第17話
『転送舟』の内部には、空も窓もない。
天井からは柔らかな白光が降り、壁一面には数えきれないモニターが並んでいる。衛星写真のような俯瞰映像、心電図に似た波形、SNSのタイムライン、
中央には、滑らかな黒い円卓がひとつ。
そこを囲むように、八つの椅子が浮遊するように配置されている。
「——では、議題を整理しようか」
円卓の一席で、フィース・ラグランジュが静かに口を開いた。
彼の前のホログラムには、先ほどまでいた水族館前広場の映像がリプレイされている。
白いタイルが砕け、噴水がひしゃげ、巨大な赤黒い剣が地面を叩き割る。
その周囲を取り囲む無数の人間たち——そして、彼らが掲げたスマートフォンから発信された、数えきれない「目撃情報」。
円卓に座る他の七人も、それぞれ映像に視線を向けている。
一人は、長い前髪で片目を隠した少年——シグレ・オルト。
中性的な顔に感情の起伏はほとんどなく、あくびを噛み殺しているような気怠さを纏っていた。
その隣では、ユノ・アルマが頬杖をつきつつ、次々に流れるSNSの画面を楽しそうに追っていた。
ルゥ・クレアは、背筋を伸ばしたまま黙っている。
落ち着いた色合いの髪、穏やかな表情。だがその瞳には、人間たちの「選択の痛み」をどこか愛おしむような光が宿っていた。
反対側には、深紅の外套を肩にかけた女性——オーラ・マグラナ。
端正な横顔をモニターに向け、指先で空中に数字を走らせている。確率と統計の専門家、とでも言うべき存在だ。
その隣で、ザイファ・レメトリスが椅子を後ろ足だけで支えるように傾けている。
銀と黒のメッシュが入った髪、唇にはいつも皮肉めいた笑み。腕を組み、退屈そうに天井を眺めていた。
ヴァルト・ゼルガードは、がっしりした体躯を持つ男だ。
短く刈り込んだ黒髪に、鋭い眼光。腕を組み、映像の中の久瀬轟馬の動きをじっと観察している。その姿は、まるで戦場の軍人のようだった。
そして、円卓の最奥。
椅子の背にもたれ、片手で頬を支えているのがラグナ=ミル=ヴェリシアだ。
性別すら曖昧な中性的な容貌。淡い金髪が肩にかかり、瞳は紫水晶のように深い。
この八人の中でも、ひときわ「中心」にいる気配を纏っている。
「日本東京圏、水族館前広場での戦闘——」
ラグナの声は、低くよく通る。
「現地時間3月7日14時19分から、約5分間。久瀬轟馬と昼間楽による交戦。周囲には一般人約200名。
指を鳴らすと、空中に数字の羅列が浮かぶ。
「映像・写真・ライブ配信は、全て消去済み。アップロード元の端末からも。だが——」
別のホログラムが開いた。
そこには、日本語、英語、中国語、その他複数言語で書かれた短文が次々と流れている。
『水族館の前でヤバいの見た』『地面が爆発した』『でっかい剣振り回すコスプレ? いやガチだった』『人間やめてる筋力』『動画消されたんだけど??』
ハッシュタグがいくつも踊る。
「言語情報、目撃談、噂の拡散は、『あえて』制限していない」
ラグナは、淡々と続けた。
「『今後』のことを考えれば、少しずつ情報公開はしていくべきだ。——これでいい」
「賛成」
真っ先に応じたのはユノだった。椅子の上で足をぶらぶらさせながら、にこりと笑う。
「人間たちが、未知の力の存在を“物語”として受け止め始めるには、ちょうどいいスパイスだと思うな。いきなり全部見せるより、こうやって少しずつ世界観をアップデートしてあげた方が、パニックが可愛くて済むし」
「可愛いかどうかは知らないけどね」
ルゥが苦笑する。
「でも、段階的に慣らす方が、後々の『選択』の幅は広がる。全くのゼロ認識と、薄ぼんやりとした噂レベルでは、決断の重さが変わるから」
「ふん。長期計画はともかく——」
ヴァルトが腕を組み直す。
「確認しておきたいのはひとつだ。『他の異域からの干渉は観測されていないのだな?』」
その問いに、オーラが手元のパネルを弾いた。
「——今のところ、ないわ」
彼女の周囲に、色分けされた立体マップがいくつも浮かぶ。
「
「ならいい」
ヴァルトは短く息を吐いた。
「グリップの技術流出は、絶対に避けなければならない。これは私たち以外が持つべき道具じゃない」
「終始徹底しろ、ということだね」
フィースが引き取る。
その声には、いつものように感情の起伏はほとんどない。
「映像・物質・構造情報は全て制限。だが、人間たちの語りと推測までは縛らない。——今は、その方針で一致している、ということでいいかな?」
「異議なし」
シグレが、小さく手を挙げた。
無表情なまま、あくびを一つ噛み殺す。
「その方が、観察対象としても面白いしね。知らないまま死ぬか、何かを知った上で選ぶか——反応に差が出る」
「面白いが基準なのはどうかと思うけれど」
ザイファが笑う。
「でもまあ、情報統制を完璧にやろうと思えば出来る、という点は人間たちに知られない方がいいわね。自分たちがコントロールされている、と悟った瞬間のパニックは……さすがに後処理が面倒そうだし」
「その前に、このゲームは終わるさ」
軽い調子でそう言ったのは、ラグナだった。
その指先が、別のホログラムを弾く。
空中に浮かび上がったのは、150の小さな光点。
それぞれに番号と簡単なステータスが付記されている。
しかし、ところどころに穴が空いていた。
灰色に沈んだ光点、“DEAD”と“LOST”の文字。
「初期参加者は150人」
ラグナが数値を読み上げる。
「本日3月7日14時時点での生存者は——122人。すでに二割近くが脱落している」
円卓の周囲の空気が、わずかに冷えた。
「まだ一週間も経っていないのに、か」
ルゥが小さく呟く。
「このペースが続けば——」
「続かないよ」
ユノが、それを遮った。
「人間って、最初の一撃を見た後の『学習速度』が面白いくらい上がるから。今はまだ、“何が起きているのか”を理解していない個体が多いけど……ここから“ルール”を把握した個体が増えるほど、戦いは質的に変わる」
「ラストまで残るのは、数十人ってところかね」
ザイファが肩を竦める。
「それとも、一桁台まで絞る? 賭けるならどっち?」
「賭け事はルール違反だよ、ザイファ」
フィースが、軽く笑った。
だが、その瞳は冷静に、光点のひとつを見つめている。
『久瀬轟馬』。
その隣に並ぶ、異様な数値——“Kill:12”。
水族館前での戦闘を除いても、彼はすでに多くの参加者を「殺害」という形で脱落させている。
「さっきの戦闘で、彼は脚部にダメージを負った」
フィースが淡々と告げる。
「致命傷ではない。だが、『初めて決定的な隙を晒された』という点で、彼にとっては意味のある一撃だったはずだよ」
「彼を削ったのは、キミの担当じゃないか」
ヴァルトが問う。
「『楽』と、その周辺。評価は?」
「興味深い、の一言だね」
フィースは肩をすくめる。
「楽自身は、想定通り。適応力と解析能力で
別の光点が強調表示される。
No.14『暮上玲司』。
そして、No.29『朝田澪』。
「水族館での交戦は、本来ならば避けられたはずだ」
フィースは続ける。
「それでも、久瀬は動いた。楽はそれを受けた。澪は撃ち、玲司は撤退経路を選んだ。——それぞれが、それぞれの『選択』をしたということだ」
「担当者目線が混ざっているよ、フィース」
ルゥが穏やかに笑う。
「でも、同意。あの三人は、今後の局面を大きく揺らす可能性がある」
指先が空を弾いた。
光点が、ゆっくりと再配置される。無数の線が繋がり、ネットワークを形作っていく。
参加者同士の交戦履歴。
接触の可能性。
地域ごとの密度の偏り。
その中で、いくつかの点が、他よりも濃く光った。
『久瀬轟馬』。
『楽』。
『暮上玲司』。
『朝田澪』。
「——これから、戦いはもっと激化する」
ラグナの声が、わずかに低くなった。
「数だけの問題ではない。『殺し方』を知っている者と、『殺し方』を覚えつつある者たち。その交錯が始まる」
「楽しいフェーズだね」
ユノが笑う。
「
「——楽しみ、か」
フィースは、目を伏せた。
円卓の光が、銀灰色の睫毛に淡く反射する。
彼の脳裏には、水族館前広場から逃げる三人の背中が浮かんでいた。
息を切らしながら走る楽。
まだ震えの残る足で、それでも前を見ている澪。
そして、自分を「何もできなかった」と責めながら、それでもグリップを手放さなかった玲司。
(——近日中に、一つの決着があるだろう)
それは、誰か一人の死、という意味だけではない。
久瀬轟馬という「怪物」が、自分の無敵を初めて疑う瞬間。
楽たちが、自分たちの「戦い方」を本当の意味で選び取る瞬間。
あるいは、ルゥの担当者が、この戦いのバランスそのものを変える一手を打つ瞬間。
どれが先に来るかは、まだ分からない。
だが——確実に何かが「形」になる。
フィース・ラグランジュは、静かに目を開けた。
「必要な観測と介入は、こちらで続けるよ」
そう告げて、彼は円卓の光の一つを、指先でそっと撫でた。
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