筆談

 投稿者:三年C組 込谷汰美子


 これが怪談なのかはわかりません。


 三年生なら覚えてると思うんですけど、ある日の朝に、グラウンドに大きな文字が書かれてた事件がありましたよね。


 副部長さんも知ってると思います。


 いまだにあれはなんだったのかと様々な憶測を呼んでいますが、私は犯人を知っているかもしれません。


 いえ、知っていると言えるのかどうか……。


 とにかく心当たりがあります。


 それは、私が一年生だったときの6月ごろだったかと思います。


 当時の私は家にいたくない事情があって、毎日七時には登校していました。


 家に居場所がないからといって、クラスに馴染めているとも言い難い私は、教室にも行きたくありませんでした。


 一番先に登校した生徒は職員室に鍵を取りに行かなければならないのが面倒ですし、毎朝鍵を取りに来る生徒として先生に認知されるのも面倒でした。


 さらに鍵をどうにかしたとしても、教室に一人でいるということは、二人目のクラスメイトが入ってきたとき挨拶しないといけない感じになるし、一時的に二人きりになるのも気まずい。


 とにかく“部活に入っていないのに毎朝教室に一番乗りする生徒”の称号を受けて目立つことや、早く来る理由を勘繰られたくなかったので、始業一〇分前くらいに素知らぬ顔で教室に入るのが常でした。


 ではそれまでどこで時間をつぶしていたかというと、部室棟の屋上前の階段です。


 部室棟は他の校舎と違ってフェンスの抜け道があるので、門を通らず、誰の目にも触れず入ることができます。


 この学校のセキュリティ面に一抹の不安は覚えつつも、いつも開いている階段下の非常口から入っていました。


 屋上は施錠されていますが、その手前は使わない机とかが積まれてて人目もなくて快適な待機場所でした。


 そこで本を読んだりしていました。


 ある日、階段に置かれていたホワイトボードになんとなく「おはよう」と書きました。


 朝の挨拶を誰とも交わすことのなかった私は、その文字に毎朝迎えられて「おはよう」と返すという自作自演をしたのです。


 一人挨拶運動を始めて一週間ほど経ったころでしょうか。


 わたしの「おはよう」の上にでかでかと「才八ヨ」と書かれていました。


 ホワイトボードからはみ出すほどの大きさで書きなぐられたそれが「オハヨウ」のことだと気づいた私は、自分一人のつぶやきに挨拶を返された照れくささとともに、自分の縄張りに誰かが侵入したことへの嫌悪感で少し複雑な気持ちになりました。


 見るからに女子っぽい文字ならそうはならなかったかもしれませんが、その直線的な大きい字からは乱暴な男子が面白半分で書いているさまが連想されたのです。


 だけどそれがどんな人であれ、さすがに字の主が早朝に来て鉢合わせることはないのだろうと思いなおし、私は「才八ヨ」をティッシュで消して、上からなんとなく「こんにちは」と書きました。


 翌朝、やはり同じ字で「コX二」と書かれていました。


 たぶん「コンニチワ」と書こうとしたのだと思います。


 当時私はいまより幼く夢見がちで、どうしてかその汚い字を書いた人物とコミュニケーションを続けようと思い立ちました。


 その後ホワイトボードを介した一日一回のおかしな文通が続き、だんだんとその人の性格というか、条件のようなものが見えてきます。


 どういう理由かわかりませんがその人は、意図的に大きい字を書いているのではなく、大きい字しか書くことができないようで、必然的にカタカナ三文字しか返答できないのです。


 それはある種のマイルールのようなものに感じられ、何の得にもならないそのこだわりに奇妙な感心を覚えた私は、それを受けて立つ心持ちでした。


 「男子ですか? 女子ですか?」という問いに「ヅヨツジョシ」と答えたのはかなり意外でした。


 “彼女”に名前を問うと、「カニエ」と答えました。ラッパーの顔が浮かびました。


 それ以降私は彼女を“蟹江さん”と心の中で呼んでいました。


 ──「好きな教科は?」「グンダ」たぶん“現代文”。


 ──「嫌いな教科は?」「工Tゴ」これはそのまま英語。


 ──「どこに住んでるの?」「カンノ」これは包里かのさとのことだと思う。


 そんな感じでだんだん私も蟹江さんの字の癖やプロフィールを把握していきました。


 お別れの時まで、楽しい文通は続いたのです。


 いま思えば、一日ごとの一問一答とはいえよくネタ切れにならなかったなと思います。


 私はクラスメイトと話すこともほとんど無かったので、その代わりに蟹江さんにたくさん話したいことがあったのかもしれません。


 一度だけ喧嘩というか、私が怒ったことがあって、それは蟹江さんに本を貸したときのことでした。


 ホワイトボードに長文で好きな本についてオタク語りをびっしり書き込んで困らせるイジワルをしたお詫びに、その本を貸してあげようと階段に置いておいたら翌日本は消えていて、ボードには「アリガ」と書いてあったのです。


 その頃の私は、蟹江さんはもしかしたら幽霊とかホワイトボードの付喪神のような存在かもしれないと思っていたので、消えた本がもう帰ってこない可能性も考えました。


 実際には数日後に返ってきます。しかし、返ってきた本の状態が問題でした。


 表紙もページも全体が屋外で風雨にさらされた後のようにごわごわになっていたのです。


 家に初版が保管してあったのでそこまでショックではありませんでしたが、本を粗末に扱ったことを私は少しきつい文体で注意しました。


 翌日、昨日は言い過ぎたのでフォローしようとホワイトボードの前まで行くと、私は驚いて目を見張りました。


 そこにはこう書いてあったのです。


 ──ゴ×ソ示ゴメンネ


 漢字を書いたこと? いいえ違います。


 四文字。ついに三文字の縛りを破ってまで私に謝罪を伝えたかったとでもいうのでしょうか。


「ゴメン」の三文字で十分だったのではと脳裏によぎりましたが、その心遣いが人付き合いが皆無の私の心には深く染み入りました。


 その後、私は強く注意しすぎたことを謝罪しつつ、長い期間をかけて本の感想を四文字ずつ聞いていったのでした。


 夏休みを挟んで、木々の葉の色が抜けて落ちて、すっかり寒くなったころのことです。


 どこかの部活で使うためか、積まれていた机やホワイトボードが撤去されていました。


 広くなった階段上のスペースに立った私は、しかしその場所がかえって狭く小さくなってしまったように感じました。


 座って読書することもせず、ただただ立ち尽くしていた私はなんだかそこにとどまると全身が違和感に包まれていくかのようで嫌になり、珍しく教室へ向かおうと踵を返しました。


 その時、踊り場の窓を通して巨大な文字が目に飛び込んできました。


 それは前日の雪でぬかるんだグラウンドを巨人の包丁で不器用に切り分けたかのように直線的に書かれたお別れのメッセージでした。


 しかもなんと六文字。なんと英語。


 彼女にとってどれほどの努力が必要だったでしょうか。それだけで私の胸中にはこみ上げる温かさがありました。


 だけど惜しくも綴りが間違っていました。


 ──BAYベイ BAYベイ


 英語苦手って言ってたもんね。


 それから彼女とは結局会いませんでしたし、メッセージが残されていることもありませんでした。


 以上が“蟹江さん”と私の奇妙な文通の思い出です。





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 5C-02

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