第2話 願望
「6630号。お前は最後だ。上がれ」
――寒い。
薄く、頼りない服を着せられ、両手を鎖で拘束されたまま、私は裸足で舞台へと押し出された。
……ああ。これは、あの頃の夢なんだ。
どこか他人事のように、私はそう思った。
真正面から降り注ぐのは、目を刺すような強い光。
思わず顔を伏せたが、手袋をした誰かが顎を掴み、無理やり顔を上げさせる。
光の向こうに見えたのは、上半分を覆う仮面の列。
形も色もまちまちだが、その奥に浮かぶ歪んだ欲望だけは、はっきりと伝わってきた。
「……っ」
やはり、寒い。
全身に鳥肌が立ち、身をすくめる。
身を守ろうとしても、鎖に縛られた手は動かせず、周囲の人間もそれを許さない。
逃げ場のない視線の中で、舞台脇に立つ司会者らしき人物が、淡々と語り始めた。
長い前置きのあと、告げられたのは――私が得た魔法名だった。
ざわめき。熱気。隠そうともしない視線。
粘つく囁きが、会場を満たしていく。
私はただ、耐えるしかなかった。
震えながら、待つしかなかった。
一人、また一人と、観客席から札が上がり、合図が送られる。その意味は分からなくても――自分の価値が、刻一刻と吊り上がっていくことだけは理解できた。
震えは止まらない。
親の
その場に現れた黒衣の人間たち。
そして、突きつけられた、現実離れした額の借用書。
どこで、何を、間違えたのだろう。
こんなことが、なぜ許されているのか。
考えている間にも、事態は進んでいった。
やがて、札が上がる頻度は落ち、場の空気が変わる。
勝負が決したのだと、直感した。
司会者が声を張り上げる。
一度。二度。
そして――三度目の声が、遮られた。
掲げられたのは、美しい手。
その合図を見た瞬間、会場がざわめきに包まれる。
光の中から、一人の人物が歩み出てきた。
赤と白の巫女服に革ジャン。黒く塗られた爪、メガネ越しに覗く泣きぼくろ。耳にはこれでもかというほど銀のピアスが飾られ、左手の薬指以外すべてに指輪をはめている。
女には、どこか
「私はイズモ、『屑拾い』だ。君に提案がある」
タバコの煙を吐き出し、私の顔を持ち上げ、女はそう言った。
「――私と契約して、『万能の願望機』を探してよ」
車体の規則正しい揺れと、どこか調子外れな鼻歌の中で、私はゆっくりと目を開けた。
「お帰り、カナデ。今日も生きてて偉いねぇ」
「……ただいま。イズモさん」
車内はタバコの匂いに満ちていた。ほのかに――おそらく芳香剤だろう、柑橘系の香りが混じっている。
運転席のイズモさんに視線を向けると、いつもと変わらず、薄く笑みを浮かべていた。私は彼女に向かって、頭を下げた。
「ごめんなさい。せっかくの稼ぎどころだったのに」
「いや、気にしなくていい。生きて帰ってこられただけで、十分な収穫だよ。前にも言ったでしょ。任務中の判断は、君に委ねるって。だから、カナデがどうしたいか――それで構わない」
「はい」
「でも、ね」
タバコをくわえたイズモさんは、私に笑いかけた。
「損失は元金も利息も含めて、全部君に乗せるだから。覚悟はしておきなよ」
「……はい」
「分かればいい。あっ、朝ごはんはどうする?一晩中潜入してたんだし、そろそろ何か食べたほうがいいでしょ」
「私はいい。なんだか、あまり食べる気にならなくて」
「ダメダメ。君はまだ成長期なんだから、ちゃんと食べなきゃ。事務所に戻ったら用意してあげる」
「……はい」
「ん。それでよし」
車は廃墟の合間を走り、崩れ落ちた壁や瓦礫を縫うように、埃にまみれた小道を進んでいく。首に嵌められた金属製の首輪を撫で、私は視線を車窓の外へと向けた。光に照らされた街の景色は、不思議と心を落ち着かせる。
「あっ。あの子、さっきの」
広告用のスクリーンに映し出されていたのは、銀の髪をなびかせる少女の映像だった。笑顔で歌い、踊るその姿はまるでアイドルそのものだ。
「有名な子だったんだ」
「みたいだね。私は詳しくないけど……見た感じ、芸能の仕事も抱えてそうだ。稼ぎ頭をあんな場所に一人行かせてたなんて、ずいぶん変わった事務所だね」
「そんなこと、イズモさんに言われる筋合いある?」
「いやいや。うちは性質が違うよ。私たちはプロだ。戦闘員と、オペレーターみたいなもんさ」
「はあ」
イズモさんがそこまで言い張るなら、これ以上突っ込まないほうがよさそうだ。私は首を振り、気持ちを切り替える。
「……あの子、無事に脱出できたのかな」
「さあね。カオス・ゾーンに踏み込んだ以上、あとは全部自己責任だよ。君は、できることはやった。あとは――あの子自身の運次第さ」
イズモさんはハンドルを切り、路地へと車を滑り込ませた。
「気に病まなくていい。今の君は『屑拾い』の一員だ。普通の魔法少女とは、もう立場が違う。この稼業で長くやっていくつもりなら、そういうことは少し軽く見たほうがいい。まあ……君まだ若いし、今はピンと来ないかもしれないけどね」
「……もしかしてイズモさん、怒ってる?拾った
「まさか。私、そんな器の小さい人間じゃないよ。ただまあ……正直言えば、稼げたはずのお金が消えたのは、ちょっと惜しいかな」
「……ごめんなさい」
「いいっていいって。別に本当に困ってるわけじゃないしね。ただ、口座の残高が増えていくのを眺めるのが、ちょっとした楽しみなだけさ」
「はあ。じゃあ、前に言ってた『万能の
「違う」
そう言いながら、イズモさんは車を停めた。
振り返って、彼女は笑う。メガネの奥、影に沈んだ瞳が、まるで光そのものを吸い込むみたいに見えた。
「――それは、私が一生をかけても成し遂げたい願いだよ」
問い返す間もなかった。
イズモさんはさっさとドアを開け、車を降りる。陽光の下に立った彼女の耳元で、銀のアクセサリーがきらりと光った。
「さ、着いたよ。私たちの、あったかいお家。
いやあ、なんだか背徳感あるよね。メンバー二人だけの会社、街の片隅にひっそり構えた事務所。美人が二人きり。
――何も起きないほうが不自然じゃない?もう、愛の巣って呼んでもいいんじゃないかな!」
「……はぁ」
私はイズモさんの後に続き、階段を上った。
ほどなくして、雑多な物で埋め尽くされた空間に足を踏み入れた。 本の山、各種の機材、無造作に散らばる写真。中央には応接用のテーブルと椅子があり、窓を背にして、やけに立派な執務机が置かれている。
イズモさんはバッグを机の上に放り投げると、続けて引き出しや棚をひっくり返しはじめた。一方の私は、すっかり自分の定位置になっている席に腰を下ろす。
「ちょっと待ってて。今、何か作るから」
ドン、と音を立てて、イズモさんがカセットコンロをテーブルの上に置いた。
続いてフライパンにバターを落とし、どこからか引っ張り出してきたランチョンミートの缶詰を開けて、中身をそのまま乗せる。
油が跳ねるじゅうじゅうという音と肉の匂いが、事務所いっぱいに広がっていった。
相変わらずの、気まぐれな料理だ。
「あ、コーヒーなら、自分で淹れてきていいよ」
「……分かった」
カセットコンロから距離を取るように、私は立ち上がった。
コーヒーを取りに行く途中、私は書棚の前を通りかかった。
ふと、視線が一枚の写真に引き寄せられる。
そこに写っていたのは、カメラを見つめる二人の少女だ。
一人は眼鏡をかけ、目尻に泣きぼくろを一つ持つ少女で、どこかぎこちない笑みを浮かべている。もう一人の少女は――まるでヒマワリのように、屈託のない笑顔だった。
私は視線を逸らし、コーヒーマシンの操作に取りかかった。
そして、ノックの音が響いた。
切迫した、間を置かない――ドンドンドンドン、という音。
「カナデ、お願い~」
「はーい、今行きます。少し待ってください」
小走りでドアを開けると、私は思わず目を見開いた。
最初に目に飛び込んできたのは、空色の瞳だった。
「はあ、はあ……ここが、『屑拾い』さんの事務所でしょうか?」
一人の少女が、目の前に立っていた。
透き通るような肌、整った顔立ち、ふっくらとした唇、長いまつげ。銀色の髪。身にまとっているのは、雪のように白い服。
――けれど。
少女の胸元の衣服には、大きく穴が開いていた。
その周囲は、くすんだ色の、乾ききった赤に染まっている。
「えっ。はい」
「っ。よかったっ」
息が上がり、胸と肩が激しく上下している。
次の瞬間、少女は両手で私の腕をつかんだ。
「お願いします!依頼がある……っ!」
はあ、はあ、と荒い息を吐きながらも、
少女は必死に、言葉を絞り出そうとしていた。
「この事務所に、私を!私を入れてください!」
「えっ。えっと」
空色の瞳が、まっすぐに私を射抜く。
澄み切っているのに、どこまでも深い湖のようで――気づけば、その奥へと引き込まれてしまいそうな双眸だった。
「願望機を……万能の願望機を!
――あの人の願いが叶うなら、私はすべてを差し出すっ!」
「……は?」
桜色の唇から紡がれたその言葉は、理解できないものだった。
魔法少女の屑拾い 浜彦 @Hamahiko
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