第22話
3月9日、夜。
街外れの神社は、昼とはまるで別の顔をしていた。
住宅街から少し離れているせいか、車の音もほとんど聞こえない。
聞こえるのは、木々を揺らす風と、遠くの電車の走行音、そして——。
「——はい、もう一回。足、半歩外だよ、玲司」
ぴしり、と乾いた音が闇を裂いた。
境内の中央、薄暗い外灯の下で、
玲司は、汗をぬぐう暇も惜しんで、言われた通りに足幅を調整した。
「こう、か?」
重心を少し低くし、右足を外側へ。
腰をひねり、鎖剣を斜め下から振り上げる。
シュッ、と風を切る音。
空気が、わずかに震えた。
「うん、さっきより全然いいよ」
楽が、満足げに頷いた。
街灯に照らされたミントグリーンの髪が、夜風に揺れる。
「鎖剣は“振り回す”んじゃなくて、“軌道を通す”感じね。今のなら、ギリギリ『剣』って呼べる」
「ギリギリって言うな……」
息を吐きながら、玲司は鎖剣の刃を肩の高さで構え直した。
隣では、澪がセラフラインの形だけをなぞるように、弓を引く仕草を繰り返している。
彼女の手には今、グリップそのものはない。
けれど、エネビスの収束イメージを身体に覚え込ませるために、こうして「素振り」をしているのだ。
「九条さんって、やっぱり怖い人だね……」
ふと、澪が呟いた。
「え?」
「い、いや……昨日の話」
澪は慌ててこちらを振り向く。
「大学で会ったんでしょ? 九条さん。『敵になったらどうなるか分からない』とか言ってきたって」
「あー……」
玲司は、思わず頬をかいた。
(正直、思い出したくはないけどな……)
肉うどん。
伸びきった麺。
そして、その隣に座っていた、名門大学のエース。
静かで、冷たくて、でもどこか律儀な男。
「九条灯雅……だったっけ」
楽が、うんうんと顎に手を当てる。
「怖いけど、変な人だよね」
澪が、ぽつりと言った。
「だって、わざわざ『うどん伸びちまって悪かったな』って謝ってくれるんだよ?」
「そこだけ聞くと、割といい人っぽく聞こえるな」
「でも、言ってる内容はだいぶ物騒だよね」
楽が、くすっと笑った。
「『嘘だったら敵』って宣言してから自己紹介もしてないんでしょ? ちょっと面白い」
「面白いで片付けるな」
とはいえ、分からなくもない。
あの男は、久瀬とは別種の「危険さ」を持っていた。
(あいつも……いずれ戦場に出てくるのか)
同じ参加者。
グリップ使い。
今はまだ、たまたま大学の食堂で遭遇しただけだ。
けれど、この先、もっと直接的に関わることになる予感がする。
「——で」
楽が、ふと視線を神社の奥へ向けた。
「怖いけど変な人、って意味ではさ」
悪戯っぽい目をする。
「ここの常連さんも、似たようなもんだと思うけどね」
「は?」
何のことだ、と首を傾げた瞬間——。
「——同じ場所で訓練してるなんて、バカなんじゃないの?」
境内の入口の方から、聞き覚えのある声が降ってきた。
赤い鳥居の影から、ひとりの少女が姿を現す。
派手すぎない程度に染めた赤茶の髪をポニーテールにまとめ、短めのスカートにパーカー。
目つきの鋭さと、口元の意地の悪そうな線が印象的な顔。
「……お前か」
玲司は、思わず眉をひそめた。
以前、この神社で一度だけ遭遇したグリップ使い。
彼女は、こちらを見下ろすように見て鼻を鳴らした。
「何、その顔。忘れたとは言わせないけど」
「いや、忘れたくても忘れられないタイプだと思う」
楽が、さらっと言った。
少女——
「あ?」
「だって、印象が強烈だし」
楽は、いつもの調子で笑みを浮かべる。
「それに——玲司や澪はともかく、ボクはキミのことを全く脅威だと思ってないから、変える必要はないよね、この場所」
「っ……」
言葉の内容だけなら、穏やかとも取れる。
だが、その柔らかい声音が、かえって朱莉のプライドを刺した。
彼女の頬が、見る間に赤くなる。
「ちょっと。今、さらっと失礼なこと言わなかった?」
「事実を述べただけだよ。ボクの観測では、って注釈はつけてもいいけどね」
「はあ!? なにその言い方!」
玲司は、内心で頭を抱えた。
(楽、ほんと人を逆撫でするのだけは天才だよな……)
悪気はないのは分かる。
けれど、その「悪気のなさ」が余計にタチが悪い。
朱莉は、しばし睨みつけるように楽を見ていたが——やがて、ふん、と顔をそらした。
「……まあいいわ」
吐き捨てるように言う。
「どうせそのうち、いやでも私のことを脅威として見るようになるんだから」
「自己評価が高いね」
「自信があるだけよ」
朱莉は、こちらに向き直り、彼女はポケットから何かを取り出した。
黒金の紋様が入った紅のグリップ。
握り慣れた手つきでくるくる回しながら、朱莉は何気ない調子で言った。
「久瀬轟馬」
その名を聞いた瞬間、空気が強張る。
「昨日、隣の区で見たわ」
「……隣の区?」
玲司は、無意識に一歩前に出ていた。
「どの辺で?」
「駅前のロータリー。でっかい剣を持って、楽しそうに歩いてた」
朱莉は、肩をすくめる。
「周りの人間は、『コスプレかな』とか『撮影かな』とか言ってたけど……そのうち何人かは、足がすくんで動けなくなってたわね。あれは本能的に分かってる顔だった」
想像するだけで、背中に冷たいものが走る。
(久瀬が……また動いた)
水族館前の戦いから、一日。
奴はもう、次の「狩り場」を物色しているのかもしれない。
「——で?」
玲司は、朱莉を見た。
「わざわざ教えてくれるなんて、親切だな」
「皮肉?」
「半分は本心だよ。でも、残り半分は……」
玲司は言葉を選びながら続ける。
「初対面の印象が最悪だった相手からの好意的情報提供には、裏がありそうだなって思ってる」
「はあ?」
朱莉の眉がぴくりと跳ねた。
「誰があんたに好意なんて——」
「比喩だ」
「比喩でもムカつく!」
吐き捨てるように言ってから、朱莉はふっと口元を歪めた。
「でも、まあ。勘は悪くないわね」
グリップをくるくると指で弄びながら、彼女は続ける。
「もちろん、対価は払ってもらうわよ」
視線が、真っ直ぐこちらを射抜いた。
「私と戦いなさい。暮上玲司」
名前を呼ばれて、わずかに肩が揺れる。
(……やっぱり、そう来るか)
「何が目的だ」
鎖剣の柄を握り直しながら、玲司は問う。
「久瀬の動きが気になるから、情報の見返りに実地訓練を申し込んできた……ってだけには見えないんだけど」
「シンプルよ」
朱莉は、こともなげに言った。
「私の観測者が言っていたの。『グリップ使いは、戦えば戦うほどにそのグリップの性能を引き出せる』って」
観測者——。
彼女にも、担当の異人がついている。
「もちろん、ただ振り回せばいいって話じゃないけどね」
朱莉は唇の端を上げる。
「戦場で、『自分の役割』をちゃんと掴んで動けるかどうか。その経験値が、グリップの底を少しずつこじ開けていくんだって」
(……耳が痛いこと言うな)
昨日、フィースに触れられたばかりの話題だ。
そして、自分が一番意識している弱点でもある。
朱莉は、わずかに顎を突き出した。
「だから、相手になりなさい」
「断ると言ったら?」
玲司は、真正面から問い返す。
久瀬の件は気になる。
グリップの性能を引き出す、というのも分かる。
でも、だからといって闇雲に戦えばいいわけではないはずだ。
「断る理由ある?」
朱莉は、きょとんとした顔で言った。
「殺し合いじゃないわよ。訓練。あんたらもここでやってるじゃない」
「いや、そういう問題じゃ——」
「問答無用!」
こちらの言葉を、勢いよくぶった斬った。
「戦いの時間は有限なの。グリップ使い同士がまともにやり合える機会なんて、そうそう転がってない」
朱莉の口元に、薄く笑みが浮かぶ。
「それを逃すなんて、私の性に合わないから」
そう言った瞬間——彼女のグリップが、淡い光を帯びた。
「ちょっ——」
玲司が何か言うより早く。
「
低く呟かれた言葉と共に、グリップの形が変わる。
薙刀。紅をベースに金や黒の意匠を施した一振りが、月光に照らされる。
「いきなり来るねえ」
楽が、楽しそうに目を細める。こちらには目も向けずに、ふわりと笑みを浮かべた。
「玲司くん……あの子、多分加減を知らないタイプだよ」
「分かってる……!」
澪の注意に頷いた玲司は、
鎖が、腕に巻きついたまま微かに震えた。
「巻き込まないようにするから、澪は下がって」
「う、うん!」
朱莉は、一度だけ足元を確認するように視線を落とし——次の瞬間、地面を蹴った。
夜の境内に、乾いた足音が跳ねる。
そのまま、一直線にこちらへ。
「始めるわよ、暮上玲司!」
その軌道が、夜気を裂いて振り下ろされる——。
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