第9話

 20時。バイト終了後。


 駅前の喧騒から電車で二駅。そこからさらに十分ほど歩いた先に、その神社はひっそりと佇んでいた。


 街灯の数が目に見えて減り、コンビニもない住宅街の端。

 鬱蒼とした木々に囲まれた石段を登りきると、古びた鳥居と、歪んだ瓦屋根の拝殿が現れる。


 手水舎の屋根はところどころ錆び、絵馬掛けには何年取り替えられていないのか分からないほど色褪せた木札が残っている。

 足元の石畳には割れ目が走り、雑草が隙間から顔を出していた。


 そして、境内から少し離れた夜空の向こうには、ガラスとライトに彩られた五重塔がそびえ立っている。

 昨年、観光協会の肝入りで建て替えられたという、ピカピカのランドマークだ。

 夜間ライトアップされたそのシルエットは、写真映えするスポットとして若者の間で人気らしい。


(そりゃあ、こっちには誰も来ないよな)


 鳥居の前で足を止め、玲司は苦笑した。


 対してこの神社は、街の開発計画から外された古いままの姿。

 お参りに来るのは近所の高齢者と、たまに迷い込む猫くらいだろう。


「いい場所だね」


 そう呟いたのは、玲司の隣に立つ楽だった。

 ミントグリーンの髪は、今日は後ろでひとつにまとめられている。

 上は薄手のパーカー、下は動きやすいジャージ――色はいつも通り、淡い緑系統だ。


人気ひとけが少なくて、視界もそこそこ開けてる。多少派手にやっても、誰も気づかなさそう」


 玲司は肩をすくめ、自分の服装を見下ろした。

 濃紺のジャージに、同系色のパーカー。靴もダークグレーだ。

 鏡で見たときはそこそこ「それっぽい」スポーツスタイルだと思ったが、楽の隣に立つと、どうしても普通の高校生にしか見えない。


「ごめーん! 待った?」


 石段の下から駆け上がってくる足音と共に、明るい声がした。

 息を弾ませながら鳥居をくぐってきたのは澪だった。


 淡い水色のパーカーに、白のショートパンツ。膝までのレギンスとスニーカーも白で統一されていて、街灯の少ない境内でも、彼女だけ少し光っているように見える。


「遅刻、ギリギリセーフ?」

「集合五分前だからセーフだな」


 玲司はスマホの時計をちらりと見て、頷いた。


「ごめんね、晩ごはん食べるのがちょっと遅くなって……お母さんに『どこ行くの?』って聞かれたから、適当に『神社で軽く運動してくる』って」

「……まあ嘘ではないな」


 実際、「軽く」で済むかは怪しいが。


「さて」


 楽が、ぱん、と手を叩いた。


「じゃあ始めようか。今日のメニューは、まず“自己紹介”」

「自己紹介?」


 澪が首を傾げる。

 楽は、それが当然かのように続けた。


「グリップの、だよ。持ち主じゃなくて、武器の“素性”を把握するところから。名前、形状、特性。どういう戦い方に向いているのか。今日はそれを確認するだけで終わりにしよう」


「……基礎の基礎って感じだな」

「ここをすっ飛ばすから、皆ろくに使いこなせないまま死ぬんだよ」


 さらっと物騒なことを言いながら、楽は鳥居の内側、境内中央の少し開けた場所まで歩いていく。


 夜の神社は、昼間とは違う顔を見せていた。

 参道脇の石灯籠にはもう灯りはなく、頭上の木々が視界を狭くしている。

 しかし、逆にその「囲まれた感じ」が、外界から切り取られた訓練場のようにも思えた。


「よし、この辺ならいいかな」


 楽が足を止める。


「じゃあ――まずは、普通に『グリップを顕現させる』ところから。順番は……主役の玲司からでいい?」

「主役って言うな」


 文句を言いつつも、玲司は右手をポケットに突っ込んだ。

 冷たい金属の感触。


 取り出したそれは、見慣れた「柄」だった。

 長さ二十センチほどの無骨な金属塊。表面には、深い紺色のラインで幾何学的な紋様が刻まれている。

 その紋様が、心臓の鼓動に合わせて、かすかに明滅した。


(何度見ても、いまだに異物感すごいな……)


 手のひらに乗せると、重さがじんと腕に伝わってくる。

 日常に紛れ込んだ戦場の断片。

 それを、玲司はしっかりと握り込んだ。


「――鎖剣グラティナ


 小さく呟き、親指でグリップのスイッチを押し込む。


 次の瞬間、紋様が青白く閃いた。

 金属の中から、何かがほどけ出すような感覚。ジャラリ、と鎖が飛び出し、玲司の右腕に巻き付いていく。


 手首から肘まで、鋼鉄の鎖が幾重にも絡みつき、皮膚と金属が一体化するように沈み込む。

 重さと冷たさが、同時に血管の中へと流れ込んでくる。

 それと同調するように、胸の奥のエネビス器官が脈動した。


「……」


 視界の先には、一振りの剣があった。


 柄からまっすぐ伸びた刀身は、無駄な装飾のない直線的な形状。

 刃は厚く、色は深い紺色。まるで深海の底を切り出してそのまま鍛えたような、暗い光沢を帯びている。

 切先からは、かすかに青い粒子のようなものが立ち上っていた。


「これが――俺の、鎖剣グラティナ


 名前は、頭ではなく、胸から自然と湧き上がってくる。

 何度も使うたびに、その響きが自分の一部になっていくような感覚。


「うん。やっぱりきれいだね。形はごついけど」


 楽が、興味深そうに近づいてきた。


「鎖の接続も安定してる。前回の戦いで、グリップとのリンクが一段階深まった感じかな」

「よく分かるな……」

「何となくね。慣れれば誰でも分かるさ。たぶん」


 そう言いながら、楽はグリップを顕現させていない左手で鎖をつまんだ。


「特徴は、やっぱり拘束と軌道制御だね」

「軌道制御?」


「この前、斧の軌道を捻じ曲げたでしょ。あれ、偶然じゃないよ。鎖剣は『接触した物体の運動方向を、自分の意志でずらす』のに向いてる。推進力そのものを消すことはできないけど、横に逃がしたり、地面に叩きつけたりはできる」


「物理をねじ曲げてないかそれ」


「接続の仕方を変えてるだけだよ。世界は意外と融通が利くんだ」


 さらっと宇宙規模のことを言いながら、楽は数歩下がった。

 これまでは自分でいなしていると思っていたが、流石に鎖剣グラティナの特徴か。素人が本気の振りを簡単にいなせるもんじゃないよな。


「あと、鎖自体も打撃にも鎧にもできる。中距離での制圧と、近距離での防御。その両方をこなせるバランス型だね」


「……言われて初めて自覚するな」


 鎖剣を軽く振る。

 自分の体の延長線上に、もう一本腕が生えたような感覚。

 使いこなせるかどうかは別として、ポテンシャルだけはやたら高い気がする。


「じゃ、次はボクかな」


 楽は一歩前に出た。

 パーカーのポケットから取り出したのは、薄緑色のグリップだ。

 玲司のものよりも少し細く、表面には植物の蔓のような紋様が刻まれている。


「――宿木ステレコス


 楽がスイッチに触れた瞬間、グリップから光が溢れた。

 それは炎でも電気でもない。淡い黄緑色の、揺らめく光。


 ひゅるり、と風が吹き抜けたような音と共に、楽の右手には「枝」のような形状の何かが握られていた。


 最初は細い棒に見えたそれが、楽の意志に応じるように、滑らかに変形していく。

 ブレード状に伸びたかと思えば、すぐにまた収縮し、今度は棘を持った槍のような形になる。


「……相変わらず意味が分からんなそれ」

「誉め言葉として受け取っておくよ」


 楽は楽しげに笑い、最終的に「剣」の形に落ち着かせた。


 ただし、その剣は玲司の鎖剣とはまるで違う。

 刀身は半透明で、薄く、どこか現実感が希薄だ。光の粒が内部を流れ、時折形が揺らぐ。

 まるで、樹の枝に宿った光そのものを刃にしたような印象。


宿木ステレコスは、“形態可変型”」


 楽は、自分の武器を紹介する。


「基本は、刃の長さも厚みも密度も、ボクのイメージ通りに変形できる。接触したものの性質を“なぞること”もできるし、その逆に“切り離すこと”もできる」


「性質を、なぞる……?」


「例えば、鉄を斬る時に、刃の一部だけ鉄に“同調”させてから、そこだけ切断するとか。一昨日の鞭男のグリップを粉砕した時は、あっちのエネビスの流れを“遮断”してから、物質としての強度だけにした上で叩き割った」


「……聞いてて頭痛くなってきたんだが」


 玲司が眉を押さえると、澪も「う、うん……なんか難しいね」と苦笑した。

 楽は肩をすくめる。


「要は、『相手がどんな性質の攻撃をしてきても、だいたい対応を後出しで合わせられる』ってこと。ステレコスは、適応と解析に特化した武器だよ。ボクみたいな“感応者”との相性もいい」


「チートってやつでは」


「その分、エネビスの消費も激しいからね。長期戦になると、ボクの方が先にガス欠になる」


 そう言って、楽は光の剣をくるりと回転させ、ふっと消した。

 光は霧のように散り、再び細いグリップだけが残る。


「じゃあ、最後は――澪」


 急に名前を呼ばれ、澪はびくりと肩を震わせた。

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