第3話

 三月三日、15時。


 駅前のファミレスは、遅めのランチをとる客や、放課後の高校生たちで適度に賑わっていた。

 ドリンクバーのメロンソーダをストローで吸い上げる音。食器が触れ合う音。

 そんな平和な喧騒の中に身を置きながら、暮上玲司は目の前の光景が現実なのか疑っていた。


「うん、美味しい! この『ポテトフライ』って最高だね!」


 向かいの席で、昼間楽が満面の笑みを浮かべてフライドポテトを頬張っている。

 ミントグリーンの髪が揺れ、華奢な指先が次々と芋を口に運んでいく。その姿はどこからどう見ても、育ちの良い美少年だ。昨夜、光の剣で大の大人を瞬殺した『異人エンター』だなんて、誰も信じないだろう。


「……お前、よくそんなに能天気に食えるな」


 玲司は深い溜息をついた。

 昨日の戦闘のせいで、体中が痛い。傷は楽の不思議な力で塞がったが、打撲の痛みと筋肉痛、何より精神的な疲労が抜けきっていない。


「エネルギー補給は大事だよ、玲司。特にこの世界の食べ物は味が多様で面白い」


 楽はポテトを齧りながら、悪びれもせずに言った。


「で……話の続きだ。ちゃんと説明してくれよ。お前が何者で、ここがどうなってるのか」


 玲司が睨むと、楽は「あ、そうだった」と手を拭き、少しだけ真面目な顔になった。


「まず、ボクの出身地についてだね。ボクは『異域エンタリア』から来た。君たちの言葉で言えば、異世界とか別次元ってやつかな」

異域エンタリア……」

「そう。そして、君たちが住んでいるこの世界を、ボクらは『繚域ディアト』と呼んでいる。複数の世界が交錯して進行する領域、って意味だよ」


 そういっておもむろにグリップを取り出す楽。


「観測者が配布した『グリップ』は、ただの武器じゃない。あれは制御装置デバイスなんだ。使用者の体内にある『エネビス器官』とリンクして、そのエネルギーを物理的な力に変換する」

「……は? エネビス器官?」


 聞き慣れない単語に、玲司は眉をひそめる。


「君の体の中にもあるよ。心臓の近くに移植してある」

「えっ」


 玲司は反射的に自分の胸を押さえた。ドクン、と心臓が跳ねる。


「い、いつの間に……!?」

「5日前かな。『技術者』が君が寝ている間にこっそりとね。痛くなかったでしょ?」

「そういう問題じゃない! 勝手に人の体を改造したって言うのか!?」


 玲司が声を荒げると、周囲の客がギョッとしてこちらを見た。玲司は慌てて声を潜める。


「……取り出せないのか」

「無理だよ。もう君の身体と完全に融合してる。無理に取ろうとすれば死んじゃうね」


 楽はポテトをつまみながら、さらりと言い放った。

 悪意はない。ただ事実を述べているだけだし、楽がやったわけじゃない。それが余計に玲司を戦慄させた。


「でも良かったじゃん。昨日致命傷は避けていたとは言え結構死にかけだったよね? 全回復してるのはエネビス器官のおかげだよ」


 マッチポンプってやつじゃないかそれは……。


「エネビスは感情、特に生存本能や闘争心に反応して高まる。だから観測者たちは、ボクたちに『殺し合い』という極限状況を提供したんだ。どの個体のエネビスが、どんなグリップの進化を引き起こすのか……それを観測するためにね」


 玲司は拳を握りしめた。

 理不尽だ。あまりにも一方的すぎる。

 自分たちは、ただのデータ収集のために命を懸けさせられているのか。


「……お前も、その『観測者』の一人なんだろ」

「違うよ」


 楽は即答した。


「君たち繚域ディアトの民、それぞれに色んな役割があるように、ボクにも『感応者』という役割がある。職業みたいなものだね」

「感応者?」

「異人は感情が無いわけじゃないけど希薄だ。でもボクは、繚域ディアトの民と遜色ないほどの感受性を持っている。だから、実際に色んな体験して感じる役割なんだ」

「それが、俺たちの世界に来た理由で、異人なのにも拘わらず戦ってる理由?」

「そうだよ」


 楽はポテトの手を止め、少しだけ遠くを見るような目をした。


「おやおや、随分と仲良くなっているじゃないか」


 不意に。

 二人のテーブルに、影が落ちた。

 玲司が顔を上げると、そこに立っていたのは――昨日の男だった。

 仕立ての良いスーツ。理知的な眼鏡。そして、周囲の誰からも認識されていないような希薄な存在感。


「フィース……!」


 玲司が身構えるより早く、フィースは当然のように空いている椅子――玲司の隣に腰を下ろした。


「やあ、玲司くん。そしてオラクル……いや、今はらくと名乗っているんだったね」

「やあフィース。相変らず陶器のように美しい肌だね」

「異人で顔の美醜感覚を持っているのはキミくらいだよ」


 楽は嫌そうな顔もせず、ひらひらと手を振った。二人は顔見知り、それも同郷の知り合いといった雰囲気だ。


 オラクルというのは楽の本名だろうか。

 オラクルの真ん中の『ラク』を取ってらく、玲司は安直だと思った。


「経過観察だよ。まさかキミが直接介入するとは思わなかったがね」


 フィースは玲司の方を向いた。

 その瞳は、やはり冷たく澄んでいる。


「どうだい、玲司くん。初めての『使用』の感想は」

「……最悪ですよ。こんなもの渡して、何が目的ですか」

「説明したはずだよ。最後の一人になれば、望みを叶える。それは嘘じゃない」


 フィースはテーブルに肘をつき、指を組んだ。


「富でも、名声でも、永遠の命でも。物理法則そのものを変えるとかは、さすがに僕らの技術力を持ってしても不可能だけどね」


 そう言ってフィースは苦笑する。


「150人の参加者。その頂点に立つ資格があるのは、最も強い『エゴ』を持つ者だけだ。キミには期待しているよ」


 そのエゴによって命を落とす可能性があり、自分も誰かを殺さなければならない時が来るかもしれない。玲司は少し寒気がしてきた。


「殺す以外の決着の方法もある」

「なに?」

「それも含めてルールを確認しておこうか」


 まるで玲司の懸念を見破るかのように、フィースは答える。


「ルールその一、参加者は『期間中にグリップを使用した戦闘行為を5回行う』という条件を満たせば自主的に脱落することが出来る。ただし、脱落する際は期間中の記憶が全て抹消される。ルールその二、観測者の裁定の下、勝利者は敗北者に対して『相手の期間中の記憶を消して脱落させる』、もしくは『自らの手で殺害する』の二つの選択肢を取れる」


 指を一つ、二つと立てながら説明し終えたフィースは、コーヒーを口に含み喉を潤した。


「つまり、必ずしも殺し合わなくてもいいし、何なら十分な回数戦えば降りることも出来るってことか」


 フィースは同意の意味を込めて頷く。

 少し希望は見えたが、イマイチ釈然としないのはなぜだろうと、玲司は自問する。

 これ以上質問は出ないとみてか、フィースは席から立ち上がった。


「今日は挨拶だけだ。これからの戦い、楽しませてもらうよ」


 そう言って背を向けると、数歩歩いてから思い出したように振り返った。


「ああ、そうだ。このコーヒー代、キミにおいていいかな? あいにく、この世界の通貨を持ち合わせていなくてね」


 見ると、伝票入れにはいつの間にか一枚の伝票が追加されていた。コーヒー一杯分、250円。


「では、また」


 フィースは今度こそ、店内の喧騒の中に消えた。

 残されたのは困惑と理不尽な250円の請求だけだ。


「なんなんだアイツ……」


 玲司が頭を抱えると、楽は「フィースはケチだからね」と他人事のように笑って、最後のポテトを口に放り込んだ。


         ◇


 店を出ると、日は少し傾きかけていた。

 冷たい風が吹いている。

 日常の風景は変わらないのに、玲司の世界だけが決定的に変質してしまっていた。胸の中に埋め込まれた異物――エネビス器官。カバンの中のグリップ。そして隣を歩く異人の少年。


「さて、次はどこに行く? 玲司の家?」

「勘弁してくれ。今日はもうお腹いっぱいだ」

「少食だね。あんまり食べてなさそうだったけど」

「……」


 もう何も言うまい。玲司はため息をついた。

 疲労困憊である。これ以上、楽のペースに付き合っていたら精神が持たない。


 玲司は楽と別れ、駅前のロータリーへ向かった。

 早く帰って寝たい。明日学校はないが、考えるべきことが多すぎる。

 そう思いながら、人混みを歩いていた時だった。


「――あれ? 玲司くん?」


 不意に、聞き慣れた声がした。

 心臓が跳ねる。それは敵襲への警戒ではなく、もっと日常的な、あるいは致命的に『日常』すぎる声だったからだ。

 振り返ると、そこには白いゆったりとしたワンピースにライトブルーのカーディガンを着た見慣れた少女が立っていた。

 艶のある黒髪を緩く巻いたヘアスタイル。手にはスーパーの袋を持っている。


「……みお


 朝田澪あさだみお。幼馴染がそこにいた。

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