2.浦島太郎は語る

1 忘失

 浦島の話は、かめ吉が再び陸へやってきた日から、二百年近くさかのぼったところからはじまる。



 その頃の浦島は、竜宮城で暮らす日々に慣れてきていた。そんな浦島の心に「家に帰らなければ」という思いが降って湧いたのは、ある日眠りから目が覚めたときのことだった。


 眠気からうつらうつらとしていた浦島は、それに気づいたときがく然とした。


(どうしてこんなにも長い間、家を離れてしまったことに罪悪感を抱かったのだろう!)


 陸においてきた父母、それに三人の弟妹たちを思う。 弟たちは元気だろうか。おっとうやおっかあには、働き盛りの長男を失って苦労をかけたに違いない。


 浦島は、かめ吉に案内してもらう前に家族に行き先を伝えていなかった。それを思い出したときには慌てたが、どうせそこまで長居はしないだろうと自身の失態を受け入れていたのだ。しかし、これだけの期間家を留守にするつもりは到底なかった。


 一つ違いの弟は、浦島よりよほどしっかりしているので家を任せるのに不安はない。その下の妹も器量よしで、村でも評判だ。しかし一番下の弟はどうだろう。かめ吉が悪ガキどもにいじめられているのを心配して、浦島に頼みに来るようなやつだ。いつになっても帰らない浦島を、布団に入らず待っていやしないだろうか。


 そんな弟たちを、浦島はどうして長い間放っておけただろうか。


(海の世界があまりに美しかったからか……? いや、ここには朝も夜もないからか?)


 海の底だけあって、城から少し離れてしまうと景色はあまりに暗い。対して竜宮城は輝いていて、そんな世界で暮らしている間に浦島の正しい時間感覚は失いつつあった。


(それにしたって一年はないだろう。俺はどうかしていたのだろうか)


 浦島は、自分を叱咤した。たとえ海のなかにとどまりたくなる理由があっても、だ。

 初めて会ったときに、怯みながらも決してうつむかなかった娘のことを、関わり続ける間にそばにいてやりたいと思った女のことを、無理やりに頭から追い出す。


(早く帰らなければ……。ただ)


 浦島はひとつ、釈然としないことがあった。


(どうして今になって思い出した?)


 何か、眠りにつく前に特別なことがあっただろうかと記憶を思い返す。

 そうだ、いつも世話をしてくれる竜宮城に仕えるものの話を聞いたのだ。


 その女は、乙姫の世話役の一人だと聞いている。その世話役が、廊下でまじない師と話しているところに出くわしたのだ。


 まじない師は言った。 


「もうすぐ竜宮城の主が帰ってくるぞ」


「まあ大変。王は招かれざる客を歓迎しないでしょうね」


 世話役は、嫌味ったらしい声でまじない師に返す。

 たまたまその場を通りかかった浦島は、聞こえてきた話に眉をひそめた。


「それは俺のことか」


 思わず口を挟むと、世話役は焦ったように廊下の奥に姿を消した。代わりにまじない師が浦島に答える。


「おや、お客人。盗み聞きとは礼儀がないな」


 まじない師の表情は見えなかったが、浦島をあざけるように笑ったのが浦島にはわかった。どんどん不快な気持ちがわいてくる。

 まじない師は常日頃から、被り物や大きな布を被っており、どのような姿か判別しづらい。声だけで男と判断しているが、浦島は奴の本当の姿を知らなかった。


「まあ、王は寛大な方だ。お客人が気にすることはない。もう眠るといい。……そうだ、よく眠れるまじないをかけてやろうか」

「いや、結構だ」

「そう言わず……」


 それが、眠る前の最後の記憶だった。

 浦島はまじないを断ったはずだが、あの悪趣味なまじない師が勝手にしていてもおかしくはない。


 翌朝の浦島は、陸に置いてきた家族が、行方知れずの長男坊をどう思っているだろうか、という疑問にようやくたどりついたのだから。


(まじない師が、俺を追い出したかったのかもしれないな)


 浦島は誰にも見られていないのをいいことに、あの薄気味悪い男への苛立ちのまま舌打ちした。


 まじない師はなぜか、浦島が海に訪れた直後から、浦島を避けるような言動をとっていた。まじない師はどうやら、陸の人間が気に食わないらしい、と知ったのは、しばらく経ってからのことだった。


 たまに言葉を交わす必要があっても、まじない師は浦島を馬鹿にしたような態度を隠さなかった。

 海の者たちは、ほとんどが浦島を快く受け入れていた。それゆえに、まじない師の浦島へ向ける悪意は際立っていた。


 そして、まじない師と話していた世話役だ。

 あの世話役もまた、まじない師のように陸の者を嫌う性質だったのかもしれない。二人が共謀して、浦島を竜宮城から追い返す算段をつけた可能性は大いにある。


(しかし……くそっ)


 まじない師たちの思惑に従うようで癪だが、このまま残してきた家族のことを放っておくことは、浦島にはできなかった。


 (腹をくくるしかない)


 浦島には、現在竜宮城を取り仕切る乙姫に対して、家に帰る旨を伝えるほか選択肢はなかった。

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