十夢十色 ~第十一夜~
明日葉
『ピザ屋の親爺』
こんな夢を見た。
俺は、イタリアンレストラン”ピノッキオ”の店長だ。この田舎町で、かれこれ二十五年ピザを焼いている。石窯の本格派だ。もちろんパスタだってうまい。田舎にもかかわらず、連日客足が途絶えないくらいの人気の店だと自負している。
ある日、俺は交通事故にあった。轢き逃げだ。長い入院生活とリハビリを終えて、今日から復帰する。二年もかかった。朝から釜に火を入れ、具材を仕込み、昨夜仕込んでおいた生地とソースを用意する。特に告知や宣伝などしていないが、ここは田舎町だ、噂が回るのが早い。ランチ時には早速常連客が来店し賑やかになった。
近所のババアどもが、ピザ窯に近い、いつものテラス席に陣取っている。
「別の店になるかと思ったわ」
「奥さん、駆け落ちですって?」
「夫が生きてたんだから、逃げるしかないわよね~」
などと言って笑っている。こっちは全く笑えない。腹立たしい。
「うるせえ、ババアども。黙って食え」
「そういえば自宅を改装してたんじゃなかったの?」
「あっちは⋯⋯使いものにならねえ」
「ええ~新しいほうがいいわよ。このテラス席だって床板がガタガタして今にも抜けそうよ」
「ふん。お前らが重いからだろ」
「まぁ~!そんなんだから逃げられるのよ!」
「「「ね~」」」
「チッ」
ババアどもの言う通り、二十五年の歳月を経たこの店はあちこちにガタが来ている。本当は、新しい店を建てるつもりだった。いや、実際のところ、自宅を住居兼店舗に建て替えた。しかし、工事が始まった矢先に轢き逃げに遭い、病院で目覚めた時には一年が経っていた。女房は一度も見舞いに来ず、連絡も取れなくなっていた。風の噂で工務店の若い男と駆け落ちしたと聞いた。心身ともに辛いリハビリを終え、二年ぶりに家に帰ると、俺の希望が詰まった住居兼店舗があるはずだった場所には欠陥だらけの家が建っていた。とてもじゃないが客を呼べるような代物ではなく、ここでの開店は諦めた。二階の住居部分には俺の荷物がダンボールに乱雑に詰められ、無造作に積み上げられていた。貯金も金目のものも全部持っていかれたらしい。冷蔵庫や洗濯機などの家電製品までなくなっていたのには笑うしかなかった。俺の手元には、古い店舗と欠陥住宅と借金だけが残った。
何度も工務店に問い合わせたがダメだった。担当だった若い男は辞めたという。女房と噂になっている男だ。工務店側は「わからない」「要望どおりだったと聞いている」「奥様には了承いただいている」の繰り返しで、簡潔な謝罪文と菓子折りをよこしただけで、やり直しも返金もしてくれなかった。こんな建物、法律違反だらけだろうに確認にすら来ないとは、腹立たしい。
毎朝の散歩は俺の日課だ。ひき逃げされたのも散歩の途中だった。「怖くないのか」と聞かれることもあるが、これは欠かせない習慣だ。もちろんリハビリのためでもある。しかしそれだけじゃない。俺は、俺を轢いた犯人を見つけ出そうとしてた。犯人はまた狙ってくると俺の勘が言っている。警察は頼りにならない。てんで人の話しを聞いちゃいない。腹立たしい。自分の身は自分で守るしかないんだ。俺は杖の持ち手を強く握りしめた。杖には銃が仕込んである。犯人が再び現れたら、躊躇せず撃ってやる。
俺が生死を彷徨っている間、女房はいったい何をしていたのだろう。何を思っていたのだろう。なぜ、姿を消してしまったのだろう。確かに俺はガサツで言葉足らずな男だったと思う。でもそれなりに上手くいっていると思っていた。子供ができていたらまた違ったのだろうか。俺の夢を叶えるためにこんな田舎について来てくれたが、実は田舎が嫌だったのか。それともやはり、俺は女房からしてみれば、最近よく聞くモルだかモラだかだったのだろうか。俺は歩きながら考え続けた。
ウジウジと悩み続けても、借金の返済は待ってくれない。まだ古い店が手つかずのまま残っていたことだけでも運がよかったとしよう。
朝の散歩を終え、自宅に帰りトイレへ入る。トイレはこの欠陥だらけの新居で最も気に入らない場所だ。まず、出入り口のドア閉まらない。通路の幅よりドアのほうが大きいからだ。いや、通路が細すぎると言ったほうがいい。特大のパントリーの横に、男一人通るのに肩が壁にこすれるほど細い通路がある。トイレを作った後、出入り口をパントリーで塞いでしまい、慌てて一角を無理やり通路にしたのだろうと安易に想像できる。そんな通路に通常サイズのドアが取り付けてあるんだ。当然、途中で壁にひっかかって完全に閉めることができない。腹立たしい。そして中へ入ると手前に洗面台が二つとバカでかい鏡があり、奥には男性用小便器が三つと個室が四つ並ぶ。もちろん、設計時は男女別にと頼んでいた。間取り図だって問題なかった。が、いざ病院から帰宅してみればこのありさまだ。何をどうしたらこんなことになるのか。わざとやったとしか思えない。腹立たしい。
イライラしながら、一人暮らしには全くもって無駄なバカでかい鏡を覗く。禿げ上がった頭に二本、新しい毛が生えていた。これは嬉しい。いい兆候だ。再開初日から客も戻ってきた。もしかしたら俺の髪も戻る日がくるかもしれない。イライラが治まり、少しだけ晴れやかな気分で個室に入る。掃除が大変なので、大も小もいつも一番奥の個室を使うことにしている。扉を締め、鍵をかける。一人暮らしだが、こんな広いトイレは落ち着かないのでなんとなく習慣になっている。足元の和式便器を見てまた苛立ちがおこる。洋式を注文していたのに。おまけに本来あるはずのドア下の隙間がなく、床にピッタリついて開け閉めの度にこすれる。上部には明り取りの隙間はあるが、なぜだかアクリル板で塞がっている。これを作ったやつは外でトイレを使ったことがないのだろうか。腹立たしい。
腹が立ちすぎて尿意がどこかへ行ってしまった。一旦外へ出ようとしたその時、キーっと閉まりきらないドアが開く音がした。ハッとして息を潜める。泥棒か?こんな何も無い家に?コツッコツッと足音がする。続いて小便器を使う音がした。男か。人の家に侵入しておいて悠々とトイレを使うとはなんて奴だ。また怒りが込み上げる。鼻歌が聞こえる。聞いたことがないメロディーだ。続いて水の流れる音が聞こえてきた。一つだけ閉まっている個室に気づかないはずがない。しかし入ってきたとき躊躇する様子は感じられなかった。ここに俺がいることがわかっていて入ってきたのか?もしかして⋯⋯奴か?俺の勘は当たった!どうする、出るか?仕込み杖は玄関に置いてきてしまった。どんな奴かわからないが、果たして勝てるだろうか⋯⋯。
なんだか足元が冷たい。下を見ると、くるぶしまで水が溜まっている。ど、どういうことだ?すっと上から影が差した。見上げると、若い男がドアの上のアクリル板の向こうから覗いていた。
「どうも」
「お、お前は工務店の!」
「どうですか、新しいお家は?」
「ふざけるな!」
ドアを開けようとしたが開かない。
「くっなぜだ!」
「開きませんよ。そういう風に作ってあるので」
「なぜこんなことを!」
「あなたが邪魔なんですよ」
「女房か?あいつがお前と⋯⋯」
「はははっ!あんなババア相手にするわけないでしょう。デマですよ。俺が流した」
「は?⋯なんでそんな嘘を」
「駆け落ちって聞いたら、探さないでしょ?現に親戚も、警察も、夫でさえも探そうとしなかった」
「あいつは今どこにいるんだ!」
「⋯⋯あと数分で同じところにいけますよ」
気がつくと、水位は膝上まで来ていた。寒気が走る。俺は、こんなところで溺れ死ぬのか。必死に扉を叩き、体当たりするがビクともしない。
「おい、ここから出せ!お前の目的は何だ!」
恐怖を抑え、精一杯、虚勢を張って叫ぶ。
これまでニヤニヤしていた男の顔がスッと真顔になり、目から生気が消えた。
「⋯⋯この地には◯☓△※☓様が眠っておられる⋯⋯。□※△を見つけなければ」
そういうと男は姿を消し、トイレから出ていった。
水位は首まで来ている。なんとかして脱出しなければ⋯⋯。
水位は天井まであと数十センチ。身体が浮かび、ドア上部の隙間から小便器を見下ろす。なんとかアクリル板が外れないかともがく。
水位は天井まであと十数センチ。首を曲げ、なんとか顔が水面から出るように調整する。
女房は、駆け落ちなんてしていなかった。きっと死んでいるはずなのに、かすかな喜びが心に湧き上がる。俺はなんて自分勝手な奴なんだ。腹立たしい。
とうとう水が口を塞ぎ、鼻を塞ぎ、耳を、目を塞ぐ⋯⋯。
ああ、こんなときに思うのが「さっき尿意が引っ込んでよかった」だとは⋯⋯。
⋯⋯腹立たしい。
それにしても、あの男も間抜けな奴だ。
□※△はピザ窯に⋯⋯。
十夢十色 ~第十一夜~ 明日葉 @kotonoha-biyori
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