墓場ボックスカートレース
投稿者: PN:プーケットの赤い風
文章が下手だけど許してほしい。
小学生のA、B、Cの三人組はボックスカートレースの大会に出ることにした。
その練習中に起きた話だ。
ボックスカートとはソープボックスとも呼ばれ、由来は石鹸などを運ぶ木箱に車輪を付けたアメリカの子供の遊具だそうだ。
要するにソリ遊びのようなものだが、どういうわけか欧米では大人たちが大真面目に取り組む競技として人気があるらしい。
リーダー格のAが、兄が買っているバイク雑誌にレースの東京大会予選の募集記事が載っていたのを見つけ、友達のBとCを誘った。
それまでボックスカートなど知りもしなかった三人を駆り立てたのは優勝賞金一〇〇万円、準優勝賞金五〇万円、そして三位賞品の人数分のゲーム機とレースゲームのセットだった。
レースではおよそ五〇〇メートルの下り勾配のコースを、動力を持たない車両で走行する。
大会規則では車両のサイズと重量の制限、ブレーキとステアリングの装備が義務付けられている以外は参加者が自由に設計する。
その“自由”こそが大会の醍醐味で、走破タイム以外にカートの創造性や独創性、参加者のパフォーマンスという抽象的かつエモーショナルな要素での採点、そして日本での競技人口の少なさから、経験者の大人たちに混じってもチャンスはあるとAは踏んだのだ。
その日から早速計画に取りかかった。
直情的で単純な反面、勝つための努力を惜しまない性格のAと、数学は苦手だが親の仕事の影響で機械工学の知識があるBの二人で優勝を狙うためにどのような要素が必要かを研究した。
導き出された答えは、とにかくしっかりした車軸と車輪、低い重心、ボディの空力性能とドライバーの軽さだった。
Aは行動力の権化なので、兄のバイト先である近所の自動車板金工場に頼み込み、「高校生になったらここでバイトをする」という約束と引き換えに鉄材を溶接してシャーシを作ってもらった。
近所に若いころ自転車競技の選手だったハラさんというおじさんがいて、わけを話すと自転車パーツの提供とセッティングに協力してくれた。
いま思えばハラさんは、独身で普段何をしてるのかわからないけど不思議なほど町の子供たちと馴染んでいるという謎の存在だった。
スポーツタイプの小径自転車から流用された軽量な前輪は操舵性にプラスとなり、小型バイク用の後輪はハの字に傾けて配置し安定性を考慮した。
ラジコン好きの酒屋のおじさんを加えた大人たちが悪ノリし、休日にビールを飲みながら過剰に手の込んだ車体を作りはじめた。
その日の夜には、おそらく絶対に必要がない独立懸架式のサスペンションと緊急用ハンドブレーキ、より安定感を増すためリカンベント式自転車から着想を得たシートの両サイドから生える操縦桿を備えた〈休日ビアパーティ号(仮)〉が誕生していた。
デザインはAの姉に頼んだところ賞金ないし賞品の山分け方法で揉めに揉めるが、高校生になったら彼女の漫画制作の手伝いをするという契約をもって収拾した。
三人はデザインを待つ間に仮のボディで試験走行をすることにした。
ここまでAのいつもの調子に付き従って突き進んできたが、ちょうどいい坂道を探すのには少し時間がかかった。
一つ目のテストコース候補は供米田から南東にある川の堤防から田んぼまでの緩くカーブした坂道。
将来の幹線道路の一部のになる予定の未開通道路で、田んぼの土地の整理に時間がかかるとかで端の坂道が作られたところで何年も工事がストップしており、坂の終わりにはトラ縞の柵が立てられている。
道幅も申し分なく、早速最初の試験を行った。
鉄パイプで組まれたシャーシに座布団を括り付けダンボール製のボディをかぶせられた車体には、一番小柄なAがフルフェイスヘルメットをかぶって乗り込んだ。
ベアリングと接地面積の小さいタイヤによる滑らかな回転がぐんぐんと加速を後押しし、颯爽と坂を駆け下りていくAの銀色に輝くヘルメットの後頭部は高速で遠ざかり、そのまま柵を突き破って消えていった。
カートのフットブレーキは想定より効かず、緊急用ブレーキレバーはすっぽ抜け、慣性の従順な奴隷となった〈ビアパーティ(仮)〉は道から一・五メートルほど下の田んぼに落っこちた。
幸い田んぼに水は無く土は柔らかかったので、足首を軽く痛めただけで大事には至らなかった。
やはり酔っ払いの仕事は信用ならない。
勝手に持ち出したヘルメットを傷つけてしまったことでA兄から大目玉を食らいながら、Aたちはもっと傾斜が緩く短いコースでのトライアンドエラーが必要だと思い至った。
そこで次なるテストコースとして目をつけたのが、
高架の線路の陰にコンクリートの塀に閉じられたおあつらえ向きの小さな坂道があるなんて、地元が近いAとBも知らなかった。
もっと二人が驚いたのは、見つけてきたのがCだったこと。
二人にとって、ふわんとした風で何をしなくとも心を和ますCは気づけばいつも一緒にいるマスコットのような存在で、Cが自分から何かを主張したり行動したりすることがほとんどなかったからだ。
自転車でリヤカーのようにカートを引っ張ってその路地に着き、坂のてっぺんへと登ってみると両脇の塀に囲まれた墓地を上から覗き込む形になり、なんとなく気まずい感じがあった。
Bはそんな場所でうるさくしていいのかとひどく気にしたが、C曰く話はつけてあるという。
何度か通りかかったことがある地域だが、近くに墓地を管理するような寺はない。もしかするとCの家がこの近所で、住民に了解を得てくれたのかもしれなかった。
それを裏付けるかのように、墓地の周囲を通る大人が何人か、こちらに有効的な眼差しを向けてきた。中には墓地の塀際に二、三人、見物するようにこちらを見ている人もいた。
思わぬギャラリーの出現に緊張したが、とにかくテストは再開された。ダンボールにガラス繊維を貼り込んだ新たな仮設ボディはA姉による〈流星のヒャックマン号〉のデザインが取り入れられていた。
そのデザイン画にはご丁寧に三人の全身タイツのようなユニフォームまで描かれていたが、一旦見なかったことにした。
早速乗り込もうとするAをBが制して、まずコクピットにダミーを乗せて古タイヤや古い布団を重ねたバリアに衝突させ、シャーシそのものの強度テストを提案した。
最初の失敗の時は勢いに押し切られてしまったが、なにしろカート作りに関しては初心者ばかりで作った車体だからどんな不具合があるか想像もつかない。
もしこの間、タイミング悪く車が通りかかってぶつかっていればボックスカートは文字どおり走る棺桶だ。
もうAに怪我をしてほしくなかったし、本番のコースにはジャンプ台もあるんだから、布団にぶつかっただけで走行不能になるようでは論外だ。
Aは不満そうだったがBの真面目顔に渋々納得したらしかった。
ダミー人形はダンボールと古い毛布をガムテープでグルグル巻きにして作った。
下り坂の先には民家一軒分ほどの草の茂った空き地があり、その真ん中あたりにバリアを設置した。
乗っているのはダンボール製のハリボテだけど、流線型のボディーから頭の上半分だけを出した状態で滑走する姿は本番さながらの格好良さを感じさせた。
そして人間よりずっと軽いためか、バリアに激突した瞬間に人形だけが前方へ勢いよく飛んでいく様を見て思わず笑い転げた。
周りの見物客からも拍手されてテンションも上がり、危うく目的を忘れるところだった。
しかし安定性を調整しつつ、障害物を増やしつつ何度も繰り返すうちに、自分たちの代わりに傷を負いながらもテスト走行を繰り返す勇姿と献身は尊敬とともに奇妙な友情のようなものを育み、いつの間にか三人の間で「子分」という人形の愛称が定着していた。
少し日も暮れてきた頃、そろそろAが乗り込んでもいいだろうと最後のテストを終えた〈ヒャックマン号〉と〈子分〉を回収しに坂を下っていくとき、ふと塀の方を見た。
塀の上から頭だけ出して近所の年寄りが見物していると思っていた場所には誰もおらず、墓地から伸びる墓石か卒塔婆の先が見えているだけだった。
ただ見間違えたのかもしれないが、明るい時は確かに人に見えていたし、さっきまでパラパラと拍手も聞こえていたのに。
よく考えれば日暮れまで動かずに見物などしないだろうから、単純に帰っただけかもしれない。
坂の下を見ると、カートがバリアに突き刺さり、その先に〈子分〉が横向きに転がっていた。
なんだかやけに焦げ臭い。進むごとに焦げ臭さと少しの煙たさを感じた。
墓地の線香のにおいかと思ったが、それにしては鼻につくし、もっと下の方から漂っているようだった。
ちょうど自分たちが向かっている先から。
〈子分〉の下半身が焦げており、モワモワと煙が上がっていた。
〈ヒャックマン号〉のボディはダンボールなのでまさか摩擦で燃えたのかと思ったが、そっちは少し焦げているだけで火の気はなかった。
空地には雑草がかなり生えているため燃え広がる恐れもあった。Cが「水を汲んでくる」と墓地の方へ走り去った。
〈子分〉に近づいて二人で見下ろすと、わずかに燻ぶった火が見えて、パニックになりながらもとにかく叩いたり踏んだりして消火を試みた。
いま思えばバリアの布団をはがして覆いかぶせるべきだった。そんなことも思いつかないほど焦っていた。
その時、「おい、なにしてる!」と大人の怒鳴り声が後ろから聞こえた。
ロードバイクに乗ったハラさんだった。
派手なジャージにヘルメットとサングラス姿は見慣れていたのですぐわかった。
ハラさんは自転車のフレームにくっついていたボトルを両手に一本ずつ持って駆け寄ってきて、ケチャップとかマヨネーズをぶちまけるみたいに中身を火元へぶっかけた。
依然として白い煙がわずかに上がっているが、火は消えた。
このまま墓地の水場に持っていけば大丈夫そうだと安堵したが、ハラさんは「触るな!」と強く制止してきた。
普段は優しいハラさんの剣幕に二人はいっそう混乱し、「代わりに片づけておくから、お前らは帰れ。帰ったらハラのおっちゃんに電話するよう親に言え」とハラさんに言われるがまま、茫然と帰宅した。
家に帰る途中で軽トラを洗車している酒屋のおじさんに会った。
すでにハラさんの方から電話があったようで、「事故ったんだって? 今から回収してきてやるから」と、言葉に反して慌てていたのかまだ濡れたままの軽トラで、それも荷台に酒のケースを積んだまま走り去った。
その後のことはあまり覚えていない。
大人たちが何かバタバタしていて、怒られたような気もするし、放っておかれたような気もする。
Aも熱を出して何日も学校に来なくなったり、その日を境にカートどころではなくなった。
結果から言えば、ハラさんには二度と会うことはなかった。あの日のすぐ後に交通事故で入院したと聞いたが、大人だけでお見舞いに行っていたようだった。その後のことはなんとなく聞けていない。
Aの発熱の原因が重い病気だったとわかり、半年後には治療のため引っ越していった。とても悲しかったが、仲の良くない両親と兄姉それぞれの仲を伝書鳩のように取り持っていたAが大変な状況になったことで、A家族の連帯感が増したのなら怪我の功名と言っていいのだろうか。いや、単なる皮肉だろう。
Cはあの日結局帰ってこなかった。それどころか、その後一度も姿を見ていない。
Aのお見舞いや見送りに一緒にいてほしかったけど、本名も聞いていなかったし、どこに住んでいるかも聞けずじまいだったので、連絡もできない。
中学生になれば一緒の学校かもしれないと思っていたし、ミステリアスな方がかっこいいとあえて聞かずにつるんでいたことが仇となった。
親にCのことを聞いたこともあったが、「ああ、あの女の子?」と言っていた。
Cは男子のはずだ。なのに、そう言われるとなぜか自信がなくなってくる。
あんなにしょっちゅう遊んでいたのに、もう顔も思い出せない。
男子だと思い込んでいただけで、実は女子だったなんてことがあるのだろうか?
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7-01
オチはそれでいいのか
Bが投稿者?
ラブコメの波動を感じる!!!
(※ヤタムキコメント)
ソープボックスレースの動画を検索したら結構面白かった。
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