第4話 「踏込温床(ふみこみおんしょう)」

 翌日、蓮は与えられた官舎の机に、急ごしらえのメモ用紙を広げていた。窓の外には、早春の冷たい空気が漂っている。街路灯がわりの魔石灯が青白く揺れ、まだ見慣れない異世界の夜景が続く。

(この国にある材料だけで、できること……魔法は使えない。

 でも、自然の力で地温を上げるなら――踏込温床が一番だ)


 蓮はペンを走らせながら、明日の実演内容を整理した。藁、落ち葉、家畜ふん、木枠。いずれも、この国でも調達できる自然素材だ。

(この世界の農民や魔道士が驚くかどうかはわからないけど……

 “魔法じゃないのに苗が育つ”ところを見せれば、きっと評価してもらえる)


 そう考えると、わずかに胸が弾んだ。農学部で学んだ知識と、家庭菜園で培った経験 ―― それが異世界で役に立つとは、さすがに想像していなかった。



 翌朝。蓮は宮廷の外れにある実験農地へ案内された。まだ霜の残る畑を踏みしめながら、蓮は周囲を見回した。そこには、すでに作業を命じられた農民たちと、記録係として来たエリシア、さらに若い見習い魔道士が控えていた。


 蓮はまず、皆に向き直って説明を始めた。

「今日は“踏込温床”という技術を使います。自然の力で地温を上げて、苗を育てるための……まあ、簡易温室みたいなものです」


 見習い魔道士が眉をひそめた。

「……土魔法で火魔法でもなく、自然が温度を上げる、と? それはいったい、どういう原理なのですか?」

「簡単に言うと――微生物が働くと熱が出るんです。落ち葉や藁を積んでおくと、分解が進むときに温度が上がるんですよ」

「“びせいぶつ”……? 魔力生命体の一種か?」

「違います。どこにでもいる、ただ小さすぎて見えない生き物です」


 魔道士は完全に混乱していた。エリシアは一生懸命記録を取りながらも、ちらちらと蓮の言葉を確認するように頷く。


 蓮は苦笑しつつ、作業に取りかかった。



 まず、木枠の底に分厚く藁を敷いた。

 農民たちは慣れた手つきで藁を運んでくれる。


「そこ、あともう少し踏み固めてください。空気が多いと発酵がうまく進まないので」

「踏み固める、ですか……?」

「はい、こうやって――」


 蓮は靴で藁を力強く踏み込んで見せた。農民たちは驚いたように互いに顔を見合わせながらも、同じように藁の上を踏みしめていく。


 次に、落ち葉と家畜のふんを混ぜ合わせた層を重ねる。農民の一人が鼻をつまみながら聞いた。

「こんなもので、本当に地面が温かくなるんですかい?」

「なりますよ。むしろ、最初は熱くなりすぎるくらいです」

「はあ……?」


 信じがたいという顔だった。


 蓮は続けて、層を積んでは踏み、積んでは踏み――を繰り返し、最後に土を厚くのせて、麻布で覆った。


「これで完成です。明日の朝には、けっこう温まってるはずですよ」


 農民たちは半信半疑で温床を見つめる。


 エリシアは静かに言った。

「……本当に、魔法を一つも使っていませんね。不思議です、藤村殿」


 蓮は肩をすくめた。

「魔法じゃなくて、自然の仕組みですから」


 魔道士が小声でぼそっと呟いた。

「自然の仕組みが……魔法より強いなど……」



 翌朝。蓮が温床の前に来ると、すでにエリシアと魔道士が到着していた。麻布をそっとめくると、土から湯気がふわりと立ち上る。


「うわ……これは……」


 見習い魔道士が、湯気に触れてびくりと手を引いた。


「温かい! なんだこれは……!? 火魔法に触れたときのような…… いや、もっと穏やかで……」

「発酵熱ですよ。言ったとおりでしょ?」

「し、信じられません……! 魔力の流れを一切感じないのに、熱が……なぜ……!」


 魔道士は完全に世界観を揺さぶられていた。


 蓮は温床の温度が高すぎるのを確認し、ゆっくりと言った。

「今は熱が強すぎます。このまま種をまくと火傷しちゃうので……

 あと一日ほど、温度が落ち着くまで待ちます」


 エリシアは熱に驚きながらも、淡々と記録を書き留めていく。

「自然が……ここまで……。藤村殿の知識は、本当に異邦のものに見えます」


 その言葉を聞き、蓮も少し誇らしくなった。



 さらに翌日。温床の地温がほどよく落ち着いた頃、貴族農園から使いの者がやってきた。

「藤村殿、お頼みの二十日大根の種でございます」


 包みを渡しながら、農園の農夫がぼそっと呟く。

「しかしまあ……まだ播くには早すぎる季節だと思うんだがなあ…… 温床の上とはいえ、うまくいくもんなんだろうか」

「やってみないと分かりませんよ」


 蓮は笑って答え、温床の上に整えた培地に筋を引いた。そして、二十日大根の種を小さくつまみ、リズムよく、迷いなく、一定の間隔で指を動かして落としていく。


 その手つきを見て、見習い魔道士が小声で呟いた。

「……妙に手慣れている……。藤村殿は、本当に農業を知っているのかもしれない……」


 エリシアもまた、静かに頷きながら記録を書き綴っていた。

「“播種の手際、まるで職人のよう”……記録しておきます、藤村殿」

「いや、そんな大したもんじゃないですよ」


 蓮は照れくさく笑った。


 だが――

 この温床から芽が出たとき、この世界の農業常識に、最初の小さいながらも変化が始まったのである。

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2025年12月15日 12:00
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異世界でイモを育てます! つじひでゆき @htsuji_work

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