第4話 「踏込温床(ふみこみおんしょう)」
翌日、蓮は与えられた官舎の机に、急ごしらえのメモ用紙を広げていた。窓の外には、早春の冷たい空気が漂っている。街路灯がわりの魔石灯が青白く揺れ、まだ見慣れない異世界の夜景が続く。
(この国にある材料だけで、できること……魔法は使えない。
でも、自然の力で地温を上げるなら――踏込温床が一番だ)
蓮はペンを走らせながら、明日の実演内容を整理した。藁、落ち葉、家畜ふん、木枠。いずれも、この国でも調達できる自然素材だ。
(この世界の農民や魔道士が驚くかどうかはわからないけど……
“魔法じゃないのに苗が育つ”ところを見せれば、きっと評価してもらえる)
そう考えると、わずかに胸が弾んだ。農学部で学んだ知識と、家庭菜園で培った経験 ―― それが異世界で役に立つとは、さすがに想像していなかった。
◆
翌朝。蓮は宮廷の外れにある実験農地へ案内された。まだ霜の残る畑を踏みしめながら、蓮は周囲を見回した。そこには、すでに作業を命じられた農民たちと、記録係として来たエリシア、さらに若い見習い魔道士が控えていた。
蓮はまず、皆に向き直って説明を始めた。
「今日は“踏込温床”という技術を使います。自然の力で地温を上げて、苗を育てるための……まあ、簡易温室みたいなものです」
見習い魔道士が眉をひそめた。
「……土魔法で火魔法でもなく、自然が温度を上げる、と? それはいったい、どういう原理なのですか?」
「簡単に言うと――微生物が働くと熱が出るんです。落ち葉や藁を積んでおくと、分解が進むときに温度が上がるんですよ」
「“びせいぶつ”……? 魔力生命体の一種か?」
「違います。どこにでもいる、ただ小さすぎて見えない生き物です」
魔道士は完全に混乱していた。エリシアは一生懸命記録を取りながらも、ちらちらと蓮の言葉を確認するように頷く。
蓮は苦笑しつつ、作業に取りかかった。
◆
まず、木枠の底に分厚く藁を敷いた。
農民たちは慣れた手つきで藁を運んでくれる。
「そこ、あともう少し踏み固めてください。空気が多いと発酵がうまく進まないので」
「踏み固める、ですか……?」
「はい、こうやって――」
蓮は靴で藁を力強く踏み込んで見せた。農民たちは驚いたように互いに顔を見合わせながらも、同じように藁の上を踏みしめていく。
次に、落ち葉と家畜のふんを混ぜ合わせた層を重ねる。農民の一人が鼻をつまみながら聞いた。
「こんなもので、本当に地面が温かくなるんですかい?」
「なりますよ。むしろ、最初は熱くなりすぎるくらいです」
「はあ……?」
信じがたいという顔だった。
蓮は続けて、層を積んでは踏み、積んでは踏み――を繰り返し、最後に土を厚くのせて、麻布で覆った。
「これで完成です。明日の朝には、けっこう温まってるはずですよ」
農民たちは半信半疑で温床を見つめる。
エリシアは静かに言った。
「……本当に、魔法を一つも使っていませんね。不思議です、藤村殿」
蓮は肩をすくめた。
「魔法じゃなくて、自然の仕組みですから」
魔道士が小声でぼそっと呟いた。
「自然の仕組みが……魔法より強いなど……」
◆
翌朝。蓮が温床の前に来ると、すでにエリシアと魔道士が到着していた。麻布をそっとめくると、土から湯気がふわりと立ち上る。
「うわ……これは……」
見習い魔道士が、湯気に触れてびくりと手を引いた。
「温かい! なんだこれは……!? 火魔法に触れたときのような…… いや、もっと穏やかで……」
「発酵熱ですよ。言ったとおりでしょ?」
「し、信じられません……! 魔力の流れを一切感じないのに、熱が……なぜ……!」
魔道士は完全に世界観を揺さぶられていた。
蓮は温床の温度が高すぎるのを確認し、ゆっくりと言った。
「今は熱が強すぎます。このまま種をまくと火傷しちゃうので……
あと一日ほど、温度が落ち着くまで待ちます」
エリシアは熱に驚きながらも、淡々と記録を書き留めていく。
「自然が……ここまで……。藤村殿の知識は、本当に異邦のものに見えます」
その言葉を聞き、蓮も少し誇らしくなった。
◆
さらに翌日。温床の地温がほどよく落ち着いた頃、貴族農園から使いの者がやってきた。
「藤村殿、お頼みの二十日大根の種でございます」
包みを渡しながら、農園の農夫がぼそっと呟く。
「しかしまあ……まだ播くには早すぎる季節だと思うんだがなあ…… 温床の上とはいえ、うまくいくもんなんだろうか」
「やってみないと分かりませんよ」
蓮は笑って答え、温床の上に整えた培地に筋を引いた。そして、二十日大根の種を小さくつまみ、リズムよく、迷いなく、一定の間隔で指を動かして落としていく。
その手つきを見て、見習い魔道士が小声で呟いた。
「……妙に手慣れている……。藤村殿は、本当に農業を知っているのかもしれない……」
エリシアもまた、静かに頷きながら記録を書き綴っていた。
「“播種の手際、まるで職人のよう”……記録しておきます、藤村殿」
「いや、そんな大したもんじゃないですよ」
蓮は照れくさく笑った。
だが――
この温床から芽が出たとき、この世界の農業常識に、最初の小さいながらも変化が始まったのである。
次の更新予定
異世界でイモを育てます! つじひでゆき @htsuji_work
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。異世界でイモを育てます!の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます