第6話

 夜の闇は私にとってそれほど恐ろしい物ではない。それは私を優しく包み込み他のあらゆる物事から守ってくれるのだから。

 今日、今も、そうであることを願っている。




 リリーと二人、工場を抜け出した私たちはとある場所へ向かっていた。その場所は私にとって非常に思い出深く、しかし二度と訪れる事は無いと思っていた場所。

 私は過去とほぼ同じ目的でその場所へ向かっている。

「あなたがエスコートしてくれるなんて仲良くなれたみたいで嬉しいわ」

 リリーはのんきにそんな事を言いながら私の後を付いて来る。何も疑ってはいないらしい。

 工場地帯を抜けて住宅街へ、幾つもの街灯を潜り抜けて徐々に山間部へ。鬱蒼とした木々が生い茂り人々の侵入を拒むようなその地へ向かう。

 家の灯りも遠くになって来た。目の前には大きな壁がある。その壁は一見するとどうにも通れないように見えるのだが一か所だけ石によく似た発泡スチロールがあるのだ。それを蹴飛ばして道を作る。

「あら、入っていいの?」

「大丈夫。私の知り合いの土地なんだ」

 作り上げた道を四つん這いで通り抜けるとリリーも中へ。先程蹴飛ばした発泡スチロールを再びはめ込む。

「こうしておかないと子供が入って来でもしたら大変だからね」

「色々と気を遣ってるのね」

「行こうか。目的地はもう少し先だよ」

 この土地はろくに手入れもされておらず木々が好き放題に生えていて、すぐ近くには町があるとわかっているのにふとした拍子に遭難でもしているのではないかと錯覚してしまう事がある。だからこそこれからの事には都合が良い。

 背の高い木々は星々の灯りを遮っておりともすれば足元も見えないほど、そんな世界の中で輝きを見せるのは懐中電灯、ではない。振り返ればあの金色の髪と深い青緑の瞳がより強い輝きを持っていると誰もが理解するだろう。

 あの輝きは見るのもあと僅かだ。

 足元は落ち葉に覆われ、太い木の根が地表を這い、ふとした拍子に足を取られてしまいそうになる。斜面や段差も増えて少し進むのにも苦労するのだ。

「険しくなって来たわね」

「もうすぐだから」

 リリーの声に恐怖は無い。今日一日、あんな体験をしたにも関わらず声も態度も表情にさえも、彼女のそれら一切に恐怖と言うものは存在しなかった。もしかするとそれをどこかに置き忘れたからあんな風になってしまったのだろうか?

 今も夜闇の中これほどに足場の悪い場所、常識的な判断をするならさっさとこんな場所からは離れるべきであると言うのに私の後を付いて来る。

 実に彼女は私にとって都合よく動いてくれている。

「リリーあそこ、一際大きな木があるでしょ」

 斜面の上、指差した先にあるのは昔聞いた話では樹齢数百年という巨大な銀杏の木らしいのだが、流石にそれは眉唾だ。と言っても両親が幼い頃には既に両手で囲めない程に太かったというのだから百年以上あるのは本当だろうけど。

 まあそれはどうでもいい。あの場所こそが今日の目的地だ。

 という訳で。

「あ」

 足を取られてこけた、ふり。

 ついでとばかりに懐中電灯が手を離れ斜面を落ちる。

「あら、大丈夫かしら?」

「うん、大丈夫。怪我はないよ。懐中電灯取りに行くから先に行ってて」

 おお、我ながら実に嘘くさい演技だ。しかしリリーは疑問に思わなかったようで先に例の木の元へ。私は懐中電灯を取りに行き、その灯りを消した。

 あの場所はこの山の頂上だ。背の低い数十メートルしかない山ではあるが辺りを一望できる景色の良い場所でもある。おそらく今頃リリーはその景色を見てこれを見せる為にこんな場所に来たのだと思い込んでいる事だろう。

 斜面を一歩一歩確かな足取りで登って行く。リリーは私に背を向けている。銀杏の木に手を付いて遠くの景色を見つめている。実に無警戒で無防備だ。


 こんなひと気のない場所でやる事なんて一つしかないのに。


 ポケットには小さなレンチが入っていた、少々心許無いが不意打ちするには十分だろう。逸る気持ち、足音は高く。

 いつぶりかの殺人に鼓動が高鳴る。

「ここにご両親を埋めたのかしら?」

 銀杏の木の横で揺蕩う金の髪、そしてその隙間から怪しく光る青緑の瞳が私を見据えていた。

 思わず私は足を止めていた。彼女が声を上げたタイミングは正に絶妙で、ここから一足飛びに襲い掛かるには少し遠く、かと言って逃げるには近過ぎる。進むことも戻ることも今更出来ない、出来ないのだ。

 吹き抜ける風が木々を揺らし怪しい音を奏でる。私にはそれがリリーの指示で行われているかのようにさえ感じていた。彼女は私の感じている恐れを理解し、寄り添い、だからこそより強くそう感じるように仕向けているのだと。

 辛うじて残っていた理性で以て恐怖を抑え込み、ゆっくりと呼吸を整える。

「……り、リリー、何を言っているの?」

 あまりに遅すぎる反論はある意味では自白のようにさえ感じられるが、そんなことを考える余裕は無かった。

「私が両親を? 何でそんな……。私の両親は死んでなんかいないよ」

「私が見せた学校近辺の心霊スポットの地図は覚えてる?」

 それは図書室で会ったあの日に見せられたものだ。

「当然覚えているでしょうね。あなたはあれを見た時に驚いたんじゃないかしら?」

 そうだ、驚いた。そして恐ろしくなった。

「あなたが両親を埋めた場所が地図に記されていたのだから」




 時は数か月前に遡る。

 私の両親がどんな人間だったのかについては語るつもりは無い。細かく思い出すなど煩わしい。ただいつも二人喧嘩ばかりで騒がしく、そう、私の人生には邪魔だったという事だけ知っていればいい。

 私は私の邪魔をするものが許せない。それは幼い頃からの性状であり今に至るまで変わらない、私の行く道を邪魔する看板は無視し壁は壊し獣は蹴り飛ばす。

 何も間違いなどない。

 私は私が生きたいように生きるのだ。邪魔をするものは全て消えてしまえばいい。

 両親も例外ではなかった。

 まだ幼く自らの力で何も出来ない頃からあの二人は邪魔だと感じていた。一方でその庇護下でしか生きられない事は分かっていた。知識も金も体力も何もかもが足りなかった子供の頃、あの頃は毎日が歯がゆくて苦しい日々だった。

 しかし様々な知識を付けて高校生になり状況が変わる。二人の持っている貯蓄と自分が成人するまでに必要な金額を考えると、既にあの二人は不要なものと成り果てていた。


 だから殺した。

 

 家族ともなると殺すのは簡単だ。寝込みを襲えば良いだけ。問題は処分方法、だったのだが。これも簡単な解決策があった。

 何の因果か我が家に代々受け継がれていた誰も使わない山野の土地があったのだ。周囲は柵や壁に覆われそうそう人が入ることも無い。そこに埋めてしまえば良い。なぜあそこにいたのかという言い訳にも土地の所有者というのは非常に都合が良かった。休みの日にキャンプをしていたとでも言えばいいのだから。

 二人を埋めた私はこの銀杏の木の横に立って町を一望した。

 両親は大学に入ったら失踪したことにしよう。普段から喧嘩の多い二人は家を数日空ける事も珍しくない。私はまたいつもの喧嘩だと思ったら一か月以上も帰って来なくてようやく何かおかしいと思った。そういう話にしよう。

 その頃にはこんな場所に埋められた死体は誰の物かもわからないほど朽ちているだろうから。




 その考えが甘かったと知ったのは三日前、リリーと話をしたあの時だ。彼女が楽しそうに自慢げに見せて来た近辺の心霊スポットマップ。あろうことかそこには私が父母を埋めたこの場所が記されていたのだ。

 焦っている内心を隠しながらもリリーとのより深い接触を試みた。言うまでも無いが、私は決して殺しをしたいわけでは無い。現代社会に置いて人殺しは足が付きやすく、また警察が本気で追って来るのであれば好きなように生きるなどと言っている場合でなくなるのは間違いない。

 故に私は彼女をこの場所から遠ざける目的で心霊スポット巡りに参加を表明したのだ。この行為を無駄だと諭す、或いはここに近付いてはいけない理由を説明し諭す、どちらかの方針で考えていた。彼女が話を聞いてくれる人間であればここが私有地であることを理由に犯罪であるからやめようと諭すのが手っ取り早いとも。

 しかしどうだろう、リリーははっきり言って頭がおかしい狂人の類だ。幽霊に対して恐怖を感じていない事もそうだが、何より後輩ちゃんが死んだと言うのに変わらずあの態度なのが不味い。そもそも、彼女がこれまでに行って来た行動の遍歴を聞いた時点でそれは想像できていたことだが……。とにかく、間違いなく彼女は法律などに縛られて動くことは無い人間だ。

 ここを訪れた彼女が何かの間違いで死体に気付くかもしれない。それは私の身の破滅を意味する。

 故に、今日、この日、彼女を殺さねばならないのだ。

 あの工場で後輩ちゃんが消えた今日だけは、彼女が消えても問題ない日なのだから。




 震えが止まらないのは夜の寒さのせいだろうか、或いは人を殺すという決意故か、それとも……。

「あなたが私をここに誘ってくれた時、本当に嬉しかったわ。だってあなたのご両親の死体がどこにあるのか私は正確には分からなかったから。流石にこの山の中を探し回るのは大変だものね」

 彼女の声はいつもの調子と変わらない。この状況を前にしても変わらないのだ。

 わかってる? あなたの目の前にいるのは人殺しよ?

「……どうしてあなたはそんなことを確信してるの? 私が両親を殺したって証拠でもあるの?」

「そんなもの無いわ。私は探偵や刑事じゃないもの。ただ偶然、あなたがご両親を家から持って出るのを見ていただけ」

「……は?」

「本当に偶然よ。夜の町を探検していたらたまたまあなたの家の前で少し大きな物音を聞いて、しばらくしたら大きな荷物を持ったあなたが出て来た。それで後をつけたの」

「……何で荷物の中身を」

「覚えてないかもしれないけれどあなたほんの少しだけ荷物から離れた瞬間があったのよ。その時に中を見たわ」

「そんなはず……」

 いや、あった。あの敷地は柵や壁に覆われている、どうやってそれを超えようかと試行錯誤している時に少しだけ。

 その時に見られた?

「……何で」

「なぜ警察に通報しなかったか?」

 そうだ、警察に通報すべきだろう。それとも狂人にはそんな理屈が通じないとでも?

「だって都合が良いでしょう?」

「……都合が?」

「親殺しだなんて、先祖の霊に化けて出て来てくれって言ってるようなものじゃない」

 それはあまりに私の理解を超えた言葉だった。おそらく私が間違っていたのだろう、狂人にまともな理屈が通じるだなんて僅かでも思ったことが。

「言ったでしょ? 私は幽霊がいるって事を確かめたいの。あなたがいればご両親の幽霊が出て来てくれるかもしれないじゃない。それに物の話じゃ殺人鬼のような人の傍には出やすいとも聞くわ。実際、あの廃工場ではそれらしいものに会えたでしょう?」

 それは、そうなのだろうか? わからない、何もわからない。

「あなたの事を知ってずっとあなたとどうやって知り合おうかと考えていたの。そうしたら図書室で本を読んでいるのを知ってね。ジャンルは気にせず好きなように読んでいるみたいだからいずれオカルト関連の本を読むこともあると思っていたわ。その時の為に偽の心霊マップも作ってずっと待ってたのよ」

 あのマップは偽物だったのか、そんな今更どうでもいい事実を明かされながらも私は何もすることが出来ない。それでも歯を食いしばり顔を上げて彼女を見る。

「……なぜ幽霊を探すの?」

 掠れた声を振り絞る。それが私に出来る精一杯だ。

 リリーはその問いに対して過去を懐かしむようにほんの僅かに目を細め懐からペンダントを取り出す。彼女はそれをこちらに見せた、どうやら写真が入っているタイプのペンダントらしい。

「そこからじゃ見えないかしら? この写真はね、私の恋人の写真なの」

 狂人にしてはまともだ。

「三年前に死んでしまったけれど」

 ……まあ、死んだとしてもその人を想うのは比較的普通の事だろう。

「彼は死ぬ間際に言ったわ。たとえ死んでも私を見守ってるって、幽霊になろうと私と共にいるって」

 それは死に行く者が残された者を慰める為に言う言葉だ。互いがそのことを理解していたとしても僅かばかりの慰めを得て前を向く為のものであるはずだ。

「だから私は幽霊がいることをはっきりさせようと思ったの。本当にそれがいるのなら、彼もきっと私の傍にいる。そうでしょう?」

 そんな風に本気でそれを求める者など居てはならないのだ。こんな狂人になってしまうのだから。




 町の景色からは徐々に灯りが消えて行く。時間はいつの間にか深夜、人の眠りに就く時間だ。

 もはや私はリリーを殺そうとしていることなど忘れていた。いや、違う。それは正確じゃない。正しくは、もはやリリーに逆らう気力を失っていた、というべきだ。

 彼女の象徴たる金色の髪と青緑の瞳、それから放たれる怪しい魅力、或いは魔力を前にもはや戦う術は無かった。ひれ伏すことなく立っていられるのはもはや自らの身体が言う事を聞かないからだという事をはっきりと自覚させられる。

 彼女を殺すことは諦めよう。

 ただ一つ、救いがあるとすれば。

 彼女には私の邪魔をする意志は無いという事だ。今になって警察に訴え出るはずも無いし、これ以上彼女に関わらなければすぐに彼女との繋がりは消えて無くなるはずだ。

 今回の事は悪い夢だった。幸いにももう寝る時間、そう思って日常に回帰していくのが凡人たる私に出来る唯一の事なのだろう。

「ところで次はどこに行きたいかしら?」

「……は?」

 そう思っていたところ、不意打ち気味にリリーがそんなことを言った。次はどこへ行く? なぜ? 私が?

「あの場所に行った時に幽霊が出たのはあなたがいたからかもしれないでしょ? だったら次もあなたが一緒に行くのは当然じゃない」

 理屈は通っている、のだろうか? 言いたいことは理解できなくも無いがそんなの了承するわけが無い。

 一緒に行った後輩ちゃんがどうなったのか覚えてないの?

「ふふ、そんな顔しても駄目よ。だってあなたは殺人者なんだもの」

「……それが?」

 ふと気付くとリリーの手元に光るものがある。それは現代の必需品であるスマホの灯りだ。

「例えば、私が不慮の死を遂げて帰って来なくなったとしましょうか。その時に、そうね。例えば私の友人の手によってあなたの所業が急に世間の噂になる、なんてこともあるかもしれないわね」

 それは明確に脅しだった。

 つまり、これは……。既にどうしようもない事態になっているという事なのだろう。

「仲良くしましょう? 私の望みが叶うまで」

 私は気付く。リリーを狂人と呼ぶのは少々間違っていたのだと。

 人も化け物も幽霊も何もかも関係ない、全てを恐れ慄かせる。彼女こそは恐怖そのもの、ホラーと呼ぶに相応しい存在だ。

 彼女に魅入られた者の末路を語る必要は無い。大抵のホラー映画を見ればわかる、恐怖の象徴とは基本的に不滅の存在であり私たちに出来るのはそれが目の前に現れる日を僅かばかりに遅らせる事だけなのだろう。

 出来ることはただ一つ、いつか訪れる死までその日が訪れない事を祈るだけだ。




 








 炎が消える。

 どうやら私の身体は炎に焼かれ残されたのは脆くなった骨のみ。残された家族が骨を拾い上げ骨壺に納めて行く。何を思えばいいのか難しい。この状態でどういった気分になれば良いのだろう、ただ悲しそうに泣くのは止めて欲しいぐらいだ。

 死んだものは仕方ない。前を向いて生きてくれ。

 長く生きたもので、もはや私を見送る者も少ない。子供や孫とほんの僅かな友人たちが送る葬儀、これ以上ここに残る必要も無いだろう。

 火葬場を後にする私の目に懐かしい金色と深い青緑の色が映った。

「あら挨拶も無しなんて寂しいわね」

 その時、私は若い頃の勘違いを正すことになる。

 なぜ死ねば彼女から逃れられるなどと思った? 自分でも思ったじゃないか。彼女は化け物や幽霊さえも恐れさせたのだと。

「また一緒に旅をしましょう?」

 恐怖から逃れる事は出来ない、きっと、永遠に。


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彼女はホラー @fujinoyamai

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