トナリのヒトのヒトトナリ
灰唐 揚羽
金究 烏鷺という少女
人間が居る。
嘘は人間の偉大な発明品の一つだ。
イエス・キリストはこう言った。
『隣人を愛せよ』
己を愛し、それと同様に他者を愛せという教えだ。いい言葉だと思う。
しかしだ、ここ
隣人として少し話した事はあるが、特に変なところも無く、物静かな
それは文字一つ、ページ数さえ書かれていない真っ白な白紙だった。
異常者である。
極めて無害だが、それ故に動機も意味も分からない。この一ヶ月、金究さんは友達らしい友達を作る様子もなく、ただあの紙束を捲っていたというのか?なんの目的があって?
まるで分からないが、僕はそれ故に彼女が知りたくなった。
キリストなら、この奇妙な隣人も愛するのだろうか。
「金究さん、その本って何読んでるの?」
金究さんはこちらに少し首を向ける。
「『舞う
すっと淀みなく答えた。こうもはっきり言われると僕が何らかの勘違いをしたのかと思う。
「あー聞いたことある、なんかの賞取ったんだよね。」
「うん」
「面白い?」
「うん」
「へ〜、それさ、良かったらちょっと見せてくれない?最初の数ページだけとか」
ぶっ込んでみる。
「...」
2秒ほど沈黙した。一瞬だがやけに長かった。
「…いいよ、でも
言い終えたタイミングでチャイムが鳴る。上手く躱されてしまった。仮に用意していた本物を渡されれば、白紙本は暴けない。しかし、彼女はあれを『舞う紫陽花』だと言った。
つまり、嘘を吐いた。
であれば
授業中、僕は頭の中で可能性を潰していく。
A.誰かを騙すため。
何らかの目的があって文学少女を演じている可能性。しかし白紙本である必要がまるでないのでこれは除外。
B.中二病。
白紙本を読むという常軌を逸した行動で悦に浸っている可能性。しかしそういった動機なら、誰かにそれを知られ、普通でないと思われないと意味がないはずだ。
C.
表現として真っ白なページを用いている本だったのかも?僕が見たのは見開き計4ページだけだし、世界には色々な本がある。『舞う紫陽花』がそういう本だっただけかもしれない。もしそうなら、かなり拍子抜けだが…。
放課後になり、クラスの喧騒が大きくなる。僕は腹を決めて、彼女の机に歩み寄った。
「金究さん、さっきの話だけど…」
彼女は顔を上げ、僕の目を見た。その瞳は驚くほど静かで、何一つ感情を読み取れない。白紙のページとは対照的に、吸い込まれてしまいそうな黒だ。
「うん、じゃあちょっと着いてきて。」
金究さんはそう言うと、鞄を手に持ち席を立った。
「え、うん。どこ行くの?」
「良いところ。」
「ここ…書庫?」
「うん、旧書庫。開けてくれる?重いんだよね」
着いたのは、僕含むほとんどの生徒が存在も知らないであろう、旧棟の隅にある旧書庫だった。扉は少し重く、開けると中は少し埃っぽくて、本の匂いがした。
「ありがとう」
金究さんはスタスタと中へ入り、若干戸惑いながらも続く。中は薄暗く、天井まで届く木製の書架が迷路のように並んでいる。整然としているというよりは、忘れ去られたように雑多な印象。放課後の喧騒は届かず、時折
「良いところでしょ?」
「そう、だね。秘密の部屋って感じ…。」
なぜ
「ほら、座って。」
埃を被った椅子を引き、軽く埃を払い、手をぱっぱとはたき、座る。
「はい」
金究さんは鞄から、
「ありがとう」
妙に緊張した。手触りのいいレザーのブックカバーを纏った、その2cm程の紙束は、やけに重く感じられた。
そして、開いた。パラパラと捲り、それは、『舞う紫陽花』でないと確信する。最初から奥付までざっと確認した。本当に、それは白紙の束であった。ずっと、雪のように真っ白。
「…やっぱり…」
「その反応からして、やっぱり見たんだね。人の読んでる本を覗き見するなんて、空見くんはえっちだねぇ。」
「これは…何?なんでこれを教室で開いて、『舞う紫陽花』だなんて嘘までついたの?」
「空見くんはさ、盗撮されたことある?」
「…は?」
「無いよねぇ、男の子だもんねぇ。私はあるよ、1度だけ。でもきっと1度だけじゃない。」
「何を」
「盗撮や
「ちょっと」
「で、潜行犯罪の被害者が被害に一生気付くことなく、
「金究さん」
「証拠は無く、観測者も不在の罪に被害者は存在するのか?認識されることのない被害は被害なのかな?」
「…」
「だから、試してたんだ。」
途端に、
「白紙の本を読むという私の奇行も、観測されない限り、傍から見ればただ読書をしているだけ。もしこれがクラス中に知れ渡っていれば、私は奇人。でも、観測されていないというそれだけで、私の奇行は肯定されるんだ。」
「…結局バレてちゃ世話ないよ」
「ふふ、そうだね。」
彼女は口の前に手を持ってきて、くすりと笑う。その笑みは役を演じきった役者か、
「確かに何で、何のために、この一ヶ月、私はこんな事をしていたんだろうね、ふふ」
「そりゃ、気付かれたかったからでしょ?」
「...え?」
金究さんが、初めて素で驚いたようにこちらを見る。
「実験は失敗したのに、随分と嬉しそうじゃない。というか第一、この実験はする必要が無い。誰が自分の家でどんな奇行に走ろうと、それは基本的に誰に知られることも無い。誰にも観測される事のない行為が
「…」
金究さんはじっとこちらを見つめ、
「金究さん、君は
要するに、君は寂しかったんじゃなかろうか?」
「...なっ......」
彼女の
「僕は人間観察が好きなんだ。金究さんも見てたけど、友達らしい友達も居ないようだった。もしかしたら、友達が欲しいという心の奥底の叫びが、論理の
「ふ、ふふふ、ふふふふ…面白い推理だね…。小説家にでもなったらどうかな…?」
「そんな追い詰められた犯人みたいな」
「まぁ否定はしきれないよね。一部的を射ているのは事実というか、そういう面もあったかもしれない。」
金究さんは紅潮した頬に手を当て、目を泳がせる。嘘をついている人間の典型的仕草。
あれ程不可解だった仮面が、剥がれてしまえばこの有様である。彼女は宛らごく普通の、どこにでもいる少女のようだった。
やはり人間というのは良いものだ。
嘘と、嘘が隠す本心は、その人間の本質を、存在の形を、
「…良ければ、友達になろうよ。」
トナリのヒトのヒトトナリ 灰唐 揚羽 @haikara-ageha
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