第2話

 森と平野の境目近くに、その里はあった。

 比較的新しい木材で組まれた柵、まだ築年数の浅い家々。見た目に対して、漂う空気はどこか重く淀んでいる。

 すれ違う村人たちの目は暗く、よそ者であるガレオスたちを見ると、あからさまに拒絶の視線を向けて距離を取った。


「……歓迎されてねぇなぁ」


「田舎ではよくあることだ。それに、目の前に宿があるのに視線一つに怖気づいて野宿にするか? 俺は御免だな」


 そんなやり取りをしながらガレオスたちは一軒の宿を兼ねた酒場へと入った。

 カラン、とドアベルが鳴った瞬間、店内の話し声が波が引くように止んだ。酒を煽っていた数人の男たちが、入ってきた集団をジロジロとねめ回す。その視線には、よそ者への警戒と、それ以上に「こんな何もない村に何をしに来た」という訝しげな色が混じっていた。重苦しい沈黙。だが、ガレオスは意に介さず、空いている席に腰を下ろしてカウンターへ銀貨を置いた。


「「エールを三つに、果実水を一つ。それと宿は空いているか?」


「……ああ、構わねぇよ」


 マスターが不愛想にグラスを拭きながら答える。そのやり取りを見て、近くの席にいた男が口を挟んだ。


「おい、アンタら。随分と立派な装備だが、騎士様じゃなさそうだ。何しに来た?」


 不躾な問いかけ。だがそこには、相手の正体を探ろうとする明確な意図があった。


「仕事だよ」


 ガレオスは運ばれてきたジョッキを手に取りながら答えた。


「『ラスティキー』と言う名で何でも屋みたいな事をやっている。依頼でこの森の調査に来た」


「……調査?こんな何もない田舎で?」


「ああ。『厄災の竜』の話は知ってるか? その発生源を辿れば、昔ここに現れた竜がそうなんじゃないか、ってな」


 ガレオスが嘘偽りなく目的を告げると、村人たちは顔を見合わせ、まるで汚いものでも見るかのように顔を歪めた。


「前の里の事か。……悪いが俺は話したくねぇ。思い出したくもねぇ。マスター、今日は帰る」


 一層重くなった空気の中、話を聞いた一部の客が足早に立ち去っていく。


「あーあ、酒が不味くなる。……だがまぁ、少しなら答えてやる。少しでも早く調査を終えて帰ってくれや」


 酒場のマスターと、帰る人の波に乗り遅れた数人が観念したように席を直した。ガレオスたちは、彼らの周りに椅子を寄せる。


「すまない。恩に着る」


「一杯くらい奢れや。……まぁ、どこから話すかなぁ。とりあえずあった事実だけ話すか」


 男は運ばれてきたエールを一口煽り、重い口を開いた。


「もう10年近く前だ。突然の咆哮と共に黒い炎が降ってきた。どこから、何故来たのかは知らん。ただ純粋に、地獄が落ちてきたと思った」


「黒い炎、か」


「ああ。普通の竜なら、こんな小さな里には見向きもしないもんだが、何故か襲われた。しかも普通の炎なら水で消せる。だが、その黒い炎は消せなかった。その上、その炎は命そのものを燃やしているのか、若い奴ほど長く苦しんで、最後は塵一つ残さず焼き尽くされた」


 男の手が微かに震えている。


「すまない、嫌なことを思い出させた」


「……だが一つ聞かせて欲しい。黒い炎を吐いたんだな? 俺たちが追っている『厄災の竜』が、黒い炎を吐いたとは聞いてないが……?」


 ガレオスの言葉に、村人の一人が顔を上げた。


「そうなのか?」


「ああ。俺たちが知っているのは斑ら模様の竜だ。そいつは白炎を吐くと聞いている。(もしや別の個体か?)」


 横から別の男が思い出したように口にした。


「俺たちが覚えているのは赤黒く鈍い色をした竜だ。……そういえば、あの時、黒い炎の中でもう一匹。斑ら模様の竜を見たって奴がいた気がするな。そいつはもう里を出ちまってるが。もう一匹いたなんてホラ話だと思っていたんだが」


 チリン、とドアベルが鳴った。


「おや。今日は人が少ないな」


 入って来たのは一人の老人だった。

 真っ直ぐにカウンターへ歩み寄り、手荷物の袋をドンと置く。


「あー。そう言えば、この人がいたな。ある意味、この里で一番の苦労人だ」


「何の話じゃ?」


 マスターから品代を受け取りながら、老人が会話に首を突っ込む。


「あのガキのことですよ」


 その瞬間、老人の顔色が怒りに赤黒く染まった。


「アレの話をするでない! 忌々しい。いつもガラクタを持って来ては物をよこせなど。いい迷惑じゃ。森の奥に引きこもって、野垂れ死ねばいいものを」


 その言葉を聞いて一人が思いついたように「あのガキと狼、殺してくれないか?」と口走った。

 ガレオスの眉がピクリと動く。

『森の奥』『ガキ』『狼』。先ほど遭遇した少女と合致する。

 あの子の異常な警戒心は、この里の人間との関係性に原因があるらしい。

 にしても、子供を殺して欲しいなど。


「悪いが人殺しの依頼は受け付けてないんだ。狼の駆除なら検討するが。……まぁ、何にせよそのガキってのがどうかしたのか?」


「どうってなぁ」


 村人の一人が、吐き捨てるように言った。


「気色が悪いんだよ。黒い炎に触れれば全員死んだ。何も残さずに死んだ。なのにっ。……なのに、あのガキだけはあの炎に触れたのに今も生きてるっ! しかも、あの腕……!」


「黙れっ! それ以上言うな!」


 老人の怒号が、店内の空気を一瞬で凍りつかせた。

 先ほどまで口を開きかけていた男たちも口を噤み、怯えたように視線を逸らす。


「……どうやら、ここまでのようだな」


 これ以上この場で聞こうとすれば、今後の調査に支障が出るかもしれない。

 ガレオスは小さく息を吐くと残っていたエールを喉に流し込み席を立つ。


「悪かったな。変なことを聞いた。可能ならまた今度何か教えてくれると助かる」


 銀貨を追加で卓に弾くと、返答のない重苦しい静寂を背に、彼らはあてがわれた部屋へと足を向けた。




 ***




 それから数日。

傭兵団は里を拠点に、周辺の森の調査を行っていた。

幸か不幸か、少女との遭遇はなかったが、ガレオスたちは里に滞在することで、彼女が置かれている状況を目の当たりにすることになった。

 ある曇りの日の朝。里の入り口がざわめいた。


「おい、魔女が来たぞ」

「また? もう来るなっての」


 村人たちの視線の先。

 古着を重ね着し背中に大きな籠を背負った少女が、一人で門をくぐってきた。あの巨大な狼たちの姿はない。里の人々を刺激しないよう、外で待たせているのだろう。彼女はうつむき加減で足早に通りを歩いていく。

 だが、その道は平坦ではなかった。


「邪魔だッ!」


 すれ違いざま、一人の男が彼女の足をわざとらしく蹴り上げた。ドサッと少女が転倒し、背負っていた籠から、苦労して集めたであろう薬草や木の実が泥に散らばった。


「汚ねえな。道の真ん中にゴミを撒き散らすんじゃねぇよ」

「あっ」


 男は謝るどころか、散らばった薬草を踏みにじった。

 少女は何も言い返さない。ただ唇を噛み、泥にまみれた薬草を黙々と拾い集めていた。


「なんて事を……」


 宿の窓からその光景を見ていたスヴェンが、怒りを押し殺した声で言った。ガレオスもまた、腕組みをしたまま無言で外を見つめている。

 拾い集め立ち上がった彼女に、今度は子供たちが近づいてきた。無邪気な悪意。彼らは手に持った小石を、遊びのように彼女へと投げつけた。


「うわっ、こっち見た!」

「化け物ー!」

「どっかいけー!」


 コツン、と石が彼女の額に当たる。赤い血が滲む。

それでも彼女は、痛みに顔を歪めるだけで、決して子供たちを睨み返さなかった。睨めば、親が出てくる。そうすれば袋叩きになる。生きるために彼女はただ耐え凌いでいた。


「酷すぎる……ッ!」


 唇を嚙み堪えていたはずのエリエスが弾かれたように窓枠を掴んだ。見習いとして傭兵団に加わった彼女には、その理不尽な光景が耐え難いものに映ったのだろう。

スヴェンも似たくらいの年だが、数年の経験の差とでも言うか、先ほど漏らした一言の後、今はただじっと見ている。


「行ってきます! 止めさせないと!」

「待て、エリエス」


 部屋を飛び出そうとした彼女の肩を、ガレオスの太い腕が制した。


「放してください団長! あんなのあんまりです! ただ子供にする仕打ちですか!?」

「その通りだ。だが、感情で動くな」

「でもッ!」

「俺たちはよそ者だ。調査を円滑に進めるには、その土地の人間と敵対するわけにはいかない。今お前が割って入れば、彼らの憎悪は俺たちにも向き、仕事にならなくなる」


 ガレオスの静かだが有無を言わせぬ言葉に、エリエスは悔しげに表情をゆがませ、拳を握りしめた。


「……黙ってみていろと?」

「ああ」


 ガレオスが顎でしゃくる。少女は泥を払い涙を見せることなく、一軒の雑貨屋へと歩き出していた。あの老人の店だ。


「……チッ。また来やがったか!」


 店から出てきた老人は、周囲に聞こえるような大声で怒鳴りつけた。


「こんなゴミみたいな草を持ってきやがって!うちはゴミ捨て場じゃねえんだぞ!」

「……ごめんなさい。でも、これだけは」

「うるさい! さっさと失せろ!」


 老人は革袋を投げつけた。袋は地面に落ち、泥にまみれる。少女はそれを拾い上げ、深々と頭を下げて去っていった。

 周囲の村人たちは、その様子を見て「相変わらず店主も災難だな」「あんなガラクタ押し付けられて」と嘲笑っている。だが、ガレオスは捉えていた。怒鳴り散らしていた老人の手が、隠すように小刻みに震えていたことを。


「……反吐が出るわ」


 フィーリアが、冷え切った声で呟いた。

 ハーフエルフが故に彼女もまた迫害された過去を持っていた。その拳は白くなるほど握りしめられていた。


「お前の気持ちもわかるが、今は抑えてくれ」

「……わかってるわよ」

「団長。……どうします?」


 スヴェンの問いかけに、ガレオスは窓枠から体を離した。


「聞き込みはもう十分だ。そろそろ里の跡地に向かおう」

 ガレオスは剣帯の位置を直しながら、部屋の隅に置いてあったそれを手に取った。

「その前に一つ寄る場所がある。装備を整えたら下で合流だ」




***




「いらっしゃい。……何だ、お前さんたちか」

 カウンターの奥から、白髪の老店主が顔を出した。この里に初めて来たときの酒場で出会った偏屈そうな皺だらけの顔。その目はガレオスが腕に抱えている「ボロボロの上着」に釘付けになった。


「そいつは、あの娘の上着だろう? 直接会ったのか?」

「ああ。殺されかけたがな」


 ガレオスが苦笑すると、老人はふん、と鼻を鳴らし、カウンターに座りなおした。


「何か買いに来たのかい? それとも聞きたい話でも?」


「凡そ、あの日に竜が現れた以上の情報は皆持ってないのだろう。依頼とは別に、あの少女の状況が気になってな」


ガレオスは上着をカウンターに置いた。


「あんたなら、色々聞けそうだなと」

「……そうかい」

「あんただけだ。遠巻きながらもあの子を気にかけているのは」

「……」

「辛く当たるフリをしている。違うか?」


老人は数秒の沈黙の後、観念したように息を吐き出した。


「……そうしなければ、わしが村八分にされてしまう。保身に走った汚い大人さ」


 老人は背けていた眼を真っすぐに合わせてきた。その瞳には、深い悔恨の色が浮かんでいた。


「あの子の名前はルネという。そう呼ばれていた。……今では魔女だの、悪魔だの、名前で呼ぶ者はおらんがな」


老人はポツリポツリと語り始めた。

黒い炎が里を焼いた日、ルネだけが炎に巻かれてもなお生き残ったこと。

そして、行方不明になった母親のこと。


「母親は、死んだのか?」

「……状況から見ればな。黒い炎に巻かれた者は皆死んだ。それは間違いない。特に若い者は皆長く苦しんだ。長く苦しむとなれば、その様を誰かしらは見ている。それで言えば、あの子の親が炎に巻かれたところを見た者がいない。だからルネは信じているんだろう。母親はまだ生きていると。だから、あの瓦礫の山から離れようとしない。そもそも、その話をしたのも幼い時だけだ。理解したのか、してもなお信じたくないのか」


溜息一つはさんで老人は言葉をつづけた。


「里の連中は、初めのうちは可哀そうな子だと世話をしておった。今の状況になったのは、あの子の腕に鱗が生えたからじゃ。当然皆気味悪がった。次第にあの子が竜を呼んだだの、竜があの子を求めているだの、好き勝手言い始めればこの通り。恐怖が理性を食い尽くしちまったんじゃよ」


カウンター下に潜りながら、老人は話を続けた。


「あの里の跡地に行くんだろう? これは当時の里の地図だ。役に立つかは知らんがな」


老人はカウンターの下から、古びた地図を取り出した。


「もらっていいのか?」


「代わりに。と言うほどでもないが、頼みがある」


 老人はカウンター越しに身を乗り出し、懇願するようにガレオスの目を見つめた。


「もし……もし可能ならでいい。調査が終わってこの里を去る時、あの子を連れて行ってくれないか」


「連れ出す?」


「ああ。お前さんたちは殺しを断ったが、次に里に寄った人間がまともとは限らん。金次第で手にかける輩もいるかもしれん。あの子はいずれ殺される」


自分のような、保身のために少女を罵る卑怯者には、言う資格などない言葉。それでも、言わずにはいられなかった。


「あの子を、連れ出してやってくれ。……こんな地獄から、どこか遠くへ」


 老人の悲痛な願いに、ガレオスは小さく鼻を鳴らした。言われなくとも、このまま彼女を放置すれば、遅かれ早かれ事が起こることは目に見えていた。むしろガレオス自身、どういう名目で彼女をここから引き剥がすべきか、思案していたところですらあったのだ。エリエスを止めた手前、感情だけで動くわけにはいかなかったが――渡りに船、というやつだ。


「……地図一枚の礼にしちゃ、随分と高くつく仕事だな」


 ガレオスは呆れたように肩をすくめると、ニヤリと口角を上げた。


「……依頼料は高いぞ、爺さん」


「かまわん」


「分かった。この里を出るときまでに依頼料を用意しておけよ」

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Silver Scale 九 空虚 @empty_kuro

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