明日を見たい

藤泉都理

明日を見たい




「クゥッククク。クゥックックック」


 鮫のようにとんがっている歯、常に開いている瞳孔、片目の眼帯、牛のように細長い尻尾が特徴の外見は三十代長身男性、実態は悪魔である春夏秋冬ひととせは、盥になみなみと注いだ漂白剤の中に、びっしりと明日からの予定が記されたスケジュール帳を真上から落としては、不気味な笑いを発し続けた。


「クゥッククク。クゥックックック。これでわしも消滅、か。まあ。よい悪魔生だったわ」


 今や多忙を極める俳優、水上みずかみはるかの満面の笑みを思い浮かべては、達者で生きろと満面の笑みを浮かべたのであった。











 上司から人間、水上はるかの情報が記された紙を手渡された春夏秋冬は、ニヤリと笑ってその紙を青白い炎で燃やし尽くしては、人間界へと降り立った。

 二十七歳の女性、売れない俳優のはるかを売れて売れて売れまくる俳優にして、過労死させるために。

 テンプテーションという悪魔の力を最大限に活用して、はるかのマネージャーとして仕事をもぎ取ってもぎ取ってもぎ取りまくった結果、空白が目立っていたスケジュールは十年後までビッシリ埋まったのだ。

 今時週休二日制が当然だ有給休暇も夏季冬季休暇も当然だ休ませなさい、休ませないのであれば君をマネージャーから降ろす、いや、会社から、この業界から追い出す。

 社長室に呼んでそう言い渡す社長に対しても。否。社長だけではない、文句を飛ばしてくる輩だけでも足りないと、全人類に対してテンプテーションを使い、はるかが二十四時間三百六十五日間、レッスンに撮影にインタビューにと動き続ける事が普通なのだと刷り込ませたのである。

 たった一人、当事者であるはるかを除いて。


 みんな今、私を見てくれているの。休んでなんかいられない。ずっと私を動かし続ける。

 ねえ、ありがとう。ありがとう。幸せよ私今、とっても幸せ。

 ねえ、春夏秋冬。いえ。悪魔。

 ありがとう。私の夢を叶えてくれて。

 ええ、ズルでも何でも構わない。いくら詰ってくれてもいい。

 だけど、先に謝っておくわ。

 スケジュールが埋まっている十年間は過労死するつもりはないから。

 この十年間は私の優秀なマネージャーとして働き続けてよね。


 翳りなど一切合切感じさせない。

 いつだって元気溌剌で、他者を鼓舞もしていたし、他者のやっかみを受けたりもしていた。

 悪魔のテンプテーションは、はるかが二十四時間三百六十五日間動き続けている事が普通だという刷り込みにのみ使われていた。

 はるかに対して抱く感情を操作する事はなかったので、はるかに、活力を与える人間も居れば、衰弱をもたらす人間も居た。

 はるかが過労死すればそれだけで構わなかったのだ。悪魔は。

 仕事ができるエリートな悪魔として、仕事を完遂できればそれだけで。




「よかったはずなのだが。まあ。これも」

「春夏秋冬っ!」

「ック。ハハ。やはり、おまえは来るか」


 会社の屋上にて。

 吹きすさぶ冷風の中、怒涛の勢いで駆け走っては鬼のような形相をして盥をひっくり返し、漂白剤塗れのスケジュール帳を素手で掴んだはるかを目の当たりにした春夏秋冬は高笑いが止まらなかった。


「そうだ。そうだなあ。おまえのマネージャーとして働いたのは、三年間だけ。十年間はおまえのマネージャーとして働くとの約束を反故してしまったからなあ。しかも、俳優としての仕事もきれいさっぱりなくなってしまった。それはそれはお怒りだろう」

「そうよっ! 十年間っ! 十年は。死ぬまで私は俳優で居たかったのに! 仕事がないんじゃ俳優じゃないっ! 俳優じゃなかったら誰も私を見てくれないっ! そんなのっ」

「おい」

「何よっ! 死ねばいいんでしょっ! 過労死だろうが転落死だろうが何でもいいでしょっ!!!」

「ばかもの」


 屋上から飛び降りようとしたはるかの腕を掴んでは強引に己の両腕の中に閉じ込めた春夏秋冬。頭突きを食らわし続けるわ、足を踏み続けるわで、怒り心頭のはるかに言った。

 今は届かないと分かっていても、言わずにはいられなかった。




















「なによ………何よばかっ!!! 何がおまえのしわくちゃのばあさん姿を見せてくれよっ! あんたもう、私を見る事ができないじゃないっ! ばかっ!!! 私の人生を滅茶苦茶にして。天国も地獄も見せてっ!!! ばか。ばかばかばかばかばかばか………ばかあああああ!!!」


 あらん限りの生命を咆哮という形で吐き出したはるか。喉が潰れるほどに吐き出して、吐き出して、吐き出し続けては三度。胸を拳で強く叩いて、漂白剤塗れのスケジュール帳を片手で掴んだまま歩き出した。


「諦めない。諦めないから。私は「しわくちゃのばあさんになるまで俳優を続けるのだろう」

「………は?」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔になってしまったはるか。塵芥となって消えてしまったはずの春夏秋冬が何故か、姿形変わらず眼前に立っていたのである。


「は?」

「安心しろ。百歳まで俳優で在り続けられるよう、優秀なマネージャーのわしが支え続けてやる」

「………っ当然。でしょ。十年なんて。短すぎるわよ。そうよ。百歳まで。私を支え続けなさいよ。いいわね」

「ックックック。返してもらうぞ」


 春夏秋冬は漂白剤塗れのスケジュール帳をはるかからひったくってのち、はるかの手首を掴むと、医務室に行くぞと言い歩き出したのであった。




(クゥックックック。悪魔がそう悪魔を辞める事はできない。任務を遂行するまで戻れない。か。ならば。過労死は百歳までお預けという事だ。なに。悪魔にとって、瞬きするほどの儚い時間よ)











(2025.12.3)




【経緯】

〇「漂白」を見た瞬間、漂白剤に放り込まれるスケジュール帳が思い浮かんだ

〇自己承認がとても強い俳優を描いてみたかった

〇悪魔と俳優のベタベタな恋愛物語へと発展させたかったのだが、恋愛関係にならず喧嘩をよくする相棒になりそう

〇「クッククク」と笑う人物を出したくなるマイブームが到来

〇今までに描いた事がない色合いの物語に挑戦してみようと思った

これらを組み合わせて完成しました。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

明日を見たい 藤泉都理 @fujitori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ