ル・パルファン・ドゥ・ミチ

真白透夜@山羊座文学

みっちーの香り

 フランスのお土産として、みっちーからバラの香水をもらった。素材はベルサイユ宮殿の花園のバラ。いやいや、そんなことはどうでもいい。なんで三十半ばの大の大人(♂)が、部下(♂)から小さな香水瓶をもらわなあかんねん。ちなみに俺は彼女も妻もいない。


 みっちーは本名を倉敷路といい、下の名前がミチだからみっちーになった。部下をあだ名で呼ぶなんて今どき危ういかもしれないが、入社初日に「昔からみっちーと呼ばれていたので、そのようにお願いします」と自己紹介したもんだから、なんとなしにそうなった。事実、みっちーは飄々としていて、クラシキなんかよりは、ミッチーで会話した方がなんだか早かった。


 「かかりちょー。フランスに行くんで一週間お休みをください」と言われたときは、はぁ、と間抜けな声が出た。新婚旅行並みじゃねぇか。彼女と?と聞くと、「セクハラやめてください」と言われた。たしかにそうか。悪かったよ、と言って、振替休日二日分と有休休暇五日分の申請書に判子を押した。


 なんでフランス。一人で? やっぱり彼女と? みっちーのプライベートに取り立てて関心があったわけじゃないが、なんかこう、観光地ど真ん中にみっちーは似合わなかった。ベトナムとかタイとかならわかる。いっそフィンランドならわかる。アイツの彼女がフランスに行きたいならわかる。謎だ。まあ、そんなことを考えたところでセクハラの四文字でシャッターが降りるのだから、考えてもしょうがないんだけど。


 みっちーが旅立った後の職場は、平均年齢がガンと上がった。みんな五、六十代で、三十代が俺ひとり、そこに二十代後半のみっちーだから。なんだか静かだ。余計なお喋りもなく、みんなマイペースに働いている。みっちーがうるさいわけじゃないが、何気ない話題を振り、おじさんたちのちょっとしたことを拾ったり広げるのはみっちーだった。「みっちーがいないと老人クラブみたいだな」と最年長が言って笑った。


 帰国したみっちーは、みんなにお土産を配った。お菓子やらちょっとした小物やら。そして俺には香水。全く謎。


 ノー残業デーの日、みんながサッと帰った後、ついにみっちーに香水のことを聞いた。


「なんで俺のお土産、香水だったの?」


 みっちーは綺麗に揃った歯並びを見せて笑った。


「あげたかった人にフラれて、余っちゃたんです」


「なんだそれ。微妙に失礼だろ。別に怒ってないけど」


「係長の彼女にあげてくださいよ」


「いないの知ってるだろ」


「係長って、もしかしてゲイですか?」


「それこそセクハラだろ」


「じゃあ、俺から言えばいいですかね。俺、彼氏と最後の旅行にフランスへ行ったんです。あっちが絵が好きアーティストで。それに、フランスに移住したいとも思ってて、田舎町まで現地調査に行ったんです……。で、決意が固まったから別れよう、って」


 みっちーは机の引き出しからせんべいを取り出してかじり始めた。


「……ついて行く気はゼロだったのか?」


「海外はねー、さすがに」


 みっちーはせんべいを奥歯でバリバリと砕きながら笑った。


「フランスは行ってみたかったから、ついて行ったんです。俺も絵は好きだし」


「意外」


「係長、絶対俺のこと、がさつだと思ってますよね」


 うん、と答えた。


「今の生活、気に入ってるんです。皆いい人たちで、普通に暮らしていけるから」


 普通……。その言葉を口に出すのは憚られた。


「俺、微妙に係長のこと好きなんですよ」


「何、微妙って」


「人として尊敬してて、延長で多分、恋愛的にも好きで。でも困らせたくないし。だから係長の未婚の理由がそうだったらいいなって」


 みっちーは空になったせんべいの袋を細くたたみ、くるりと輪っかを作って結んだ。


「キモいかな、俺」


 みっちーは苦笑いをしながらそう言った。


「いや、それは……。今は多様性の時代だから。すまん……上手いことを言えないのは、ちょっと俺にはレベルの高い問題だなと思って……」


 自分でも自分のことはわからない。ただ婚期を逃しただけなのか、そうじゃないのか。カノジョに振られたのは、彼女ができないのは、俺に何か欠陥があるのか、ないのか。


「……違うなら、違うでいいんで……」


 みっちーの声は小さかったが、しんとした事務所の事務机には十分響いた。


「……お前のことは、信頼してるよ。人として。でも、恋愛的にどうかと言われると……」


 ハッキリと、ナイと言った方がお互いいいんだろう。


「……ごめん、ナイ……かな」


 みっちーは微笑んだ。


「すみません、変なこと言って。それ、捨てるか誰かにあげてください。香りはいいですよ。本当に」


 みっちーはすぐに席を立ち、鞄を手に事務所を出ていった。


 香水の箱はすでに開けていた。蓋も。バラのまさしく生花のような柔らかな香りは確かによかった。彼氏にあげたかった、あるいは俺に、ということだったが、この瑞々しくも甘く儚い香りは、むしろみっちーに似合っていた。



 結局、香水はうちにとどまり、気付いたときにハンカチに染み込ませて使うようになった。取り出した時にふわっと香る。柔軟剤の代わりのようなものだ。几帳面に家事をする母の姿を思い出す。だからと言って、別に世話をしてくれる女性を探していたわけではない。


「物分かりはいい方だと思うんだけどな……」


 なのにいつの間にか捨てられている。捨てられていることにも気付かない。きっと、そういう鈍感さに彼女たちは苛立っていたんだろう。


 ある日のこと。みっちーは終業時間をとっくに過ぎてから外回りから帰ってきた。みっちーはずぶ濡れだった。


「天気予報、マジありえないっすね」


 自分のハンカチで体を拭くみっちーだったが到底足りない。焼石に水ではあるが、自分のハンカチを貸した。みっちーはハンカチをまじまじと見ていた。


「……使ってくれてるんですね……」


「ああ。いい香りだったから」


「そういうの、何だか期待しちゃって傷付くんですけど……」


 二人きりをいいことに、みっちーはそう言った。そして、ミッチーは俺のハンカチを使わずにこちらに返そうとした。


「……みっちー……あのな、俺は、そういうの、初心者なんだよ」


「初心者?」


「男同士の世界が……」


 ハンカチを受け取り、広げてみっちーの頭を拭いた。わっ!と、みっちーは声をあげた。


「俺も自分の気持ちがわからないから、上手く行かないかもしれないけど……まあ、お前のことは好きだから、仲良くしたいと思ってるんだよ」


 みっちーの頭をこれでもかとぐしゃぐしゃに拭いた。


「ちょ、ちょっと! 一時間かけてセットしてるのに!」


「もう雨で台無しなんだからいいだろ」


 そう言うと、みっちーはいつもの白い歯を見せて笑った。


「じゃあ本当は今日中にハグする仲にまでなりたいんですけど、びしょ濡れだから自重します」


「あ、うん。そうだね、うん」


 塩、と一言言って、みっちーはプッと吹き出した。


「だって、どうしたらいいかわかんないから……!」


 するとみっちーは急に顔を近付けてキスをしてきた。


「セ、セクハラ!!」


 みっちーは大笑いした。


「俺、かかりちょーのそういうピュアなところが好きなんです。でもね、人間てのは理屈じゃないですから。アートですよ、アート。俺が責任もってOJTで教えてあげますから」


 何言ってんだこいつ、と思った。そんなふざけた交際スタートだった。



 香水はみっちーがつけることになり、とりあえず可愛い弟ができたかのように付き合っている。十二月。クリスマスカラーに彩られた街を二人で歩いた。


「クリスマスには一線越えましょうね」


 みっちーは普段と変わらぬ笑顔で言った。


 え、予告? え、あ、まあ、クリスマスというものはそうかもしれないが、なんか、怖い。


 そうも思ったが、みっちーのマイペースに巻き込まれるのは嫌ではなかった。仕事も、人生も。




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