第四十話 提案ではない。宣告だよ
残されたのは、籠女と──その前に立つ
美鈴は半歩前へ出て、籠女を庇うように背中へ立たせていた。
鳥籠──
この場で動けるのは、美鈴だけだった。
そんな二人を前に、阿巳蛇が柔らかな声色を落とす。
「ごめんね。籠女の仲間、蹴り飛ばしちゃってさ」
その声は、常軌を逸している。
到底、この状況で発せられるものではない。
それは、久しぶりに再会した旧友へ向けるような、屈託のない調子だった。
籠女は美鈴の隣へと位置をずらし、視線を真正面からぶつける。
「久しぶりの挨拶で、ウチ含め仲間一人一人に蹴り入れてくんは──」
語尾に、抑えきれない怒気が滲む。
「──相当印象悪いで」
阿巳蛇は、顔の前で軽く手を合わせた。
「ごめんて。
でもさ、子供の頃……籠女に教えてもらったよ?」
手を離し、思い出すように笑みを浮かべる。
「……やられたら、やり返せって」
その言葉に、籠女は鼻で笑い返す。
「そら、そうやな……。
アンタ、よういじめられとって、毎日みたいに泣かされとったからなぁ」
懐かしさではなく、皮肉だけが滲む。
阿巳蛇の表情が、わずかに明るくなった。
「そう! だから、あたしはここまで強くなった。
籠女のおかげだよ……!」
一拍、間を置く。
「だからさ。今日は──籠女に、ひとつ提案があってね?」
籠女の眉が、警戒を隠さずに寄る。
「……は?」
短い音に、拒絶が詰まっていた。
「アンタ……どういうつもりや」
読めない。
屍々子と茜を一瞬で排除できる力を持ちながら、命までは奪わず、提案を持ちかける。
殺気もなく、いつも通りの調子で振る舞うその態度が、かえって背筋を冷やした。
阿巳蛇の声が、静かに落ちる。
「別に、強制はしないよ。
そんな急に言われても、困るでしょ?
いいよ、ゆっくり考えて」
籠女の中で、警戒が一段、強く張り詰めた。
話が噛み合わない。
まるで──こちらがすでに"その提案を受ける前提"で迷っているかのような口ぶり。
声音は穏やかだ。
だが、その奥には、最初からこちらの意思を汲み取るつもりなどない圧が、はっきりと横たわっている。
籠女の表情を捉え、阿巳蛇が続ける。
「籠女だって……"考える時間"は必要だからね」
時間──。
その一語で、籠女は理解してしまった。
阿巳蛇が指しているのは、情でも猶予でもない。
籠女の体内へ投じられた特殊な因喰。
それが侵色を始めるまでの、残り時間。
「アンタ……最初から、ウチと取引するつもりやったんか……」
わずかな沈黙のあと、阿巳蛇の首が、ほんの少し傾いた。
理解しかねる、というより──その言葉自体が想定外だったかのように。
「取引……? なんで?」
心底、不思議そうな表情。
"何を言っているの?"とでも問うように。
「……取引なんてしないよ?」
柔らかな調子。
だが、その声音の底に、微かな違和感が滲む。
「それって、あたしがいつ──」
次の瞬間だった。
阿巳蛇の身体から、黄色の妖気が爆発的に噴き上がった。
「──取引するって、言った?」
叱責だった。
聞き分けのない相手に向けられる、容赦のない鋭さ。
「これは、提案だってば──」
歪んだ笑み。
うねり狂う妖気が、空気を軋ませる。
「──"力づく"の」
殺気が、完全に解き放たれた。
だが、その刹那──
その圧を断ち切るように、屍々子と茜が同時に阿巳蛇へと地を蹴る。
そして、遅れず美鈴も踏み込んでいた。
最初に距離を詰めたのは屍々子だった。
大きく引いた右拳に、全身の力が収束していく。
骨の内側で、妖気と空気が圧縮され、低く唸りを上げた。
「さっさと──」
限界まで溜め込まれた力が、解放される。
「──籠女ん中の
───パシュッ。
音を置き去りにする拳。
だが、その軌道の先にあったのは──阿巳蛇の左手だった。
指が、屍々子の拳を包み込む。
接触は一瞬。
衝撃は、そこで完全に殺された。
阿巳蛇は、その妖気の色を認識すると、ゆっくりと口元を緩める。
「面白いね、"その色"……」
視線が、値踏みするように屍々子をなぞる。
「……実験したくなっちゃう」
その言葉と同時だった。
左右から、影が跳ぶ。
茜はナイフを逆手に構え、振り下ろす軌道へ身体を預ける。
美鈴は地を這うように低く走り込み、体重を乗せた左脚を振り抜く。
その刃は──阿巳蛇へ向かう。
───シュタンッ。
空気を切り裂き、メイド二人が跳躍する。
その最中、茜は悟った。
自分の着地点──その軌道上に、
同時に、美鈴の進路には、
一瞬の判断。
茜が、視線だけで美鈴に合図を送る。
「美鈴。わかってんな? 即行終わらせて──」
茜の身体に纏う妖気が、ぶわりと増した。
「──屍々子に、手回すぞ」
美鈴は、迷いなく小さく頷いた。
着地と同時に、茜は鏑の懐へ滑り込む。
距離を殺し、ナイフを下から上へ、鋭く振り上げた。
鏑は赤い妖気を纏い、伸びてきたナイフの刃を素手で掴み取る。
「うおおおい!! メイドさんよおお!! また会ったなああ!!」
鏑の"強い女理論"は、阿巳蛇の前では発動しない。
だが、茜への視線に宿る熱までは、抑えきれていなかった。
茜の舌打ちが響く。
「モヒカンテメェ、しつけーなぁ!
つか、ナイフ掴んで痛くねーのかよ!」
鏑の口元が、大きく歪む。
「だはははあ!!
痛かったら、とっくに離してんだろうがよお!!」
刃を握り締めたまま、笑い声が弾ける。
その一方で、美鈴と無兎は正面からぶつかっていた。
美鈴は身体をしならせ、流れるように回転する。
左から右へと繋がる動きの中で、踵が鋭く伸び、無兎の顔面を捉えにかかる。
だが──。
踵が届く直前、無兎の右腕が滑り込んだ。
足首を確実に受け止め、そのまま上へと弾き上げる。
美鈴の重心が浮く。
体勢が、わずかに後方へ流れた。
その隙に、無兎は一気に踏み込む。
右足を軸に身体を回転させ、溜めた勢いを解き放つように、左脚を振り抜いた。
───ドスッ。
鈍い衝撃。
美鈴の右肋を押し潰すように、回し蹴りが突き刺さる。
「──ッ」
抑えきれない息が、美鈴の喉から漏れた。
身体は数メートル先へ弾き飛ばされる。
だが、着地は崩れない。
即座に体勢を立て直し、再び無兎を正面に捉える。
その姿を見つめながら、無兎の唇が、わずかに動いた。
「……ほんとに、笑わなくなっちゃったんだね」
その呼び方は、
場違いなほど、優しく戦場に落ちた名前だった。
「姉さん」
──記憶の中では、ずっと笑って──
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます