おまじない

護武 倫太郎

おまじない

​私は、昨日学校で誰とも会話ができなかった。教室に入った瞬間から、私を取り巻く空気が冷たい。まるで私は透明人間になったかのような気分だった。誰も私の顔を見ようとしない。声もかけてこない。誰も私に構わない。


​そして、今日。最悪なことに、数学の教科書がどこにもなかった。数学の先生は出席番号順に生徒を指名する。今日は私が絶対に当てられる番だ。


​「ねえ、私の教科書どこにもないんだけど」


​教室でわざと大きな声で訴えてみたけれど、皆知らんぷり。やっぱり私の存在が抹消されているかのよう。なんで誰も助けてくれないの?ちょっと前までなら笑いかけてくれたクラスメイトも、今は遠い存在になっていた。


​「恵美ちゃん、また泣いてる。キモっ」


「自業自得だってのに、マジ最悪」


​教室の前方、私には背を向けたまま座っている2人組から、囁き声が聞こえる。咲希と由佳だ。私には分かっている。今私がこうなっている原因がこの2人にあるってことを。


​「ねえ、もういいかげんこういうのやめてよ」


私の声は震えていた。


​咲希はゆっくりと振り向いた。その目には、以前の親友としての温かさが微塵もなく、冷たい憎悪だけが宿っているようだった。


​「は?マジ最低だね。恵美ちゃんさあ、自分の立場分かってんの?私、恵美ちゃんのことまだ許してないからね」


​由佳が口元を歪ませて追撃する。


​「てか恵美、こっちにはあの動画があるんですけど。拡散しても良いの?」


​それを言われると、私は返す言葉を失ってしまう。由佳のスマホに収められた動画が私を縛り付けている。あの動画が拡散されたら、私の学校生活は本当に終わってしまう。いや、もうとっくに終わっているのかもしれないけれど。


​私は2人の席から離れ、1人で教科書を探し始めた。机の中、ロッカー、廊下。思いつく限り探してみたけれど、どこにも見当たらない。授業が始まり、隣の席の優しそうな子に教科書を見せてと頼んでみたが、顔を伏せて無視された。教師も、私が教科書を探している様子に気づいているはずなのに、見て見ぬふりをした。挙げ句の果てに見せしめのように当てられ、当然のように答えられないと、ゴミくずのように叱られた。


​結局、教科書はマーカーで黒く塗りつぶされ、ぐちゃぐちゃになってゴミ箱に捨てられているのを放課後に発見した。私は、その無残な姿を見て、また泣いた。家に帰る途中も、どんなに歩いても歩いても、涙は止まらなかった。


​家に帰るなり、自分の部屋のベッドに倒れ込む。食欲がない。枕に顔をうずめ、泣きはらしていると、心がどんどんすり減っていくのを感じた。このままじゃいけない。咲希が私を許していないことは分かっている。でも、私がしたことと言えば、ほんの少し咲希と喧嘩したくらいじゃないか。その喧嘩の原因だって咲希にある。


​あの日、咲希は私に言った。


「悠斗くんに告白されちゃった。・・・・・・けど、断ったよ。私まだ恋愛に興味ないし、それに悠斗くんと私は釣り合ってないしね」


​私は咲希のその言葉が許せなかった。悠斗くんはバスケ部のエースで、すごくかっこよくて、私の密かな憧れだった。咲希が男子からめちゃくちゃモテていることも知っているし、同性の私から見てもかわいいことは理解していた。それでも、そんな風に平然と振った咲希のことが許せなくて、私は強い口調で抗議したのを覚えている。


​「悠斗くんと釣り合わないとか・・・・・・咲希、あんた悠斗くんの気持ち考えたことあんの?」


けれど、そんな些細な喧嘩がきっかけで、こんなにも陰湿ないじめを受けることになるなんて想像もしていなかった。

​咲希たちは、表だって暴力を振るうことはない。ただ無視をしたり、教科書を隠したり、そういうジメジメとした嫌がらせ。心がどんどん蝕まれていくような感覚。殴られたり、蹴られたりした方がよっぽどマシだった。


​あの日のことを思い出しながら、私は咲希への恨みをあらためて実感していた。​私の心がすり切れきってしまう前に、咲希をなんとかしないと・・・・・・。


​私は記憶の片隅から、あるおまじないを思い出していた。どこで知ったのかも思い出せないけれど、このおまじないだけは強く覚えていた。


​嫌いな人に痛い目を見せるおまじない。


そのやり方はとても簡単で、嫌いな人の名前を書いた紙を燃やすこと。ただそれだけだ。​私はそれを試してみることにした。


こっそり玄関から持ち出してきたガラス製の重たい灰皿を机の上に置く。その存在感に圧倒されそうになりながらも、咲希への恨みを込めるように、ノートの切れ端に迷いなく「咲希」と書き綴る。


​これを燃やせば、咲希が痛い目に遭う。本当にそれで良いの?良いに決まっている。私がしたことの報いを受けさせてやる。ほんのわずかな葛藤はあった。けれども​私は玄関に置いてあったライターで、咲希の名前が書かれた紙に火をつけた。


​ぽんやりと黄色く燃える紙を見ていると、心がすっとする。ああ、このまま全部燃えてしまえば良いのに。咲希が大けがでもして学校に来なくなれば良いのに。


​おまじないなんて効くわけないって分かりながらも、私は密やかな願いを小さな炎に込めた。咲希なんていなくなれば良いのに。


​その夜、私はうまく眠れなかった。


​翌日、教室に入ると、私のささやかなおまじないは、全く意味をなさなかったのだと分からされた。咲希はいつも以上に元気な様子で由佳と談笑していた。長い髪を揺らし、にこやかに微笑んでいる。


​「おはよう、恵美ちゃん。なんか元気がないね?」


普段とは違う、人形のように不自然な笑顔を向けてきた咲希に、私は二の句を告げなかった。


​「咲希が挨拶してんのに無視してんじゃねえよ」


​由佳が、私の胸ぐらをつかんでくる。


​「由佳、暴力はダメだよ。暴力なんかしたら、恵美ちゃんと一緒だから」


​咲希が冷たく言い放った。由佳は不満そうに手を離した。


​「暴力?暴力なんて、私は・・・・・・」


​「は?あんた自分がやったこと、もう忘れてるわけ?こっちはそんときの動画もあるんですけど」


​由佳がスマホを取り出し、動画を流し始めた。それは、改めてクラスの皆に見せつけるような行為だった。


​スマホからは、私が咲希をしつように殴り、蹴っている様子が克明に映し出されていた。咲希がどんなに泣いて、謝って、やめてと懇願しても、かまわずに暴力を振るう私の姿がそこにはあった。


​「あんた、忘れたなんて言わせないよ。咲希のことをずっといじめてたのを私たち皆知ってるんだ。だから、誰にも、何も言わせない。咲希がどんなに苦しんだか、全然分かってない恵美を、私たちは許さない」


​クラス中の冷たい視線が、針のように私に突き刺さる。


​「わた、私は・・・・・・」


​咲希が、まるで私を試すかのように、一歩近づいてきた。


​「ねえ、恵美ちゃん。おまじない、ちゃんとできた?燃やした灰は誰にも見られないように、トイレとか水に流さないといけないんだよ?」


​「おま・・・・・・じ、ない?」


​なんで咲希が、おまじないのことを知っているの?どうして私が昨日おまじないをしたことを知っているの?そうだ、小学生の遠足の帰り道だ。このおまじないを教えてくれたのは――。


​「そう、私が教えたおまじない。昨日やったんでしょ?」


​咲希の目が怖かった。真っ黒で、どこを見ているのか分からない。私を憎んでいるのか、それとも何かを企んでいるのか。私は怖くなって、考えるよりも早く、学校を飛び出した。


背中から皆の私を責め立てるような声が聞こえてくる。私は何もかも嫌になって、泣きながら、走って逃げた。


​逃げて、逃げて、逃げきって、ようやく家に着いたと安堵し一息ついた途端、リビングから啜り泣く声が聞こえた。母が泣いていた。仕事に行ったはずの父の姿もそこにあった。そっとリビングのドアを開くと、父が厳しい表情で私を見つめた。


​「恵美、学校はどうした?」


​「それは、その・・・・・・」


​「やっぱりお前、非行に走っているのか?」


​父の言葉が、私は理解できなかった。


​「非行って、何のこと?」


​「母さんがお前の部屋で灰皿を見つけたんだ。お前、こっそりたばこを吸っていたな?」


​私は、昨日おまじないをした後、灰皿を片付けなかったことを激しく後悔した。


​「違う、あれはたばこを吸ってたんじゃない」


​「じゃあ、何だって言うんだ?」


​「何かが燃えた灰があったのよ。たばこ以外なんだって言うのよ」


母が泣きながら畳みかける。


​「お、おまじないだよ。願いを書いた紙を燃やすと叶うっていう・・・・・・」


​咲希に痛い目にあわせたかった、とは、どうしてか言えなかった。そんなことを言えば、さらに事態が悪化するのは目に見えていたから。


​「おまじない・・・・・・くだらない嘘をつくな。たばこを吸ってたんだろ」


​「おまじないなんて、どうしてそんな嘘を・・・・・・」


​「う、嘘じゃないよ。本当に・・・・・・」


怒りに震える父にも、悲しみに打ちひしがれる母にも、私の声は届かない。


​「中学生にもなっておまじないなんて・・・・・・。どうせ、たばこを吸っていたんだろう」


父の怒声が響く。


「私たちは、恵美を不良に育てたつもりはないわよ・・・・・・」


母の悲観した声が追い打ちをかける。


​何で、信じてくれないんだろう?誰も私の言うことなんて信じない。学校にも家にも、​この世のどこにも私の味方なんていない。


​私はこの家からも逃げるように、勢いよく玄関を飛び出した。


​「おい、恵美どこに行くんだ」


「待ちなさい、恵美」


​両親の声を背中に、ただ前へと走った。全てから逃げるように。


​プアアアアーーーッッッ!!!


​けたたましいクラクションの音。それが何であるか理解する間もなく、私の身体は地面から離れた。大型のトラックに轢かれたのだ。


​辺りが騒然としている。両親の悲鳴にも似た泣き顔が、遠くに見える。私は死ぬのだろうか・・・・・・。


​消えゆく意識の中で、私は咲希と仲が良かった小学生の頃を思い出していた。二人でたくさん遊んだこと。咲希の家にもよく遊びに行ったこと。遠足の帰り道、私におまじないのことを教えてくれたときのことも。


​「恵美ちゃん、おまじないのことは絶対に誰にもバレないようにしないとだめなんだよ。もし、誰かにバレちゃったら、なんだって」


​「?」


​「おまじないをかけた人に、何倍にもなって返ってくるんだって」


​咲希は分かっていたのかな?私がおまじないをかけるって。だから、私がおまじないをかけたって分かったのかな?ああ、親に私から話したのもダメだったのかな?


もう、よく分からないや。


​咲希は私の親友だったはずなのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう?・・・・・・ああ、多分私が悪いんだ。​咲希、ごめんね。最低な親友で、ごめんね。



​●



あれから​恵美がトラックに轢かれて亡くなったと担任から聞かされたとき、由佳はどんな顔をしていたんだろう。驚いたかな。罪悪感を感じたかな。まさか死ぬなんて思いもしなかったのかな。


​私は恵美が死ぬって分かってたよ。だって、私がおまじないをかけたんだもん。


​もし、恵美が私と仲直りをしようと謝ってきたら、幸福が訪れるように。私に更なる報復を加えようとしてきたら・・・・・・、ふふふっ。


​私は真っ暗な部屋の中、キャンドルの炎に照らされた恵美の写真を眺める。


​おまじないは誰かにバレたらおしまいなんだよ。絶対に誰にもバレないようにしないと。


​私は恵美の写真をキャンドルの炎で燃やす。


​おまじないは、漢字で書くとおまじない。人を呪わば穴二つ。やり方を間違ってもいけない。ちゃんとした手順を踏んで、覚悟を持って行わなければ。


​私は白い灰となった恵美の写真を、ためらうことなく口に入れた。


ああ、苦い。けれど、恵美の味がする。​これで、恵美の魂は、永遠に私のもの。​バイバイ、恵美。


ずーっと、大好きだよ。

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