第16話
あの夜から、一ヶ月が経っていた。
メールはしていた。
仕事が忙しくなったみたいで、なかなか会えなかった。
本当に仕事が忙しかったのかは、今となってはわからない。
でも、あの頃の私は、それ以上深く考えなかった。
メールが来れば嬉しかったし、
「仕事が落ち着いたら、また会えるよね」
そう思っていた。
だから、一ヶ月ぶりに晃哉を見つけたとき。
胸の奥から込み上げてきたものは、寂しさよりも先に――
嬉しさだった。
その場所は、sugarだった。
店内に入った瞬間、身体の奥まで響くような重低音が耳に飛び込んできた。
薄暗いフロアには、人が溢れていた。
色の変わる照明が、踊る人たちの顔を一瞬ずつ照らしては、また暗闇へ消していく。
笑い声。
グラスの触れ合う音。
誰かの香水と、少し煙草の混じった空気。
熱気で、少し息苦しいくらいだった。
そんな人の波の向こうに――
見覚えのある姿があった。
「……え?」
一瞬、目を疑った。
DJブースに立っていたのは、晃哉だった。
「こうちゃん……?」
来れないかもって言っていたのに。
一ヶ月ぶりに見る晃哉は、いつもより少し遠くにいるように見えた。
ヘッドホンを片耳にかけ、機材を操作する横顔。
時々、フロアを見渡すように顔を上げる。
その姿を見ているだけで、胸がいっぱいになった。
会いたかった。
そう思った。
本当は、ずっと会いたかったんだ。
しばらくすると、私は何人かの男の人たちに声をかけられた。
久しぶりに会った友達もいて、自然とその輪の中で話をしていた。
笑ったり、相槌を打ったり。
ふいに一人の男が、私の肩に抱きついてきた。
そのとき――
曲が変わった。
聞き覚えのあるイントロが、フロアに流れた。
私は、ふっと顔を上げた。
「……この曲」
思わず、DJブースを見る。
その曲は、私が好きだった曲。
私たちにとって、思い出のある曲だった。
そして、その次の曲も。
ラスト二曲。
どちらも、私には意味があった。
隣にいた澄香が、私の顔を見た。
「唯……」
「ん?」
「この曲って……」
澄香は少し驚いたような顔をして、DJブースを見る。
「もしかして、晃哉さん……わざと?」
「……わかんない」
そう言いながらも、私は晃哉から目を離せなかった。
そして――
目が合った。
遠くのDJブースから、晃哉がこっちを見ていた。
一ヶ月ぶりに見るその顔は、笑っていなかった。
むしろ――
ムスッとしていた。
眉間に少し皺を寄せて。
まるで、面白くないものでも見ているみたいに。
晃哉はすぐに視線を外して、また機材へと目を戻した。
その横顔が、なぜか少しだけ寂しそうに見えた。
その夜。
久しぶりに会えた嬉しさのまま、私たちは晃哉の家へ向かった。
一ヶ月ぶりに入る部屋は、何も変わっていなかった。
見慣れた家具。
いつもの匂い。
さっきまでクラブの大きな音に包まれていたせいか、部屋の静けさが妙に心地よかった。
二人でお酒を用意して、向かい合って座った。
「久しぶりだね」
私が言うと、晃哉はグラスを持ちながら笑った。
「そうだね、でも、そんなに経ってないっしょ。」
その笑顔を見た瞬間、また嬉しくなった。
一ヶ月。
私にはとても長かった。
でも、今こうして隣にいる。
それだけで、全部どうでもよくなった。
お酒を飲みながら、いろんな話をした。
仕事のこと。
最近あったこと。
そして、もうすぐ来る晃哉の誕生日。
「そういえば、こうちゃん誕生日もうすぐだよね?」
「ああ」
「何歳なるんだっけー?」
わざとふざけた声で聞くと、晃哉が眉を上げた。
「教えない」
「えー! なんで?」
「もうめでたい歳でもないっしょ。」
「そんなことないよ! こうちゃんが産まれた日だよ」
私が笑うと、晃哉も笑った。
その表情が、すごく柔らかかった。
「じゃあさ、誕生日プレゼント何欲しい?」
「なんもいらないよ」
「またそれ言う」
晃哉は少し照れたように目を逸らした。
そんな他愛もない会話が、嬉しかった。
そのまま、お正月の話になった。
「こうちゃん、お正月は実家帰るの?」
「……うん。帰る」
「そっかぁ。楽しんできてね。メールするね。」
「うん、電話でれなかったらごめんな、メールしたいときにしてな。」
グラスを傾けながら、そんな話をしていた。
一ヶ月ぶりだからこそ。
その一つ一つが愛おしかった。
私は、ずっと言いたかったことを、とうとう口にした。
「こうちゃん」
「ん?」
「……会いたかったぁ」
晃哉が私を見る。
一瞬だけ目を丸くして。
それから、口元を少し緩めた。
「……本当に?」
「本当だよ」
「ほんとかぁ?」
「ほんと!」
私が笑うと、晃哉も笑った。
「一ヶ月だよ? 長かったんだから」
「そう?」
「そうだよ」
「俺はそんなでもなかったけど」
「嘘!」
「ほんと」
「絶対嘘~! でも、私こうちゃんに会えてすっごく嬉しい!」
「はいはい。」
子供をあやすように、晃哉は笑った。
一ヶ月会えなかった理由なんて、そのときの私にはもうどうでもよかった。
メールはしていた。
だから、また会えると思っていた。
そして今、こうして会えている。
それだけで幸せだった。
晃哉がグラスを口に運ぶ。
その横顔を見ながら、私は思った。
やっぱり、好きだな。
一ヶ月離れていても。
会った瞬間、何も変わらなかった。
むしろ――
会えなかった時間があったからこそ、今この瞬間が、たまらなく愛おしかった。
あの頃の私は、知らなかった。
この一ヶ月、晃哉が何を考えていたのか。
なぜ、突然sugarに現れたのか。
なぜ、ラスト二曲にあの曲を選んだのか。
そして――
あのとき私を見ていた、あの少し不機嫌そうな顔が。
どんな気持ちから生まれたものだったのか。
私は、何も知らないまま。
ただ、久しぶりに会えたことが嬉しくて。
「会いたかったぁ」と、子供みたいに笑っていた。
ねぇ、こうちゃん。
相変わらず、大人な対応しかしないこうちゃんだけど。
私は、5分でも、少しの時間でも、会えただけでこんなにも幸せだったんだよ。
いつも、こうちゃんは「会いたい」なんて口にすることはなかったよね。
素直に「会いたかった」と笑う私に、こうちゃんはいつも笑っていた。
「本当に?」なんて、からかうように聞いて。
「ほんとだよ」って答える私を見て、また笑って。
あの頃の私は、それだけで幸せだった。
こうちゃんが同じように思ってくれていたのかなんて、聞かなかった。
聞かなくても、会えたことが嬉しかったから。
……今思えば。
私は、こうちゃんの「会いたい」を、言葉ではなく、別の何かで受け取っていたのかもしれないね。
あの夜、ラストに流れた二曲も。
私を見ていた、あの少し不機嫌そうな顔も。
あの頃の私は、まだ何も知らなかったけれど。
それでも私は――
こうちゃんに会えて、本当に嬉しかったんだよ。
残響 いろは @pappi5021
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