第23話
紅い弧が、夜気を裂いた。
朱莉の薙刀――
腰の捻りから腕のしなりまで、全部が「攻める」ためだけに使われていた。
「っ——!」
玲司は、
金属同士がぶつかる甲高い音が、境内に響き渡る。
重い。
一撃一撃が、骨にまで響く。
(やっぱ……リーチ、長えな……!)
薙刀と剣。
単純な間合いで言えば、圧倒的に朱莉が有利だ。
紅罰は、柄の長さだけじゃない。
刃の根元から先端まで、エネビスが脈打つように流れている。
振られるたびに、夜の空気が紅く揺らめいた。
「ほらほら! 守ってばっかじゃ死ぬわよ!!」
朱莉が笑う。
獲物を追い詰める獣みたいな、楽しそうな笑い方だった。
右からの薙ぎ払い。
下からの斬り上げ。
そこから体を半回転させての突き。
攻めて、攻めて、攻めまくる。
玲司は、防戦一方だった。
鎖剣の刃で軌道を逸らし、
足を引いて間合いから逃げ、
時々鎖を固めて受け止める——。
一本でも直撃をもらえば、ただでは済まないのは分かっている。
紅罰の刃は、ただ「切る」だけじゃない。
切っ先に乗ったエネビスが、肉の奥まで抉る感覚を、さっきのかすめ傷で嫌ってほど味わった。
(でも——)
防ぎながら、頭のどこかは冷えていた。
(全部が全部、完璧な一撃ってわけでもない)
朱莉は、確かに攻撃のセンスがいい。
振りも鋭いし、躊躇いもない。
何より、「行く」と決めた瞬間の踏み込みが迷いなく鋭い。
だが——昨日の久瀬と同じく。
(自分の身の丈くらいの武器を振り回すのって、どんなに身体能力が強化されてても、簡単じゃない)
久瀬は、あのバカみたいな大剣を、さも当たり前のようにぶん回していた。
けれど、その中にも必ず「次」へ繋ぐためのタメや、連動が途切れる一瞬があった。
朱莉の紅罰も同じだ。
大きく振れば振るほど、軌道は読める。
連撃が続けば続くほど、そのどこかに「つなぎ目」が生まれる。
そこが——唯一のチャンスだ。
「ちっ……!」
受け流した衝撃が、腕から肩へと抜けていく。
しびれかけた指先を、玲司は力づくで握り直した。
「ねえねえ、そろそろ反撃しないと、本当にボロ雑巾にされるよ?」
少し離れたところで、楽が軽い声を飛ばす。
「分かってる……!」
「れ、玲司くん、無理はしないで……!」
澪の声が、夜風に混ざって耳に届いた。
(無理はしない。でも——)
朱莉の足が、砂利を踏む。
再び距離を詰めてくる気配。
(昨日、決めたろ)
怖いままでも、剣を振るう。
何もできなかった自分を、繰り返さない。
(守られるだけの立場でいるつもりは……もうねえよ)
朱莉が、紅罰を構え直した。
「今度はこっちから行くわよ!」
彼女は、柄を少し短く持ち替える。
薙刀のリーチを、半歩分内側に引き寄せる形だ。
踏み込み——突き。
紅い線が、一直線に伸びた。
玲司は身をひねり、ギリギリで肩口を滑らせる。
服の布地が、ざり、と鳴った。
布一枚分の距離。
「おっと」
次の瞬間には、薙ぎ払い。
避けた先を追いかけてくるような軌道。
「くっ……!」
鎖剣を横に立てて受ける。
刃同士がぶつかり、火花が散った。
膝がわずかに沈む。
衝撃が骨に響く。
(やっぱ、まともにやり合ってたらジリ貧だ……)
朱莉は、息を切らしながらも、笑っていた。
「どうしたの? 守るの得意なんでしょ? さっきから見てたけどさ」
紅罰をくるりと回し、再び構え直す。
「ねえ、防いでるだけで満足? それとも——」
唇が、意地悪く歪んだ。
「守るために戦うとか言って、結局何も守れなかったりするわけ?」
その言葉に、胸の奥がぴくりと反応した。
(分かってんじゃねえか)
図星だった。
水族館前。
久瀬。
楽の背中。
澪の震える手。
守りたかったはずなのに、何もできなかった過去。
それを、初対面に近い相手にえぐられる。
「……うるせえな」
声が、自然と低くなった。
「お?」
朱莉の目が、わずかに楽しげに細まる。
「効いた?」
「効いたよ」
自分でも驚くくらい、すんなり認められた。
「だから——」
鎖剣を、一度だけ肩に担ぐように持ち上げる。
「もう一回、やり直すんだろうが」
朱莉が、一瞬だけ眉をひそめた。
「……何、そのカッコつけたセリフ」
紅罰の刃先が、再びこちらを向く。
「——血迷った、ってちゃんと教えてあげる」
次の動きを読む。
これまでの朱莉のパターン。
踏み込みからの斜め斬り。
そこから、体を回転させての二撃目。
連撃の最後に、大きく薙ぐか突くか——。
玲司は、ぐっと鎖剣を握り直した。
(真正面から行く)
あえて。
(逃げ道を作らない)
楽や久瀬を見て学んだことは、多い。
けれど今は、自分の身体に叩き込んだ「鎖剣の特性」を信じたかった。
鎖——。
刃と腕を繋ぐ、それ。
ただの「拘束」だけじゃない。
(こいつは、“巻き付く”)
腕だけじゃない。
意識の向け方次第で、その範囲を広げることもできる。
(だったら——)
決めた。
玲司は、鎖剣を高く掲げた。
頭上。
月光を受ける位置。
がら空きの胴。
誰が見ても、「突っ込んでください」と言わんばかりの隙。
朱莉の目が、はっきりと見開かれた。
「あんた……」
その瞳に、嘲りと呆れと興奮が同時に灯る。
「——血迷ったわね!」
紅罰が、横一文字に薙ぎ払われた。
狙いは、腰の高さ。
胴を真っ二つにする軌道。
(——来い)
視界の端で、紅い線が膨らむ。
次の瞬間——。
ガンッ、と鈍い音が、骨の髄まで響いた。
「……っ、ぐ……!」
腹の奥が、内側から殴られたみたいに痛む。
肺から勝手に空気が漏れた。
だが——。
肉が裂ける感触は、なかった。
自分の胴を見下ろす。
そこには、紺色の鎖が巻き付いていた。
腕から、肩、胸、腹へと。
さっきまで手首と柄を繋いでいた鎖が、いつの間にかその範囲を広げ、胴体にまで絡みついている。
朱莉の薙刀の刃は、その鎖の表面を深く抉っていた。
鎖のいくつかは砕け、エネビスの火花を散らしている。
けれど——皮膚は切れていない。
「なっ……!?」
朱莉の方が、目を見開いた。
「なんで……今の、当たって——」
「当たって、はいる」
玲司は、歯を食いしばりながら声を絞り出した。
鎖が衝撃を吸収した分、刃は通っていない。
けれど、その衝撃自体は別だ。
内臓が、ぐしゃっと押しつぶされたような感覚。
胃のあたりが、熱い。
「……っ、げほ……!」
口の端から、鉄の味が滲んだ。
吐き出された血が、砂利に黒い染みを作る。
「ちょ、玲司くん!?」
澪の悲鳴が聞こえた。
楽も、目を細める。
「うわ、あれ普通の人間ならそのまま死んでてもおかしくないよ」
胃の奥が焼けるように痛い。
それでも——。
玲司は、笑った。
「——捕まえた」
鎖に弾かれた刃の、そのまま先。
紅罰の柄が、自分の左脇に引き寄せられている。
鎖剣の鎖が、紅罰の柄に絡みついていたのだ。
衝撃を逃がすと同時に、相手の武器を「捕まえる」ように。
「な……っ」
朱莉が、柄を引こうとする。
「離しなさいよ……!」
だが、鎖がきつく巻き付き、玲司の左腕と上半身も一緒に固定されている。
綱引きのような格好だ。
玲司は、紅罰の柄を自分の脇で挟み込むようにして、腰を落とした。
「うぐっ……!」
朱莉の肩に、驚きと焦りが走る。
「は、離して! キモいってば、この——!」
涙を浮かべながら、柄を引き剥がそうとする。
だが、単純な力比べなら、今は微妙に玲司の方が有利だった。
鎖のおかげで、衝撃は分散されている。
朱莉の方は、不意に引き込まれた形だ。
「や、やめ……何で離さないのよ!」
呼吸が荒い。
それでも、足は前へ出る。
じりじりと、距離を詰める。
紅罰は、もう大きく振れない。
柄の自由が奪われた薙刀は、ただの重い棒に近づいていく。
「っ、くそ……!」
朱莉は、握っている位置を変えようとした。
けれど、その瞬間——。
鎖剣の刃が、音もなく動いた。
玲司は、右手だけで鎖剣を操る。
鎖がピンと張られた状態で、その切っ先をゆっくりと朱莉の首筋へと滑らせた。
ひやり、と冷たい感触。
朱莉の喉元に、紺色の刃がぴたりと当たる。
「……っ」
朱莉の身体が、びくりと強張った。
喉の皮膚が、ほんのわずかにへこむ。
少しでも力を入れれば、皮一枚くらいなら簡単に裂ける距離。
夜風が、二人の間を抜けていく。
境内の外灯が、鎖剣の刃に白い光を映した。
口の中が、鉄の味でいっぱいだった。
腹も、肺も、軋むように痛い。
それでも、右腕にはまだ力が残っている。
(ここまで、来た)
今、初めて。
自分の意思で踏み込んで、自分の手で相手の「殺しのライン」に触れている。
鎖剣は、静かに震えていた。
その震えが、握っている手のひらに伝わる。
遠くで、楽の声がした。
「——玲司?」
いつもの軽い調子ではなかった。
澪の息を呑む音も聞こえる。
「れ、玲司くん……」
朱莉は、唇を噛んでいた。
強がって睨み返そうとしているけれど、喉に当たった刃の冷たさに、わずかに瞳が揺れている。
「……っ」
「殺しは無し」というこの戦いの前提。
それを、今の玲司は——一瞬だけ、完全に頭から抜け落としているように見えた。
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