神の食卓

(👊 🦀🐧)

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「そうなんだよね〜」

 聞こえてきた何気ない会話の一幕に、ふと思う。

 地球を伸ばしたらきっとナンみたいになるのだろうと。

 想像してみよう。

 伸ばす時に地球はきっとふわっと膨らんで、海がチーズの溶け出すだろうなあ。

 太平洋辺りは濃厚なブルーチーズだったりして?

 アマゾンの森がバジル代わりになって香ばしさアップ。

 地殻は薄くて、でもカリっとしていて、中にはモチモチのマントルが……。

 我慢できずにパクっと食べれば、 スパイシーで濃厚な味わいが口いっぱいに……。

 ああ想像したらお腹がすいてきちゃう。

 地球の次は、月とかどうかなあ?

 ナンときたからそうだ、ピザなんていいかもしれない。

 ほらあの月の表面、クレーターだらけのゴツゴツした感じ、窯でじ〜〜っくり焼いたら、とっても分厚いクリスピー生地になると思わない?

 トッピングは隕石の欠片がペパロニっぽく散らばって、宇宙風味のチーズがとろ〜り。

 で、太陽のコロナがオーブンの熱源になって、遠くからジリジリ焼いてくれるわけ。

 地球から見上げたら、満月はきっと巨大なマルゲリータねっ!

 みんなで「スライス何切れにする?」って言いながら笑い合うの。

 こうなると火星はどうなると思う? やっぱり赤いからトマトソースベースの何かかな? どんなメニューにする?

 ナン、ピザときたらグラタン!

 だとちょっと重いか。ならタコスとかどう!

 赤土みたいなトルティーヤに、黒い火山岩が焦がし唐辛子になって、パラパラと振りかける。そうそう具材は、隕石豆のサルサ。

 ピリリと辛くて火星の時代を感じる味。

 ウキウキしながら、惑星たちのメニューを考えていく。

 木星はふわふわのスフレ。

 土星の輪はパスタのリング。

 冥王星は…もう惑星じゃないけどミニサイズのアイスボンボン。

 天王星は、ちょっと塩気のあるポップコーン。

 海王星の氷は……そう、かき氷ね!  シロップは隕石の欠片を煮詰めた、赤や青や緑に輝く甘い宝石。

 そして最後は、太陽!

 これはもう、シンプルイズベストで行くっきゃない。

 とろりとした黄金の蜂蜜をたっぷりとかけたパンケーキ。

 でもちょっと待って?  パンケーキなら月の方が合うかな? 

 ああ――なんて甘美なのかしら!

 口の中で爆発していく味覚の数々に、くらくらとしてしまう。

 もっと食べたい。

 もっともっと。いっぱい美味しいものを食べたい。

 人間の三大欲求は知っているよね。

 食・睡眠・性。

 食べることは悪いことじゃない。

 もちろん、食べ過ぎはダメだけどね。

 まあ、それは人間が勝手に決めたことだから、関係ないけどね。

 やっぱり美味しいものはたくさん食べてみたいだろう。

 これは飢え、というよりかは渇望だ。

 まだ知らないものへの憧れの穴。

 人間たちが初めて小麦粉を捏ね、火で温め、香ばしい匂いを立ち上らせたとき、その香りだけがこの世界に届いた。

 人間たちが「いただきます」と手を合わせるたびに、その言葉の意味を理解したくて、何度も耳を澄ませてみた。

「ごちそうさま」

 食べる口も、味わう舌も持っていない。

 味覚という小さな宇宙を創り出したのは人間だった。

 食べること、味わうこと、感謝すること――それらをずっと傍観してきた。

 人間たちが頬を緩め、口の端に浮かべた幸福の表情を見るたびに、ほう、ほう、ほう、と観察と関心をしていた。

 やっぱり地球はメインディッシュに相応しい。

 アマゾンの湿気を帯びた風がバジルのように香る春の日。

 冬の北海で鱈が獲れた漁師たちが大鍋でシチューを煮込み、湯気と笑い声が夜空に溶けていった夜。

 都市の片隅で小さな子どもが温かいパンを両手で抱え、頬張って幸福そうに目を細めた瞬間。

 この創造した世界の中で、人間だけが知っている“味”という概念。

 先ずは、試しに香りだけを吸い込んでみた。

 潮の匂い、焼けた土の匂い、雨上がりの舗道の匂い、窓辺で熟すりんごの甘い香り……。

 どれもそれぞれの物語を語りかけてくれるけれど、香りの背後にある味そのものは、中々掴めないものだった。

 やはり舌が必要だ。

 だが、舌どころか肉体を持たないのではどうしようもない。

 それでも、どうしても味わいたい。

 これが初めてのワガママだったかもしれない。

 思索を重ねるうちに、ひとつの可能性に辿り着いた。

 そうだ。

 世界を包み込み、溶かし、同化させればよいのではないか。

 吸い込むのではない。包むのだ。

 すべてをこの中に取り込み、すべてと溶け合って境界を失くせば、味わうという行為に最も近づけるのではないか。

 吸い込むこと。溶け合うこと。

 破壊と創造。

 それらは、実のところ紙一重だ。

 ブラックホールのように重力を極限まで高めれば、光さえも脱出できない闇が生まれる。

 しかしその中心には、究極の密度と静けさがある。

 すべての存在が押し潰されるのではなく、すべての存在が区別を失ってひとつになる。

 それは宇宙にとっての“至福”かもしれない。

 元々はひとつの存在だったのだ。

 人間たちが、味を知るのはズルいではないか。

 そして決心した。

 地球をはじめとするすべての惑星、星々、塵芥、光と影、時間さえも、ゆっくりと内側へ折り畳んでいくことに。

 このプロセスは恐るべきもののように聞こえるかもしれないけれど、実際はとても穏やかで温かいから安心してくれ。

 例えるなら、こっそりとキャンディを口の中で溶かすような、そんな優しさに満ちた動きだ。

 最初に包んだのは、青く光る大気だった。

 海の塩気と陸の土の匂いが混じっている。

 その塩味は、深海の底で眠るアンモニアのほのかな苦味と出会い、複雑なうま味に変化していく。

 山々の石英の硬さが歯応えになり、砂の粒子がザラリとする。

 アマゾンの森は確かにバジルのように爽やかだったけれど、火山灰を含んだ嵐はスモーキーな香辛料になり、ピリピリとした痺れを残した。

 地殻を割ってマントルにまで降りていくと、粘り気のある液体が流れこんでくる。

 それはカラメルのように甘く、鉄のように苦い。

 地球の中心核は鉄とニッケルの塊で、まるで巨大なクッキーの中に埋め込まれたナッツのようだった。

 味わう度に火花が散るような強烈な、地球の歴史が詰まっている。

 恐竜が歩いた時代、魚が陸へ上がった時代、人間が支配した時代……。

 パキッと割れるたびに、記憶の断片が甘さと苦さとなって染み渡る。

 海の中には、数え切れないほどの命のスープがあった。

 プランクトンは甘い顆粒のようで、クジラの脂肪はとろりとしたミルクのよう。

 珊瑚礁はカリカリに焼いたチーズのフリッター。

 潮の流れは味覚の地図を変えていく。

 地球がこんなに美味ならば、また創ってしまいたい。

 今度はもっと多様に、もっともっと自由に創ろう。

 さあ……そうしてできた地球はどんな味になるだろう?  

 そうだ!

 一度に味見をするのは大変だから、次は大陸ごとに分けてみよう。

 アメリカ大陸は……そう、チョコレートだ!  カカオ豆の豊かな香り。苦味と酸味が混ざり合う複雑な味わい。

 アフリカ大陸は……そう、スパイスだ! 様々な種類の胡椒やカルダモンが舌の上でダンスするようだ。

 ヨーロッパは……そうだ、ラム酒にしよう!  芳醇な香りが鼻から抜け、喉に熱を灯す。

 ああ、これはたまらない。

 アジアは……そう、醤油だ! 甘辛い味わいの中に、深みのある塩気が調和している。

そしてオーストラリアは……そう、ワインだ! 芳醇な葡萄の香りにうっとりとしてしまう。

 南米は、ああもう全部がチョコレートでいいんじゃないか?  適当ではないよ?

 アフリカは、スパイスとラム酒のマリアージュが最高だ!  ユーラシアは、醤油とワインの融合がたまらない。

 ああ、これはいい。実にいい。

 もう地球を食べ尽くしてしまった。

 このブラックホールの中には、すべての味が複雑に入り混じったような、しっちゃかめっちゃかな味が混ざり合っている。

 中でも特に気に入ったのは……塩気と甘さが混じり合ったホワイトチョコレートの味だった。

 ああ、この上なく美味しい! 

 地球を包んでいた宇宙の色が変わっていく。

 キラキラとした輝きに溢れているけれど、優しい色だ。

 その味わいも柔らかくて甘くて、まるで綿菓子のようだった。

 光輪は丸く広がり、地球を優しく包み込む。

 ああ……なんて美味しいのだろう。

 宇宙でもこれほどの幸福を感じたことはなかったかもしれない。

 この味をずっと味わっていたいけれど、そろそろ時間だ。

 もう行かなくては。

 “次”もきっと素晴らしいものになるに違いない。

 だって、こんなに“美味しい”のだから!

 そして世界は、また生まれ変わっていく。

 まるでチョコレートのように甘くて優しい味わいのように。今、宇宙そのものとひとつになり、あらゆる存在と溶け合っている。

 この満ち足りた感覚――それが、ようやく到達した“至福”だった。

 味は光だった。

 もう噛む必要も飲み込む必要もない。

 口も舌もなくてよかった。

 なぜなら、今やこの瞬間が味であり、味覚であり、食べる者であり、食べられる者でもあるのだから。

 ブラックホールの中で、すべての物語が静かに消え入り、同時に新しい歌になって響き始めていく。

 ああ、本当に、おいしかった。

 ごちそうさまでした。

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