第4話
夕暮れの商店街は、一日の終わりを惜しむようなオレンジ色の光に包まれていた。
スーパーの特売のアナウンス。自転車のブレーキ音。学生たちの笑い声。
そんな平和な風景の中を、奇妙な組み合わせの三人が歩いている。
玲司とその幼馴染である朝田澪。そしてひと際目立つミントグリーンの髪を揺らす楽だ。
「玲司くんにこんなに綺麗な髪の毛の友達がいるなんて驚いたよ」
澪が興味深そうに楽の顔を覗き込んだ。
「楽くんはご両親が外国の方なの?」
「うーん。ボクのいたところには国っていう概念がないからなぁ」
「……うん?」
澪がキョトンとした顔で玲司を振り返った。
「……楽は帰国子女でまだ日本語は勉強中なんだよ」
玲司は適当な嘘をついて誤魔化した。
澪は苦笑しながらも、警戒心は抱いていないようだ。楽の持つ、どこか浮世離れした無邪気さが、不審さを中和しているらしい。
「不思議な雰囲気の友だちだね」
澪が玲司に耳打ちする。
不思議な一言で片付けてもらえればそれほどありがたいことはないと、玲司は安堵した。
(楽についてこれ以上の説明はする必要はなさそうだな。)
「あ、そうだ。これ食べる?」
澪はスーパーの袋から、個包装されたチョコレートを取り出し、玲司に渡す。
「新商品なんだって。楽くんも、お近づきの印に」
「どんな味か楽しみだ! ありがとう澪」
楽は遠慮なく受け取り、包装を器用に剥いて口に放り込んだ。
「んー! この融点の絶妙な設計! これがチョコレートか」
「よかったらもう一ついる?」
「やった! 澪は
他愛のない会話。
噛み合っているようで噛み合っていない、けれど穏やかな時間。
玲司は二人の後ろを歩きながら、胸が締め付けられるような感覚を覚えていた。
これが日常だ。
昨日まで、玲司が当たり前だと思って享受していた世界。
澪の笑顔も、商店街の雑踏も、何も変わっていない。変わってしまったのは、玲司だけだ。
カバンの中には、あの冷たい金属塊――『グリップ』が入っている。胸の中には別種である
この平和な景色の裏側で、150人の人間が殺し合いを始めているなんて、澪は夢にも思わないだろう。
(……巻き込みたくない)
強くそう思った。
澪は、この狂った戦いとは無縁の場所にいてほしい。彼女の日常を壊したくない。
「じゃあね玲司くん。楽くんも、今度ゆっくりお話ししようね」
家の前の分かれ道で、澪が手を振った。
「うん、またね澪! また食べ物の提供をお願いするよ!」
「わかった。またお菓子持っていくね」
澪は苦笑しながら自宅の方へ歩いて行った。
「……澪!」
「なーに?」
「……最近物騒だから、気をつけろよ! なんかあったらすぐ警察とか、俺のこと呼べ!」
「わかったー! ありがとう玲司くん!」
澪は大きく手を振ってから、また家の方へと歩き出した。
「優しいね」
「そんなんじゃないよ」
澪の歩いていく背中を見て、玲司は何か言わずには居られなかった。
これは澪のためというより、玲司自身のためだ。ただの自己満足で、彼女を無駄に怖がらせたかもしれない。
少し歩いた先の十字路で楽は立ち止まり、「じゃあ、ボクの家こっちだから」と、玲司の家のある方と反対方向へ歩いていった。
異人である楽は家を借りることができるのか。そもそも戸籍は偽造したのか。
玲司の頭にはふとそんな疑問が浮かんだが、そんなことはすぐにどうでも良くなった。
玲司は一人、自宅の方へ歩き出した。
◇
自室に入り、電気をつける。
見慣れた勉強机。読みかけの漫画。壁に貼ったカレンダー。
玲司はカバンを放り出し、ベッドに倒れ込んだ。
静寂が、耳に痛い。
楽や澪と別れて一人になると、途端に不安が黒い霧のように心を満たしていく。
『最後の一人になれば望みを叶えられる』
フィースの言葉が脳裏に蘇る。
最後の一人。それはつまり、他の百四十九人を蹴落とすということだ。殺すか、再起不能にするか、あるいは心を折るか。
玲司は自分の手を見つめた。
昨日の夜、あの鎖剣を握った感触がまだ残っている。重く、冷たく、そして刺々しい暴力の予感。
「……できるわけないだろ」
玲司の呟きは、誰に聞かれることもなく空気に溶けた。
俺は、つい先日まで高校生だったただの人間だ。
殴り合いの喧嘩なんてしたことない。虫を殺すのだって多少躊躇うくらいだ。
そんな人間が、命のやり取りなんてできるはずがない。昨日は楽を守るために必死だったから動けただけだ。もし、自分から誰かを襲わなければならない状況になったら?
想像するだけで、吐き気がした。
今すぐグリップをフィースに返せばいい。あるいは、どこかの道端に捨ててしまえばいい。
そうすれば、この悪夢から覚めることができる。
昨日の恐怖も、フィースの不気味な笑顔も、楽という異人の存在も、全て忘れて。
明日の朝には、何も知らなかった頃の「暮上玲司」に戻って、澪と学校へ行き、バイトをして、平凡な毎日を過ごすことができる。
(それが、一番賢い生き方じゃないか?)
悪魔の囁きが聞こえる。
お前ごときが英雄気取りで戦ったところで、どうせ死ぬだけだ。無駄死にするより、記憶を消して幸せに生きたほうがいい。誰も責めない。誰も気づかない。
安全な日常に戻ろう。
怖い思いなんてしなくていい。責任なんて負わなくていい。
「……っ」
玲司は枕に顔を埋めた。
逃げたい。心の底からそう思う。
でも、もし俺が逃げたら。
記憶を消してヘラヘラ笑っている俺の隣で、誰かが犠牲になったら?
例えば、澪が巻き込まれたら?
俺はそれを知ることもなく、助けることもできず、ただのうのうと生きていくのか?
『それは、無責任だ』
楽の声がリフレインする。
嫌だ。
それだけは、嫌だ。
自分が傷つくのは怖い。でも、自分が知らないところで大切なものが壊されるのは、もっと怖い。
「どうすればいいんだよ……」
答えは出ない。
進むも地獄、引くも地獄。
堂々巡りの思考の中で、玲司は泥沼に沈んでいくような閉塞感を感じていた。
――ドクン
心臓が、大きく跳ねた。
いや、心臓じゃない。その付近に埋め込まれた『エネビス器官』が脈打ったのだ。
同時に、床に転がしていたカバンの中で、カタカタと何かが暴れる音がした。
「……え?」
玲司は跳ね起きてカバンを開ける。中に入っていた『グリップ』を握ると、自分の体内と同じリズムで脈動しているのが分かった。
しかし程なくして脈動は弱まり、消えた。
昨日と一緒だけど……すぐに治まった。
この現象はおそらく、敵が近くにいるってことなんだろうけど……離れたのか。なぜ……?
「……俺以外のターゲットを見つけた?」
嫌な予感がする。他のグリップ使いならまだしも、戦いと無関係の人を狙っていたとしたら……?
その瞬間、脳裏に澪の顔が浮かんだ。
玲司は拭い切れない不安を抱えながら、玲司はそのまま家を出る。
—―連絡しておくか。
玲司は走りながら澪に電話する。
プルルルル。待機音声が虚しく響く。
—―繋がらない。
玲司の焦りとともに澪の家に向かって走る速度が上がる。
2分ほどして澪の家が見えてくる。
その裏の路地から微かに、悲鳴が聞こえた気がした。
「――ッ!!」
頼む、違ってくれ。
俺の勘違いであってくれ。
だが、角を曲がった先の路地裏で、玲司が見たものは、最悪の現実だった。
「いや……こないで……っ!」
突き当たり。ゴミ捨て場の金網に背を預け、へたり込んでいる少女――朝田澪だった。
そして、彼女の前に立ちはだかる影。
大柄な男だ。作業着のような服を着ていて、その手には異様な凶器が握られていた。
グリップから伸びる、無骨で巨大な手斧。刃渡り三十センチはあるだろうか。分厚い刃が、月光を反射して鈍く光っている。
「へへ……悪いな、嬢ちゃん」
男の声はしゃがれていた。目は血走り、焦点が定まっていない。
「遠くにもう一人いたんだけどよ、近い方を先に潰すのがセオリーだよな」
「な、なに言ってるの!」
澪が震える声で叫ぶ。
男はニタリと笑い、手斧を振り上げた。
「恨むなよ! 俺も必死なんだわ!」
風を切る音。
凶悪な刃が、澪の細い首を狙って振り下ろされる。
殺される。
その光景がスローモーションのように見えた。
「やめろぉぉぉぉぉぉッ!!!」
玲司は吠えた。
恐怖も、迷いも、逃避願望も、全てが消し飛んだ。
ただ、守らなければならないという本能だけが、彼を突き動かした。
走りながら、グリップのスイッチを押し込む。
ジャララッ!!
青い光と共に、鋼鉄の鎖が右腕に絡みつく。
玲司は跳躍し、男と澪の間に割って入った。
ガギィィィンッ!!
金属同士が激突する、凄まじい火花。
鎖剣の刀身で、振り下ろされた手斧を受け止める。
—―重い。
圧倒的な質量。膝が砕けそうになる。
「ぐ……っ!」
「あ!? お前……」
男が驚いたように目を見開いた。
玲司は歯を食いしばり、男を睨み上げながら、背後の澪に向かって叫んだ。
「逃げろ、澪ッ!!」
「玲司……くん……?」
日常が壊れる音がした。
もう、後戻りはできない。
玲司の、本当の戦いがここから始まる。
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