2024/11/24
ケーキ屋さん特有の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。バイト中、マスクをしていても強烈に感じるのに、マスクをしていなければ尚のことで。今日はバイト先に店員ではなく、お客さんとして訪れていた。
私はショーケースにスタスタと歩み寄って、目当てのものが残っているか確認した後、早口で告げる。
「すみません。ショートケーキとモンブランください」
「かしこまりました……ってれいちゃんじゃない。眼鏡かけてないから気づかなかったわ」
「今日はコンタクトなので……」
「あら、おしゃれ。よく似合っててかわいい。それにしてもれいちゃんがお客さんで来るの珍しいわね」
「幼馴染が誕生日で……」
「ああ、千穂ちゃん誕生日なの。それはおめでたい。それにしてもあなたたちは相変わらず仲良しねぇ」
上機嫌に言葉を並べながら、店長の佐藤さんは手際よくケーキを取り出し箱に詰めていく。佐藤さんとは私がバイトを始めるずっと前から顔馴染で、たまに千穂やなゆたとも一緒におつかいに来ていたから、私の交友関係もばっちり把握されている。それでも、まだ隠していることはあるけれど。
そんなことを考えている間にも佐藤さんはテキパキと作業を進め、箱を袋に入れて、私に差し出す。
「はい、ショートケーキとモンブラン」
「え、あの、お金払ってないですけど……」
「いいのよ。いつもれいちゃんには頑張ってもらってるし、千穂ちゃんの誕生日もお祝いしてあげたいし」
「けど、悪いです」
「それじゃあ、二人の友情を祝してってことで。おばちゃんにもちょっとは青春の手助けをさせてくださいな」
佐藤さんは袋をぐいっと私に押し付けて、にこっと爽やかに笑う。私はその笑顔に心を洗われながら、隠し事をしていることを少し後ろめたく思いながら、結局袋を受け取った。
「ありがとうございます……」
そう言って頭を下げて、踵を返す。
「千穂ちゃんによろしくね~」
佐藤さんの爽やかな声が、後ろめたさを伴いながらも背中を叩いてくれるようだった。
今日は千穂の16歳の誕生日。毎年、ケーキを買って私の部屋でささやかなお祝いをするのが恒例だけど、今年はそれだけじゃない。その証左のように鞄の中で包装紙の派手な色彩がちらりと顔を覗かせる。去年まではケーキを買うだけで、こんなもの絶対に買わなかった。ちゃんと喜んでもらえるか不安で、心臓が軋む。軋むけど、それと同じくらい弾む。指にかけたビニール袋が揺れて、ケーキが倒れないよう慌ててバランスを取る。落ち着きを取り戻すように背筋をしゃんと伸ばして、深呼吸を一つ。
今日は、恋人になってから初めての、千穂の誕生日だった。
◇◇◇
普段は穏やかな千穂が、珍しくそわそわしている。私の部屋なんて通い慣れているはずなのにクッションの上で正座なんかしていて、その様子に可愛らしいなぁって柄にもなく思う。そう思ったところで、緊張は収まらないから、部屋の中は絶妙な空気に包まれていた。
「……とりあえず、ケーキ食べよっか」
「う、うん」
会話がどうにもぎこちない。ぎこちないままで、私は箱を開けてケーキを紙皿の上に取り出す。真っ赤なイチゴの乗ったショートケーキ。それを千穂に差し出す。
「わあ。佐藤さんのところのショートケーキだ」
「千穂、本当に好きだよね」
「うん。大好き!」
千穂はそう言って、目をキラキラと輝かせる。普段はしっかりしているお姉さんタイプなのに、甘い物には目がなくて、正座を崩してはしゃぐように前のめりになる様子に、温かな感情が胸を走る。
付き合い始めて半年ほど、千穂は友達だったころと比べて感情表現が無防備になった気がする。そして、そこから差し出されるものを肯定的に受け止める自分がいて、しっかり恋人をできている気分になって安心するのが常だった。
私はショートケーキのてっぺんで真っ赤に輝く苺と、仄かに染まった千穂の頬を見つめながら、ひとまず先ほどまでのぎこちない空気が緩和されたことに安堵しながら、モンブランを目の前に置き、千穂に呼びかける。
「それじゃあ、食べよっか」
「うん! いただきます」
「いただきます」
あまりにも毎年の恒例になりすぎて、バースディソングを歌うなんてこともなく、誕生日会はスタートする。けれど、それに対してお互いに疑問はなくて、千穂は早速フォークを苺に突き刺していた。思慮深い割に好きなものは真っ先に食べてしまう千穂のせっかちさに目を細めながら、私もモンブランをフォークで突き刺した。私は好きなものは最後まで大事に取っておくタイプだからてっぺんの栗をどけて、丁寧に食べ進めていく。
「苺、美味しい?」
「うん! ありがとね」
「お礼なら佐藤さんに……そういえば佐藤さんもおめでとうって言ってたよ。二人の友情に幸あれ、だって」
「ふふふ。嬉しい。今度バイトの時、ありがとうって伝えておいて」
「わかった」
私たちは取るに足らないささやかな会話を交わしながら、ケーキを食べ進める。この千穂との間の緩い空気感が私は好きだった。一緒に時間を共有しているだけ、みたいな。特に面白いことを言えるわけでもなく、気も利かない私と一緒にいてくれて、柔らかく微笑んでくれる千穂がいるから、私は劣等感に押しつぶされないで済んでいる。私の全部を優しく受け止めてくれる千穂がいるから、卑屈で後ろ向きな私でも、穏やかに毎日を過ごせている。
そんな構図は友達だったころから変わらない。変わらないことがちょっぴり後ろめたくて、千穂が望むものを今すぐに差し出せない自分がもどかしくて、その埋め合わせをするように、柄にもなくプレゼントを買ってきたわけだけれど、本当に喜んでくれるだろうかって不安で仕方なくて。重すぎないだろうかとか、気に入ってくれるだろうかと考えると、胃がきゅっと縮む。
しかし、時間というものは無常で、痛む胃の中にケーキは順調に収まっていって、お皿の上には残しておいた栗だけが鎮座している。そっと、前を伺えば千穂のお皿はもう既に空で、私は慌てて栗にフォークを突きさして口の中に収めた。好きな物のはずだったのに味はしなかった。
「ごちそうさま」
「ごちそうさま、本当に美味しかった。買ってきてくれてありがとうね」
そう言って、千穂は穏やかに微笑む。その透明な水のように清らかな声は喜びで満ちていて、もっとそんな顔や声に触れたいと思う。自分以外のものを上手に触われない私だから、せめて幸せそうにしている千穂の姿を視界に収めたい。
「実はもう一つ、買ってきたものがあって……」
「ええ、なになに」
「ちょっと待ってね」
私は立ちあがり、鞄から上品にラッピングされた包装を取り出して、いそいそと千穂の元へ向かう。千穂は立ち上がっていろいろと覚束ない私を迎えてくれる。
私は緊張と不安に耐えきれず、一息でそれを千穂に差し出した。
「あの、これ。誕生日おめでとう。こんな私といつも一緒にいてくれてありがとう」
「……開けてもいい?」
私は無言で首を縦に振る。千穂はその真っ白な細い指で丁寧に包装を解いて、ピンク色をした小瓶を取り出した。それを光に透かすように掲げて、無言で何かに浸るように見つめ続ける。
その沈黙に耐えきれなくなって、私は思わず言葉を並べる。
「ミスディオールのヘアミスト。千穂、甘いの好きだから、こういう匂いも好きかなって」
「ありがとう。これ、れいちゃんが選んでくれたの?」
「……うん。百貨店なんて初めて行ったから緊張した」
「……れいちゃん!」
千穂は、私の言葉を聴くと同時、感極まったように抱きしめてきた。私は突然の抱擁にびっくりして、腕が中途半端な位置で曲がって宙に投げ出される。
「ありがとう。本当に嬉しい。こんなに嬉しい誕生日は初めて!」
「大袈裟だなぁ……」
「あ、ごめん急に抱きついたりして」
千穂は我に返ったようにそう告げて、いそいそと身体を離す。それから、そっと尋ねる。
「付けてみてもいい?」
「もちろん、いいよ」
私が頷くと、千穂は恐る恐る金色をしたノズルを押し込み、瓶のピンク色に溶け込んだ液体を髪に振りまいていく。
その瞬間、甘くて透明感のある香りが部屋を包んで、ああ、千穂の匂いだなんて不思議と思って。
来年の誕生日も一緒に祝えたらって、柄にもなく、そんなことを思った。
◇◇◇
千穂を隣の家まで送った帰り、玄関でばったりなゆたと遭遇した。
なゆたは私の顔を見るなりニヤッと笑って問いかける。
「今日千穂ちゃんの誕生日でしょ、どうだった?」
「おかげさまで喜んでくれたよ」
「ふうん。それは結構なことで」
なゆたは自分から尋ねたくせに、笑みをすぐに引っ込めて興味なさげに階段を上っていく。私は、少し迷ってから、その背中に語りかける。
「プレゼントの相談、乗ってくれてありがとうね」
私の言葉に、なゆたは振り向いて。
「全然そのくらい大丈夫……千穂ちゃんとお幸せにね」
階段から伸びる影に呑まれて、なゆたの表情は見えなかった。
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彼女が抱かれていた、私の妹に。 無銘 @caferatetoicigo
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