2 帰路

 乙姫に家族の元へ帰ることを伝えた数日後。


 浦島は乙姫や竜宮城に仕えるものたちに見送られ、かめ吉の親類だという若い亀、かめ利の甲羅に乗っていた。


 後ろを振り返っても、もう竜宮城は小さくしか見えない。竜宮城の前で、いまだ乙姫が自分を見送っているように思うのは、浦島に都合のいい妄想だろうか。


(さようなら、乙姫。竜宮のみな……)


 これが本当に最後の別れになると思うと、普段おしゃべりとはいえない浦島も、少々口が滑らかになる。

 ふと話題になったのは、かめ利とかめ吉の関係についてだった。


「かめ吉はかめ利の爺さんというわけじゃないのか?」

「かめ吉さんは結婚してるし、歳も結構いってるぞ。でも、子どもはいねえんだ。俺はかめ吉さんのいとこの子どもの子どもってところだね」

「へえ」 

「でも小さい頃からよくしてくれる、いいじいちゃんよ。だからオレも、あんたを無事に、お父ちゃんたちのところに送り届けるからな! かめ吉さんの恩人だから! おっちょこちょいってよく言われるけど!」


 かめ吉はよく慕われているようで、浦島が竜宮城で過ごす間は、たびたび彼の親族から礼を言われていた。


「恩の方はもう充分だよ。だがまあ、うちまでしっかり頼むぜ」

「おうよ!」


 かめ利というのは竜宮城でも若いほうらしいが、こうして浦島を陸に届ける役目を果たせるほどしっかりした甲羅を持っている。さすがかめ吉の縁者だと浦島は思った。


「それよりあんた、いいのかい?」

「何だ急に」


 かめ利が急にまじめな声色で、浦島に話を振った。


「乙姫さまのことだよ。乙姫さまだけじゃない、浦島さんもあんだけ別れを惜しんでいたんだ。今竜宮城に飛んで帰っても、誰も笑いやしない。快く迎えるさ」


 浦島は、自分の未練が周囲に丸わかりなことを指摘され、思わず体が熱くなった。


「な、何をいうんだ」

「わかってるくせに。ほら、オレが無理やり連れて帰ったってことにしてもいいんだから。考えてみてくれよ」


 浦島は大した反論ができなかったが、かめ利は気にすることなく「いい案じゃないか?」と話を続けている。


 浦島は、竜宮城と、そこで過ごした時間に思いを馳せる。

 時に事件はあったものの、海の底での日々は大半が穏やかだった。乙姫やかめ吉たちに人間が知らない海の世界のことを教わったり、反対に外の世界について浦島が語って聞かせたり。

 最後の瞬間まで、浦島の人生の中で一番濃い時間だった。


(姫さんは、泣いてはいないだろうか)


 別れ際に見た乙姫の表情が脳裏をよぎる。浦島との別れを惜しみ涙をこらえながら、今にも浦島に抱きつきそうだった竜宮城の末姫。

 浦島も、彼女と……彼女たちと別れることはとても名残惜しかったか、どうしても家族に会わなければという気持ちを、見て見ぬふりはできなかった。

 結局、浦島はこうして帰路についている。

 乙姫を一人残していきたくない気持ちは本当だ。二度と会えないのも、一度だって抱きしめることができなかったのも、心残りではある。


「……うちに帰るよ」


 残してきた家族を思う気持ちもまた、浦島の本心だった。


「そうかい?」


 かめ利は残念そうだ。乙姫の気持ちだけでなく、かめ利自身も浦島との別れを惜しんでくれているようだった。


「まじない師も、元は陸の住人だと聞くがね。海のが住みやすいと竜宮城に残ったんだ。あんた以外も、海にやってきた大抵の奴らは戻らないんだぞ」

「へえ、まじない師の出身は、初耳だな」


 あれだけ人間である浦島を嫌っているようだったが、自身も人間であるのだろうか。浦島は、被り物の奥で何を考えているかわからない男のことを思い返す。

 竜宮城の部外者である浦島を、はやく追い出したかったのだと思っていたが、まじない師の背景にはまた別の思惑があったのだろうか。

 まさか、浦島にいてもらっては都合が悪いことでもあるのか。


(そういえば、見送りの場にはまじない師も、件の世話役も姿を見せなかったな)


 そんなことに浦島の思考が割かれていると、かめ利の大声が差し込んだ。


「あっ!」

「どうした、かめ利」

「あー、まじない師のことだ。あんまひとに言っちゃだめだったかもしんねえ。みんなには黙っててくれないか?」


 浦島は、大したことのなかったかめ利の言葉に安心して、ひとしきり笑った。


「なんだそんなことか。大丈夫だろ、もう竜宮城のやつらに会うことはないんだから」


 それを聞いたかめ利は、鼻をすすった。


「……やっぱりさみしいなあ」

「はは」


(ここで、「じゃあ、家族に事情を説明してくるから、そのあともう一度俺を竜宮城へ連れて行ってくれないか」と言ったら、かめ利は乗せていってくれるだろうか?)


 喉から出かかった言葉はしかし、浦島の口からこぼれることはなかった。


 気のいいかめ利は気安く受けかねないが、本来竜宮城は、浦島のような人間がひょいひょい訪れてはいけない場所だと、この一年で浦島は感じていた。

 陸であったとて、浦島は身分が上の家に気軽に訪れられるような人間ではない。だが、竜宮城はそれとも違う。身分などではなく、生きた人間が享受していていい世界ではない……なんのしがらみもない、死後の世界とはああいう場所のことをいうのではないだろうか。


 浦島がたとえかめ吉の恩人だったとしても、これ以上あそこで過ごすことは、ゆきすぎた恩返しであった。

 浦島は彼らと出会ったことを、彼女と過ごした時を、一生分の幸運を使い切ったからだと思うことにした。だから残りは家族のために暮らさなくてはならない。それが、浦島にとっての、家を空けた一年の償いになる。


 そういう気持ちを飲み込んで、浦島は「俺もだよ」と絞り出すのが精一杯だった。


「そうだ、玉手箱も大事にしなよ! 乙姫さまにもらった最後の贈り物だろう?」

「言われなくても」


 浦島の腕の中には、かめ利にまたがりながらもだいじに抱えた玉手箱がある。

 中身はわからないが、乙姫のように丁寧に扱えということは、高貴な人の持ち物なのだろう。浦島は、傷一つつけてなるものか、と内心決意していた。


「お、浦島さん。もうすぐ浜が見えてくるぞ」

「早かったな」


 頭上に見える水面が、きらきらと輝いて見える。

 浦島にとって一年ぶりの陸が、空が近づいていた。

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浦島は老いなかった 一途彩士 @beniaya

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