第16話 夕食


 全員が部屋を整え、身支度を終える頃にはすっかり日が暮れて夜のとばりが降りていた。

 絶妙のタイミングで、階下からベルが鳴る。

 階段の上にまで良い匂いが立ち上ってきていた。吸い寄せられるように先ほどの部屋に集った彼らは、テーブルの上の料理に歓声を上げる。目の前にはまるで都の一流料理店で出るような料理が大皿に盛られて湯気を立てていた。


 山鳩の中に香草とキノコを入れて焼いたもの、洗練されたコンソメスープ、そして完熟した秋のフルーツが種を剥き丁寧に皮を剥かれて山盛りになっている銀の皿。いろいろな種類のチーズに赤ワイン入りの葡萄パン。


「どうぞ、獅子王家の方」


 先ほどの黒いドレスから、夜会に出るかのような肩を出した紅いドレスに身を包んだ女主人がガラスの瓶から甘い匂いの液体をミホスの前に置かれたワイングラスに注ぐ。服に散りばめられた宝石が彼らを幻惑するようにキラキラと光った。


「これは?」


 ろうそくの灯火が揺れて、ワイングラスの中の紅い液体も妖艶に煌めいている。


「3年前に仕込んだ果実酒ですわ。お酒はお飲みになりますか?」

「え、ええ」


 獅子王家ではある程度の年齢になったら、酒をたしなむ訓練を開始される。ミホスも、自分がどれだけ飲めるか、そしてどれだけ飲んだらまずいかぐらいは知っている――つもりであった。


 ミホスはグラスにそっと口をつける。

 一言でいうと、その酒は常軌を逸していた。

 見た目は瓶の底に残った古い糖蜜を思わせるどろりとした液体だが、一旦口に含むと、花が咲くように芳醇な甘みがぱあっと口の中に広がる。疲れ切った彼らにとって、その甘みは滋味深く身体にしみ渡る神の滴に他ならなかった。濃厚な甘みは夏の夕方の涼風が熱気を連れ去るようにすぐにすっきりと引いて、後口は星空の煌めきを感じるかのように爽やかだった。

 そのうえ、鼻の奥をくすぐるむせかえるような甘い香りがそのまま頭の芯に到達し恍惚とした快感で心を埋めていく。飲む前には見た目で躊躇するが、一旦味わえば止められなくなる、その酒の魅力は目の前に居る熟成された女性の漂わす色香をさらに印象づけた。


 ワイングラス2杯まで。

 それがミホスが自らに課した飲酒量だった。

 しかし、接待上手な女主人の勧めを断るには、彼は余りにもまだ初心うぶであった。そして、知らず知らずのうちに酔わされた彼は、自分で瓶を握りその蕩けるような酒を手酌でグラスに注ぎ始めたのである。


 いい気分になったミホスは椅子から立ち上がると、ライカにもそれを注ぐ。もともと龍家は酒好きである。一口飲むとライカは両方の鼻の穴から勢いよく鼻息を噴出して、両目をたらりと下げた。

 マイヤは一度首を振ったが、一口飲んだライカがあまりにも旨いと勧めるので、渋々その酒を口にした。元来酒に強い方では無いのだろう、グラス一杯ですでに眠たそうな半眼になっている。だが。


「これはすごい酒だな、まあ、飲めよマイヤ」


 隣のライカが肩を組んでさらに酒を注ぐと、マイヤは嬉しそうにうなずくとグラスを口に運んだ。


 その隣、テーブルの中の料理的一等地、すなわち丸焼きの山鳩、生クリームのたくさん付いたふわふわのケーキ、カラリと揚げられたジャガイモ、はちみつの入った甘い牛乳のまん前に陣取った獏男は、周りを気にすることもなく一心不乱に食べ物を口に詰め込んでいた。


 シュリンは、といえば。

 こっそり小間使いを呼んですでに2本目の瓶を手にしている。実は彼女は酒豪であった。しかし、いくら酒豪でも限度というものがある。今宵の彼女はあきらかにそれを越えていた。

 真っ赤に染まった頬、彼女は人目もはばからず横に座ったヘリットにしなだれかかると筋肉の薄い貧相な腕に熱い頬を寄せる。上着の布地を通して、娘の柔らかい頬のぬくもりが伝わってきて、むげに追い払うわけにも行かずヘリットは困ったように左右を見回す。彼女の身体を支えるため、彼のフォークとナイフはさっきから止まったままだ。


 しかし、皆食べ物と酒に夢中で彼らに注意を払う者はいなかった。

 そろそろ彼女に飲ませるのを止めさせなければ。ヘリットがテーブルを見渡す限り今一番頭がしっかりしていそうなのは自分であった。彼はまだ酒を飲んでいない。実は、今宵思うところがあって彼は酒を飲むつもりがなかったのである。


「シュリン、もう、部屋に戻った方がいいよ、送っていくから」

「え、ええ……そうね、ヘリット」


 いつも強気なシュリンが、口答えひとつせずに素直に立ち上がろうとする。だが、彼女は力が入らないのか、立とうとするもぐらりと上体が傾ぎ、横に座っていたヘリットに抱きついた。


「た、立てない……」

「ぼ、僕の腕に掴まって」


 差し出されたヘリットの腕にシュリンの細くて白い指が、這い上るツタのように巻き付く。そして彼が立ち上がると、腕に押しつけられた柔らかい胸の感触が伝わってきた。

 食べかけの料理をちらりと未練がましそうに見たヘリットだが、癒やしの術を持つ彼女がこれ以上身体を悪くするのは避けたかった。

 戦闘中、彼女がけが人を治せるということは一人が数人分の働きができるということで、戦力としての彼女を失うわけにはいかない。早く部屋につれて上がらなければならない。


 と、ヘリットは頭の中で自分に対して言い訳をしていた。


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