒いオーラが膨れ上がっていく。
刃の周りをまとわりついていた燐光が、じわじわと「逆流」するように久瀬の腕へと移った。
皮膚の下を、何か黒いものが這い回る。
血管のような筋が浮き上がり、その色が赤から黒へと変わっていく。
「……っ」
楽は、無意識に一歩、距離を取った。
久瀬の腕。
肩。
首筋。
そこから、ぞわぞわとした違和感が滲み出ている。
赤黒い模様が、まるで焼き印のように皮膚の上に広がっていく。
指先に至るまで、じわじわと侵食されていくように。
瞳も、変わった。
白目の部分が、じくじくと黒く染まっていく。
黒目はさらに濃く、底の見えない漆黒へと沈んでいった。
(グリップとの適合率が高すぎるが故に——取り込まれたか)
楽は、心の中でそう結論づけた。
グリップと人間の境界。
一般的には、人間の意識が主導権を握っている。
だが、それが極端に噛み合うとき。
この男のように、「道具」の側が人間を侵食していくこともある。
破壊衝動に共鳴するように、覇剣が喜んでいる。
久瀬の口角は、さっきまで以上に吊り上がっていた。
「たまんねェなァ……!!」
低く笑う。
「壊して、壊して、壊してよォ……!! どこまで行けるか試してみようぜェ!!」
「……趣味、悪いね」
楽は、息を整えながら言った。
次の瞬間。
覇剣が、さっきまでとは比べものにならない速度で振られた。
空気が裂ける。
境内の空気が、一瞬で薄くなる感覚。
「っ——!」
ギリギリで身をひねる。
ステレコスを盾に変え、肩口から滑らせるように受ける。
ガギィン、と、耳をつんざく音。
腕が、千切れそうなほどに痺れた。
盾の表面に、今までとは段違いのひびが走る。
たった一撃で、ここまで——。
(破壊力、上がりすぎだ……)
その代わり。
久瀬の足元は、さっきより明らかにふらついていた。
地面を踏み抜くような一歩。
石畳が靴底ごと割れ、バランスを取り損ねかける。
もう一度。
縦の斬撃。
盾で受け流す。
破壊力は、異常。
だが、その軌道は荒い。
雑だ。
一振り一振りに込められた力が、明らかに「過剰」になっている。
制御ではなく、「出せるだけ出す」方向に振り切れている。
グリップが人間を操っている。
そんな印象。
「……そろそろ、だな」
楽は、肩で息をしながら呟いた。
膝が笑う。
痛みも疲労も、体のあちこちを蝕んでいた。
楽は、わざと大きく前のめりに崩れるようにして、地面に手をついた。
桜の花びらが、指先に張り付いた。
石畳の冷たさが、掌から腕へと登ってくる。
「おうおうおう?」
久瀬が、楽しそうな声を上げた。
「あんれェ!? もう限界かよ、クソガキ!!」
息が荒いのは、久瀬も同じはずだ。
それでも、その声にはまだ余裕があった。
「どうしたよォ!! さっきまでペラペラ喋ってた舌はどうしたァ!?」
「……」
楽は、返事をしなかった。
喉は、声を出そうと思えば出せた。
だが、ここで言葉を返すのは——役に立たない。
久瀬の鼻息が、近づいてくる。
「返事する元気も残ってねえかァ? だったらちょうどいい」
覇剣の重い音。
何かを引きずるような音と共に、一気に間合いを詰めてくる気配。
楽は、俯いたまま、目だけを上げた。
黒く染まった瞳が、真上から自分を見下ろしている。
「——あばよ!!」
覇剣が振り上げられる。
破壊と殺意を凝縮した一撃が、楽の頭上へと落ちてくる、その——。
瞬間。
「……っ!?」
久瀬の声が、そこで途切れた。
何かが「貫く」音がした。
べきり、と、肉と骨が同時に悲鳴を上げるような感覚。
久瀬の両足が、ぐらりと揺れた。
「な、なに……?」
視線を落とした彼の目に映ったのは——。
自分の足元から膝にかけて、突き上がるように生えた白緑の刃だった。
地面を割るように伸びたその刃が、靴底を、すねを、膝関節のすぐ下辺りまで貫いている。
出血は、不自然なほど少ない。
代わりに、傷口周辺の皮膚が白く変色し、そこから黒いひび割れのようなものが広がっていた。
破壊ではなく、「固定」。
久瀬の脚が、地面と一体化したかのように動かなくなっていた。
楽は、そこでようやく顔を上げた。
地面に着けていた右手。
その掌の下から、細いステレコスの枝が石畳の隙間を通り、地面の裏側を這い回るように伸びていたのだ。
根を伸ばす植物のように。
脚の裏から膝へと貫通するために、遠回りをして。
「……疲れて地面に手をついてたわけじゃないよ」
楽は、かすれた声で言った。
実際、疲れてはいた。
だが——この姿勢は、「仕込み」のためでもあった。
ステレコスは、「宿る」グリップ。
触れている場所に根を張り、そこから先へ形を伸ばす。
今の一撃は、地面を媒介にした“逆さまの突き”だ。
上からではなく、下から。
敵の足裏から、膝へ。
逃げ場のない位置へ、杭を打ち込むように。
「テメ……ッ、クソ……ガキが……!!」
久瀬が、歯を食いしばる。
覇剣を振ろうとする。
だが、膝から下が完全に固定されているせいで、踏み込みができない。
力任せに振れば、足そのものがちぎれる危険すらある。
そのことを、久瀬本人も本能的に理解したのだろう。
動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
楽は、そこで小さく息を吐いた。
「ボクの役割は果たした……次は君だ——澪」
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