第三十九話 お迎え

じゃタワー・六十六階──最上階部屋。


手のひらに収まるほどの小さな鳥籠。

そのペンダントに通された紐を指先で絡め取り、くるくると回している女──阿巳蛇あみだ


卓に右肘を預け、椅子に深く腰を沈めたまま。

鳥籠は一定の速度で回転を続ける。


籠女かごめ……」


ふと、独り言のようにこぼれた名。


「鳥籠、まだこんなに大事にしてたんだ」


鳥籠の回転が、ほんの一瞬だけ緩む。

阿巳蛇の口元に、懐かしむような笑みが浮かんだ。


「そりゃ大事か……お母さんの形見だもんなぁ」


鳥籠が回転を続ける、その最中。


───スッ。───パタン。


静かな音とともに、部屋の扉が閉じられた。


入室してきたのは、無兎むとかぶらの二人。

阿巳蛇は鳥籠の動きを止め、ゆっくりと視線を向けた。


「あ、無兎と鏑ごめんねー、呼び戻しちゃって」


軽い調子。

だが、そこに無駄な感情は混じっていない。


二人は揃って軽く頭を下げ、距離を詰める。

無兎が慎重に口を開いた。


「いえ、全然大丈夫です。

ところで、お話しというのは……」


阿巳蛇は一度だけ視線を落とし、顎に指を添えた。


「んー……とね」


短い間。

考えるというより、言葉を選んでいる仕草だった。


そして顔を上げる。


「今、蛇ノ目に乗り込んでるミズトの連中にさ。

式日しきじつの協力してもらおうと思っててさ……」


空気が、目に見えて強張った。


無兎と鏑の瞳が揃って見開かれる。

特に無兎は、思考が追いつかず、声に感情が滲んだ。


「え……? 阿巳蛇さん、何……言ってるんですか?」


阿巳蛇は、その反応を予想していたかのように、軽い調子で肩をすくめた。


「だよね。そうなるよね。

うん。無兎が思ってること……わかってるよ?」


声音は柔らかい。

だが、そこに含まれる芯は、ひどく重かった。


れいももを殺した連中。

それに……緋叉欺ひさぎを傷つけた連中に──"それ"を言うのは、意味わかんないよねってのはわかってるよ」


無兎は、何も返せなかった。

心の奥を正確に撫でられたような感覚に、言葉が塞がれる。


阿巳蛇は、鳥籠のペンダントを指で軽く弾く。


「けどさ──」


蛇のような瞳が、鋭く光を帯びた。


「──あたしの言ったことが、間違ってたこと、あるっけ?」


それは疑問の形を借りているだけだった。

問いではない。

確認であり、同時に──宣告。


無兎は一瞬だけ唇を噛み、感情を奥へ押し込める。


「……いえ。ありません。すみませんでした」


そう述べ、深く頭を下げた。


阿巳蛇はその様子を眺め、柔らかく笑みを作る。


「ん……頭、下げなくていーよー。

こっちが事前に話してなかったのが悪いしさ」


その一言で、

いつの間にか室内を満たしていた"背筋を撫でるような圧"が、ふっと霧散した。


沈黙の合間を縫うように、鏑が前のめりになる。


「なあ、阿巳蛇さん。

俺たちは、これから何をすりゃいいんだ?」


阿巳蛇は肩をすくめる。


「特に、何もしなくていいよ。

事情はあたしが説明するからさ」


「君らは、あたしのそばにいればいい」


無兎が慎重に言葉を選ぶ。


「もし、断られるようなことがあった場合は……?」


阿巳蛇は、間を置かずに答えを落とした。


「殺す」


淡々と。

感情の起伏も、威圧もない。

それが、あまりにも日常の選択肢であるかのように。


「じゃ、行こっか」


そう告げて、椅子から立ち上がる。

ヒールの音が静かに響き、扉へと歩を進めた。


無兎と鏑は迷いなく後に続く。


廊下へ出る直前、無兎が思い出したように問いかける。


美門みかどには……この話は?」


阿巳蛇はドアノブに手をかけたまま、振り返らない。


「まだ何も伝えてないよ。

この話をしたの、君らが最初」


ドアノブを捻り、扉が開く。


「でもね」


一瞬だけ、楽しそうに声が弾んだ。


「美門なら、すぐ"うん"って言うと思うな」


美門の性格を思えば、反対という選択肢は、最初から存在しない。


ましてや、それが"キメラ"なら尚更。


───パタンッ。


最上階部屋の扉が、閉まった。



♦︎



屍々子ししこたちは、六十階の特殊克服者部屋を後にすると、いったん方針を切り替えた。

最上階へ直行するのではなく、上の階を一つずつ洗っていく。


まずは六十一階。

構造を確かめる程度の探索で終えたが、阿巳蛇につながるような痕跡──とりわけ妖気や因喰いんじき特有の臭気は掴めない。


滞在時間は短く、すぐに次の階へ移動した。


蛇ノ目タワー・六十ニ階──大通路。


その造りは、六十階や六十一階と寸分違わない。

無機質な壁面、等間隔に並ぶ照明、視界を遮るもののない直線的な構造。


四人は足音を響かせながら、奥へと進んだ。


屍々子が、ふと思いついたように口を挟む。


「なんかさ。

アタシら、ここに乗り込んでる割に──デカブツの時もそうだけど……」


歩調を緩め、周囲を一瞥する。


「敵、全然出てこなくね?

どの階も無駄に広いのに、人影ひとつない」


実際、六十階で交戦したのは、特殊克服者部屋に詰めていた研究員五人と、大通路で遭遇した鏑だけだった。


しかも、研究員らに関しては迎撃要員というより、逃げ場を失って刃を向けてきただけに近い。


籠女が、淡々と状況を整理する。


「戦闘するんは、阿巳蛇とその幹部がメインなんやろな。

数だけ揃えても、弱かったら意味ないからな」


少し間を置き、続ける。


「それに……自分の強さに自信あるんやろ、阿巳蛇は」


屍々子が横目で籠女を見る。


「……阿巳蛇って、そんな強ぇの?」


籠女は小さく息を吐いた。


「……ウチの体感やけどな?

おそらく……ここにおる誰よりも──強い」


幼い頃に知っていた阿巳蛇は、内気で、泣き虫で、戦い方すら知らなかった。

その記憶と、今語られる"力"の落差は、あまりにも大きい。


屍々子は、籠女の言葉を反芻するように呟く。


「誰よりも強い……ねぇ」


すぐに、軽い調子へ戻る。


「籠女はさ、阿巳蛇は誰よりも強いとは言ったけど、誰も勝てないとは言ってない」


屍々子の瞳は、揺れていなかった。


「だったら、ブッ飛ばせるワンチャンあるってことでしょ?」


励ましでも虚勢でもない。

ただ、事実を並べただけの口調だった。


その空気を、あかねが即座に断ち切る。


「屍々子、クサい」


間髪入れず、籠女も言い切る。


「屍々子……クサい」


美鈴みすずも即答。


「クサい」


「お前らブッ飛ばすぞ」


軽口が交錯した、その刹那──

茜の歩みが、不意に止まる。


「……匂いがする」


その一言で、屍々子の視線が跳ねた。


「はぁ? だからクサくねぇって──」


だが、続く言葉は喉で途切れた。

茜の表情が、冗談を許さない硬さへ変わっていたからだ。


茜は、視線と聴覚を限界まで研ぎ澄ませる。


「この階に来てから、急に匂う。

これは……因喰の匂いだ」


四人の間を、目に見えない緊張が走る。


──なんで、他の階にいた時は気づかなかった?


茜は、蛇ノ目タワーへ侵入してから一度も妖気を閉じていない。

五感ごかん強化きょうか』の有効範囲は、半径五百メートル。


理屈で言えば、タワーの半分以上を覆える感知能力だ。

不要な情報は自動的に切り捨てられ、必要な"匂い"だけが残る。


この位置から最上階まで──

本来なら、因喰の存在に気づけないはずがない。


それなのに。


六十二階に足を踏み入れた、この瞬間になって初めて──

"因喰の匂い"が、はっきりと立ち上ってきた。


まるで、

この階層そのものが、感知の境界線であるかのように。


そして、茜の嗅覚が別の異物を捉える。


──知らない妖気の匂いッ!


その匂いは、"こちらへ近づいて来てる"。


茜は前方へ目を凝らす。


通路の奥。

その視線の先には、黄色の光。


その思考が頭をよぎった時には、目の前に閃光が──いた。


───ズドッ!!


肉にめり込む低い音。

衝撃とともに、茜の身体が屍々子たちの後方へ叩き飛ばされる。


「「……!!?」」


"それ"の存在に、屍々子たちは反応出来なかった。


つい先ほどまで茜が立っていた場所に──白髪の女。

こちらを見下ろす瞳は、縦に裂けた蛇の瞳孔。


威圧も、殺気もない。

ただ淡々と、こちらを覗く瞳。


籠女の喉から、かすかな声がこぼれた。


「……阿巳蛇」


その名が耳に届いた瞬間、屍々子の身体は前へ弾けていた。


「……お前、いきなり何してんだ」


右拳が、空気圧を解放しながら突き出される。


だが、阿巳蛇は拳が届く前に一歩踏み込み、

その動線の内側から、右脚を振り抜いた。


圧倒的な速度が──屍々子の腹部を撃つ。


───ズンッ。


鈍い衝撃音が、骨を伝って響く。


「──ぐっ……」


遅れて、腹の奥に沈むような痛みが広がった。

内臓を貫かれた錯覚すら覚える一撃。


屍々子の身体は、そのまま左へ吹き飛ぶ


───ドン!!


数メートル先の壁へ、容赦なく叩きつけられた。

背中に走った衝撃が肺を締め上げ、息が一瞬、完全に途切れる。


一方、美鈴は即座に動いていた。

籠女を自分の背後へ引き寄せ、身体を盾にするように位置を入れ替える。


その光景を眺め、阿巳蛇が小さく感心したように息を漏らす。


「最近の"人形"はすごいね……」


そして、口角を吊り上げる。


「──生きてる怪異と、全然見分けつかないや」


その言葉に、籠女の眉がわずかに寄った。

だが、次の瞬間──阿巳蛇の背後から、別の気配が割り込む。


「阿巳蛇さん……相変わらず、速すぎませんか?」


続けざまに、場違いなほど豪快な笑い声。


「だははは!! 無兎は足が遅えからなあ!!」


「……鏑。うるさい」


二つの影が、阿巳蛇の左右に並ぶように足を止める。

無兎と鏑。その立ち位置は、無意識のうちに彼女を中心とした陣形を描いていた。


阿巳蛇は微笑んだ。


「迎えに来たよ……籠女」




──元凶、御対面──

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