#2. Rivalry

 翌る日。

 結局帰らなかった統括マネージャーこと千羽葉月は、朝の光を浴びながらエナドリを片手に仕事を続けていた。気分転換にコーヒーを選んだことも時間もあったが、どんなコーヒー豆を選んでも味がわからなかった。

 お抱えの配信者が増えたことおかげで仕事量が右肩上がり。「統括部なのに労働環境が統括されてない」とクレームを入れたくなるほどである。


「千羽さん、統括マネージャーさん。二十八莉奈つちやりな、参上しました!」


 こんな早い時間に勢いよく入室した少女に、千羽は顔を上げた。


「行きましょうか、二十八さん」


 二十八莉奈はミーティア・グループ社長、氷上聖が直々にスカウトをし、新たにに加入した配信者ホープであり、チャンネル登録者三万人の個人勢から転生を経ず事務所所属になるという界隈において稀有な系列をこの度持つことになった。

 彼女魅力はなんと言っても圧倒的な歌唱力にある。初配信で「武道館に立ちます!」と宣言した時、笑っていた有象無象をすぐさま制圧する程度には力があった。


「この時間、会議室が企画部で埋まっててさ。フリースペースでも大丈夫?」

「はい、全然!」


 まだ事務所の全貌を把握していない彼女は、初めて足を踏み入れた“フリースペース”に興味津々の目を向けた。カタカナ語を使って凄そうな場所であると思わせる仕掛けを施してあるが、実態はただの雑多部屋である。

 キッチンスペースには古参の人間が持ち込んだコーヒーマシンが配置。残業する民へのカンフル剤として冷蔵庫にはエナドリも完備。さらに残業戦士たちが持ち寄ったお菓子までもが大雑把に置かれている。


「ここ作業するのに良さそうですね」

「二十八さんもそう思いますよね。奏美……九鬼にはこんなところまで仕事を持ち込むなって怒られるんですけどね」


 フリースペースはもともと休憩室として用意された場所であるが、この休憩室で仕事をするマネージャーが居心地よく仕事をするようになり、結果として仕事兼休憩用という公私を曖昧にさせる空間へと進化した。


「そうなんですか……私は作業スペースでも集中できない人間なので、こういう様相が変わる場所があればいいと思うんですけど」

「自分も同じような考えです」


 軽口を交わしながら、千羽は冷蔵庫からコーヒーを取り出し、紙コップへ注ぐ。


「よかったらどうぞ」

「ありがとうございます」


 緊張気味の二十八。

 千羽は気づかぬふりをしたが、アイスブレイクがうまくいっていないことは自覚していた。


「本題に入る前に……一つ聞いてもいいですか?」


 二十八が小さくうなずくと、千羽は核心に踏み込んだ。


「九鬼奏美のこと、どう思ってる?」


 少し待ってみるも彼女はどう答えたらいいのか迷っているようだった。


「別にいいだろ? 素直な気持ちを聞かせてくれ。俺なんか、あいつのこと倒すべき悪魔だと思ってるし」

「倒すべき……悪魔?」


 目を丸くする彼女。

 千羽は畳みかけるように、やけに流暢な解説を始めた。


「そう、悪魔。仕事を増やす元凶。フレックスという言葉に裏の意味を持たせた悪魔。労働基準法を軽く超えてくる悪魔。だけど、あいつのおかげで、お給料をもらって俺は生きていられる。だから天使であり悪魔みたいな? おっと本音が」

「……な、なるほど……?」


 言葉を失っているのが一目で分かる。

 しかし社会人としての建前など、千羽葉月の辞書には存在しない。千羽は遠慮なんて不必要なものを疾うの昔、それこそ上京することには持ち合わせていなかった。


「ま、俺の印象はこんなもんで。次は二十八さんの番だ。二十八莉奈にとって九鬼奏美はどう映る? 羨望? 憎悪? 開拓者?」


 二十八は、しばし沈黙し、慎重に言葉を選んでいるようだった。


「純粋なリスナーだった時代はそれこそ羨望の眼差しを向けていました。初めて参加したライブである川崎で、彼女にの歌を聴いて震えたのを覚えています。でも……」

「でも……?」


 彼女は言葉を続けることはできなかった。自分の感情を高度に言語化することに関してはまだまだ子どものように見える。それは本音という毒物を如何にして優しくコーディングするかという難易度の高い操作である。


「自分が配信を始めて……インターネットに自分の歌を投稿するようになってからは、もっとわかったことがあって……」


 彼女は俯いてずっと視線を合わせようとしなかったが顔を上げてこちらを見る。


「かなみん......九鬼先輩はインターネットで歌うことが、ただの趣味じゃないって証明してくれた人。だから、とっても感謝しています。この業界でやっていく覚悟を決めさせてくれてありがとうって」

「……で?」

「ミーティアに入って、同じスタジオに立てるようになって……ようやく、肩を並べた気がします。私にとっては――越えるべきライバルです」


 その言葉には濁りがなかった。奏美はインターネット黎明期に歌ってみたの投稿活動を通して、レーベル所属でない一般人が活躍する筋道を作った。その後ろを追いかける一人が二十八莉奈なのである。

 千羽は、満足げに笑った。


「よく言った」


 そして、身を乗り出す。


「じゃあ、それを踏まえて提案がある」

「なんでしょう?」

「畏まらなくていいからね」


 二十八は、まだ緊張を解けずにいる。

 無理もない。ミーティアでも新人の新人だ。少なくともこの事務所で先輩を風を吹かせられるまでは、この感覚を拭うことは難しいだろう。

 一方、千羽はにやりと笑った。


「二十八さん、九鬼とで勝負してみませんか?」


 二十八莉奈は千羽葉月を二度見した。

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