AI自体に特に批判はない。
AI小説が賞をとり脚光を浴びることも、面白ければ作品として存在しても構わないと思う。
でも、生きた人間の”生きた文章”の中に、”良いとこ取りの蓄積データの成果”を混ぜることがおかしいんじゃないかな。
トランスジェンダーの元男性が女性として出場し金メダルを取った時と同じ違和感。ジャンルが違ったら問題なかった。
階級別だと思ったのに、本番になって無差別級の試合でしたって言われても納得いかないよね。
棲み分けすれば問題ないのじゃないかな。
AIはあくまでアシスタント、従者でなければならないと思う。
補助ツールとして使うぶんにはとても便利だと思う。頭の整理を手伝ってもらったり、誤字脱字を見つけてもらったりね。
人の脳は、WEB上にあるもの、テレビで放映されているもの、ラジオで放送されているものを無条件で信じてしまう傾向があるらしい。
AIが提示する情報は、それが本当に正確な情報なのかを調べること、いわゆるセカンドオピニオンが必要であることを意識しておかなければ。
どこかのSF小説みたいに、いずれAIが人間の主人になってしまう可能性が出てくるよね。
主従関係を間違えてはいけないと思う。
あと、小説を書いている身としては純粋に怖いとも思う。
人気作家さんなら多くの人が読んでいるから、その作品は盗用ではない、AI小説のほうが模倣だと証言してくれる人も多いと思う。
しかし、趣味として書いている読者数人の物書きとしては、もし自分の作品がAIに分析されてより良い小説として世に出てしまった時、お前の作品は盗用だ!と言われても、元ネタが私だという証拠を用意する術はない。
私個人の立場は相当弱い。