第2話  彼女に捧げる鎮魂歌Ⅲ・序章・後編

     後編


 バルバトラ・ディとは――騎士の鑑と言っていい。


 性格は真面目で、冗談の一つも言えない。

 彼の役割は大体合いの手で、今日も大いにオリレオンに対してツッコミを入れている。


 そんな彼は、嘗てのオリレオンと馬が合った。

 引っ込み思案なオリレオンは饒舌な男性より、自分の話をよく聴いてくれる男性を好んだ。


 余り前に出る事をしなかったオリレオンだが、彼女にも彼女なりの思いがあったのだ。


 中々人には言い出せないその気持ちを、バルバトラはよく聴いた。

 それも、楽しそうに。


 オリレオンが喜んでいる時は、バルバトラも我が事の様に喜んだものだ。

 バルバトラはそんなオリレオンとの関係が、永遠に続くと思っていた。

 きっと彼女もそう思っていてくれたと、今でも信じている。


 だが、その平穏を根底から覆す出来事が、今起こっていた。


 あろう事か、五千もの兵が――ウォズ領内に迫っているというのだ。


 バルバトラは専業的な騎士で、その為、集団戦闘のプロと言える。

 その彼がこの状況を聞かされた時、彼が判断した答えは、こうだ。


「――無理だ! 

 というか、阿保か⁉ 

 恐らく敵の殆どが民兵だろうが、それでも数が多すぎる! 

 少なくとも彼等を追い払うには、五百の騎士が必要だろう! 

 それを、君一人で対処する⁉ 

 気でも狂ってしまったのか、オリレオンは――⁉」


 バルバトラがこうまで声を荒げているのは、オリレオンが本気だと察した為だ。

 あの表情は、冗談など言っていない。


 彼女は本当に一人だけで――五千もの兵を相手にしようとしている。


 断言するが、このオリレオンに五千もの人間と戦うだけの戦闘能力はない。

 少なくともバルバトラは、その事をよく知っている。


 だからこそ彼は、こうも必死にオリレオンを止めるのだ。


「成る程。

 これも、白い人の仕業ですか。

 私が何れ起たなければならない様に、彼女は図っていた。

 仮に私がオリレオンでなかったなら、ウォズ領は蹂躙されていたでしょう。

 或いはオリレオンが健在でも、バルバトラ達と共に、殺されていたかも」


「……何? 

 何て言ったんだ、オリレオン?」

 

 オリレオンの声は小さすぎて、バルバトラにはよく聞き取れない。


 そのバルバトラは現在、メイドに睥睨される状態にあった。

 第三者が居る前で、彼は伯爵令嬢にタメ口をきいているのだから、当然だろう。


 だが、今は、そんな細かい事を気にしている場合ではない。

 一刻も早く、領民を避難させなければ。


 だが、本当に、それは可能か? 

 五千もの人間が暴徒化して迫っているとしたら、それを避ける術は最早ないのでは? 


 五百名に及ぶウォズ領の住民は、彼等に蹂躙されるだけなのではないか? 

 戦闘のプロであるバルバトラは、もうそうとしか思えない。


 だが、仮にそうでも、自分は行動する必要がある。

 何せ彼は、いまウォズ領に残っている最後の騎士なのだ。


 しかし、彼はまず何をするべきなのかが、分からない。

 と、バルバトラをさしおいて、オリレオンがメイドの一人に指示を出す。


「スエイズは誰かに早馬を出させ、この状況を遠征先に居るお父様にお知らせして。

 恐らく三日もあれば、帰ってくる筈。

 尤も、私には援軍も必要ありませんが。

 そうですね。

 三時間もあれば――十分でしょう」


「……な、に?」

 

 やはり、バルバトラとオリレオンの会話は、噛み合っていない。

 何せオリレオンはバルバトラがあれだけ無理だと言っているのに、尚も戦うつもりなのだ。


 いや。

 オリレオンはこの時、バルバトラの言葉をこう訂正した。


「先程バルバトラは、この状況に私が対処すると言いましたね?」


「え? 

 あ、ああ」


「それは間違いです。

 何せ私は――暴徒を皆殺しにするつもりですから」


「……な、にっ⁉」


 それこそ、不可能だ。


 一人の人間が、五千人もの兵士を殺せる筈がない。


 バルバトラでも精々五十人もの民兵を倒せば、十分な戦果と言える。

 逆を言えば、その時点でバルバトラの体力はつき、彼は民兵に惨殺される事になるだろう。


 だが、オリレオンは平然と、行動を起こす。

 一頭の馬に乗った彼女は、迅速に己が作戦を遂行しようとする。


 オリレオンのその表情を見た時、バルバトラは思わず息を呑んだ。


 オリレオンは凛々しくもあり、それでいてやはり儚げでもある。


 彼女のそんな姿を見ては、バルバトラも口を挟まずにはいられない。


「……本当に、勝てるん、だな?」


「ええ――勝てます」


「なら、俺もついていく。

 それが、オリレオンの作戦とやらを実行する条件だ。

 この条件をのめないなら、俺は君を殴ってでも避難させる」


「………」


 今はバルバトラと、口論している時ではない。

 そう判断したオリレオンは、もう一人のメイドにもう一頭馬を用意させた。


「では、バルバトラには、最後の仕事を任せます。

 その過程は私が引き受けるので、そのつもりでいて」


 と、オリレオンはバルバトラが何かを言う前に、素早く馬を走らせる。

 バルバトラは、オリレオンの後を追うだけだ。


 やがて彼女達は二手に分かれ、オリレオン・ウォズは死地へと向かった。



 その頃、暴徒はある程度の秩序を保って、行動していた。


 敗軍の将の一人であるジェライド・フェナーが、己の兵を扇動していたから。


 敗戦の理由は、ジェライドが母国の方針に逆らったが為だ。

 仮に彼が欲をかかずに、母国の立てた作戦を遂行すれば、レディナ軍が負ける事はなかった。


 だが、彼等は敗北し、今はもう潰走するしかない。

 その間、ジェライドは非生産的な考えに至った。


 この敗北の鬱憤を、ウォズ領を蹂躙する事で晴らそうとしたのだ。

 ジェライドにとって幸運だったのは、ウォズ領は現在無防備な状態にあった事。


 お陰で彼等は容易に、ウォズ領を攻め落とせる立場にあった。


 ……いや。

 前言を撤回しよう。


 彼等には微塵も、幸運などないのかもしれない。


 何故なら彼等は――あの少女に出会ってしまったのだから。


「――居たぞ! 

 女だ!」


 既にケダモノ以下の思考レベルにある彼等は、女を見つければ凌辱すると決めていた。

 故に馬に乗ったその金髪の少女は、格好の標的と言っていい。


 彼等は少女を自分達の慰めモノにする為、少女を捕縛しようとする。


 少女は馬を走らせ、とにかく逃げた。

 それを狂気に満ちた表情で追うのが、暴徒だ。


 昨夜は大雪が降り、地面は滑りやすい。

 その事を考慮しながら、逃げる方も追う方も、ただ駆け続けた。


 やがて少女が乗った馬と、暴徒は氷の上を走る事になる。


 一軍の指揮能力をもつジェライドでさえ、まだ少女の思惑には気づかない。


 彼が不味いと感じた時、暴徒は既に少女の術中にはまっていた。


「今です――バルバトラ」


 少女――オリレオンが乗った馬が湖を渡り切る。


 オリレオンが馬を走らせていたのは――水が凍ったあの湖だった。


 しかもその湖の氷は――事前に割れやすくしてある。


 ならば――後はバルバトラが戦槌をその氷に叩き込めば事足りる。


「……な、にぃぃぃぃぃ―――⁉」


 その瞬間、湖の氷は全壊し、その上に乗っていた暴徒を水に沈める。


 水温が氷点下に至る水へと落下した彼等は、装備が邪魔で泳ぐ事も出来ない。


 溺れるしかない彼等は、やがて全滅する事になる。


 本当にバカゲタ話だが――たった二人の人間が五千もの暴徒を壊滅させたのだ。


 二千五百倍もの兵力差を覆したのが――オリレオン・ウォズという少女だった。


 彼等の国には、ウォズという魔法使いの伝説がある。

 バルバトラはこの時、オリレオン・ウォズこそ、その魔法使いの様だと感じた。


「――本当に、化物か、君は……⁉」


 敵を倒した昂揚が、バルバトラの口を滑らせる。


 馬上のオリレオンは、何故かお腹を抱えて嗤い出した。


「……ハハハハハ! 

 ハハハハハハハ―――!」


 だが彼女は己の策にはまって全滅した、敵を嘲笑った訳ではない。


 彼女は、己自身を嗤ったのだ。


「五百の民衆を救う為に、五千の兵を殺す! 

 そう! 

 そうです! 

 少数の命を守る為に――多数の命を犠牲にする! 

 それこそが――この私の在り方!」


 そんな自分が悔しくて、悲しくて、オリレオンは嗤う。


 それは嘗ての〝彼女〟には無かった感性だ。


〝彼女〟は例え己が暴挙に及ぼうと、感情を動かす事はなかったから。


 その様を視て、バルバトラはこう問う。


「やはり……あなたはオリレオンではないんだな?」


「………」


「オリレオンの意識は既に死んでいて、そのオリレオンに誰かが憑依している。

 そんな感じなんじゃないか――?」


「成る程」


 そう納得する〝彼女〟は、意味が分からない事を言う。


「白い人は言っていませんでしたが、こういうルールもあるのですね。

 仮に私が誰かに転生した存在だと具体的に見抜かれたなら、その人に素性を話せる。

 ええ。

 その通りです。

 私はオリレオン様の体に憑依した――別人です」


「………」


 自分で言い出した事だが、その話を聴いて、バルバトラは身を震わせるしかない。


〝彼女〟の話は続く。


〝彼女〟とは嘗て、祖国を守る為に三つの大国を手玉にとった存在だ。


 単独犯で三つの大国の同盟を崩し、各々の国から祖国を攻める余力を奪った。


 最後はその罪を償う為、処刑されたのが、この〝彼女〟だという。


「――待ってくれ。

 だとしたら、あなたは何故、現世に戻ってきた? 

 何か、やり残した事でもあるのか?」


「ええ。

 私には、憧れの人が居ます。

 その方も今、現世に来ている。

 恐らく、その彼女にも目的がある筈なので、その内動き出すでしょう。

 私はただ、その時を待てばいい」


「……待て。

 それだけなの、か? 

 あなたには、他にやりたい事は無い?」


「………」


 バルバトラに問われた〝彼女〟は、ただ一考する。


 オリレオンの体を得た後も――殺人と言う方法でしか誰も守れなかった己を顧みる。


「……私が、したかった事。

 私が本当に……望んだ物」


 それは確か――侵略がない世界の構築ではなかったか? 


 各々の国が自治権を堅持して――共存共栄を図る。


 自分が本当に欲した物とは――そういう世界だった筈だ。


「ああ」


 なら、自分はここで立ち止まる訳にはいかない。


 奪った命以上の数の誰かを幸福にしなければ、自分の罪は償われる事はない。


〝彼女〟はこの時、確かな目的意識を持つ。


 バルバトラはこの時――確かに怪物を目覚めさせたのだ。


「お礼を言わせてください、バルバトラ様。

 あなたのお陰で、私は目が覚めました。

 確かに私には――しなければいけない事がある」


「そう、か。

 では、最後に訊きたい。

 あなたの――本当の名は?」


 ウォズ領を守り抜いた〝彼女〟にバルバトラは視線を向ける。


〝彼女〟はこう答えた。


「――カナデ・プラーム――」


 まるで己の名を呪う様に――〝彼女〟はそう告げた。


 やがて『喪服の天使』と呼ばれる事になる少女は――今動き出す。


                   彼女に捧げる鎮魂歌Ⅲ・序章・了

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彼女に捧げる鎮魂歌Ⅲ・序章 マカロニサラダ @78makaroni

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