第三十九話 お迎え
手のひらに収まるほどの小さな鳥籠。
そのペンダントに通された紐を指先で絡め取り、くるくると回している女──
卓に右肘を預け、椅子に深く腰を沈めたまま。
鳥籠は一定の速度で回転を続ける。
「
ふと、独り言のようにこぼれた名。
「鳥籠、まだこんなに大事にしてたんだ」
鳥籠の回転が、ほんの一瞬だけ緩む。
阿巳蛇の口元に、懐かしむような笑みが浮かんだ。
「そりゃ大事か……お母さんの形見だもんなぁ」
鳥籠が回転を続ける、その最中。
───スッ。───パタン。
静かな音とともに、部屋の扉が閉じられた。
入室してきたのは、
阿巳蛇は鳥籠の動きを止め、ゆっくりと視線を向けた。
「あ、無兎と鏑ごめんねー、呼び戻しちゃって」
軽い調子。
だが、そこに無駄な感情は混じっていない。
二人は揃って軽く頭を下げ、距離を詰める。
無兎が慎重に口を開いた。
「いえ、全然大丈夫です。
ところで、お話しというのは……」
阿巳蛇は一度だけ視線を落とし、顎に指を添えた。
「んー……とね」
短い間。
考えるというより、言葉を選んでいる仕草だった。
そして顔を上げる。
「今、蛇ノ目に乗り込んでるミズトの連中にさ。
空気が、目に見えて強張った。
無兎と鏑の瞳が揃って見開かれる。
特に無兎は、思考が追いつかず、声に感情が滲んだ。
「え……? 阿巳蛇さん、何……言ってるんですか?」
阿巳蛇は、その反応を予想していたかのように、軽い調子で肩をすくめた。
「だよね。そうなるよね。
うん。無兎が思ってること……わかってるよ?」
声音は柔らかい。
だが、そこに含まれる芯は、ひどく重かった。
「
それに……
無兎は、何も返せなかった。
心の奥を正確に撫でられたような感覚に、言葉が塞がれる。
阿巳蛇は、鳥籠のペンダントを指で軽く弾く。
「けどさ──」
蛇のような瞳が、鋭く光を帯びた。
「──あたしの言ったことが、間違ってたこと、あるっけ?」
それは疑問の形を借りているだけだった。
問いではない。
確認であり、同時に──宣告。
無兎は一瞬だけ唇を噛み、感情を奥へ押し込める。
「……いえ。ありません。すみませんでした」
そう述べ、深く頭を下げた。
阿巳蛇はその様子を眺め、柔らかく笑みを作る。
「ん……頭、下げなくていーよー。
こっちが事前に話してなかったのが悪いしさ」
その一言で、
いつの間にか室内を満たしていた"背筋を撫でるような圧"が、ふっと霧散した。
沈黙の合間を縫うように、鏑が前のめりになる。
「なあ、阿巳蛇さん。
俺たちは、これから何をすりゃいいんだ?」
阿巳蛇は肩をすくめる。
「特に、何もしなくていいよ。
事情はあたしが説明するからさ」
「君らは、あたしのそばにいればいい」
無兎が慎重に言葉を選ぶ。
「もし、断られるようなことがあった場合は……?」
阿巳蛇は、間を置かずに答えを落とした。
「殺す」
淡々と。
感情の起伏も、威圧もない。
それが、あまりにも日常の選択肢であるかのように。
「じゃ、行こっか」
そう告げて、椅子から立ち上がる。
ヒールの音が静かに響き、扉へと歩を進めた。
無兎と鏑は迷いなく後に続く。
廊下へ出る直前、無兎が思い出したように問いかける。
「
阿巳蛇はドアノブに手をかけたまま、振り返らない。
「まだ何も伝えてないよ。
この話をしたの、君らが最初」
ドアノブを捻り、扉が開く。
「でもね」
一瞬だけ、楽しそうに声が弾んだ。
「美門なら、すぐ"うん"って言うと思うな」
美門の性格を思えば、反対という選択肢は、最初から存在しない。
ましてや、それが"キメラ"なら尚更。
───パタンッ。
最上階部屋の扉が、閉まった。
♦︎
最上階へ直行するのではなく、上の階を一つずつ洗っていく。
まずは六十一階。
構造を確かめる程度の探索で終えたが、阿巳蛇につながるような痕跡──とりわけ妖気や
滞在時間は短く、すぐに次の階へ移動した。
蛇ノ目タワー・六十ニ階──大通路。
その造りは、六十階や六十一階と寸分違わない。
無機質な壁面、等間隔に並ぶ照明、視界を遮るもののない直線的な構造。
四人は足音を響かせながら、奥へと進んだ。
屍々子が、ふと思いついたように口を挟む。
「なんかさ。
アタシら、ここに乗り込んでる割に──デカブツの時もそうだけど……」
歩調を緩め、周囲を一瞥する。
「敵、全然出てこなくね?
どの階も無駄に広いのに、人影ひとつない」
実際、六十階で交戦したのは、特殊克服者部屋に詰めていた研究員五人と、大通路で遭遇した鏑だけだった。
しかも、研究員らに関しては迎撃要員というより、逃げ場を失って刃を向けてきただけに近い。
籠女が、淡々と状況を整理する。
「戦闘するんは、阿巳蛇とその幹部がメインなんやろな。
数だけ揃えても、弱かったら意味ないからな」
少し間を置き、続ける。
「それに……自分の強さに自信あるんやろ、阿巳蛇は」
屍々子が横目で籠女を見る。
「……阿巳蛇って、そんな強ぇの?」
籠女は小さく息を吐いた。
「……ウチの体感やけどな?
おそらく……ここにおる誰よりも──強い」
幼い頃に知っていた阿巳蛇は、内気で、泣き虫で、戦い方すら知らなかった。
その記憶と、今語られる"力"の落差は、あまりにも大きい。
屍々子は、籠女の言葉を反芻するように呟く。
「誰よりも強い……ねぇ」
すぐに、軽い調子へ戻る。
「籠女はさ、阿巳蛇は誰よりも強いとは言ったけど、誰も勝てないとは言ってない」
屍々子の瞳は、揺れていなかった。
「だったら、ブッ飛ばせるワンチャンあるってことでしょ?」
励ましでも虚勢でもない。
ただ、事実を並べただけの口調だった。
その空気を、
「屍々子、クサい」
間髪入れず、籠女も言い切る。
「屍々子……クサい」
「クサい」
「お前らブッ飛ばすぞ」
軽口が交錯した、その刹那──
茜の歩みが、不意に止まる。
「……匂いがする」
その一言で、屍々子の視線が跳ねた。
「はぁ? だからクサくねぇって──」
だが、続く言葉は喉で途切れた。
茜の表情が、冗談を許さない硬さへ変わっていたからだ。
茜は、視線と聴覚を限界まで研ぎ澄ませる。
「この階に来てから、急に匂う。
これは……因喰の匂いだ」
四人の間を、目に見えない緊張が走る。
──なんで、他の階にいた時は気づかなかった?
茜は、蛇ノ目タワーへ侵入してから一度も妖気を閉じていない。
『
理屈で言えば、タワーの半分以上を覆える感知能力だ。
不要な情報は自動的に切り捨てられ、必要な"匂い"だけが残る。
この位置から最上階まで──
本来なら、因喰の存在に気づけないはずがない。
それなのに。
六十二階に足を踏み入れた、この瞬間になって初めて──
"因喰の匂い"が、はっきりと立ち上ってきた。
まるで、
この階層そのものが、感知の境界線であるかのように。
そして、茜の嗅覚が別の異物を捉える。
──知らない妖気の匂いッ!
その匂いは、"こちらへ近づいて来てる"。
茜は前方へ目を凝らす。
通路の奥。
その視線の先には、黄色の光。
その思考が頭をよぎった時には、目の前に閃光が──いた。
───ズドッ!!
肉にめり込む低い音。
衝撃とともに、茜の身体が屍々子たちの後方へ叩き飛ばされる。
「「……!!?」」
"それ"の存在に、屍々子たちは反応出来なかった。
つい先ほどまで茜が立っていた場所に──白髪の女。
こちらを見下ろす瞳は、縦に裂けた蛇の瞳孔。
威圧も、殺気もない。
ただ淡々と、こちらを覗く瞳。
籠女の喉から、かすかな声がこぼれた。
「……阿巳蛇」
その名が耳に届いた瞬間、屍々子の身体は前へ弾けていた。
「……お前、いきなり何してんだ」
右拳が、空気圧を解放しながら突き出される。
だが、阿巳蛇は拳が届く前に一歩踏み込み、
その動線の内側から、右脚を振り抜いた。
圧倒的な速度が──屍々子の腹部を撃つ。
───ズンッ。
鈍い衝撃音が、骨を伝って響く。
「──ぐっ……」
遅れて、腹の奥に沈むような痛みが広がった。
内臓を貫かれた錯覚すら覚える一撃。
屍々子の身体は、そのまま左へ吹き飛ぶ
───ドン!!
数メートル先の壁へ、容赦なく叩きつけられた。
背中に走った衝撃が肺を締め上げ、息が一瞬、完全に途切れる。
一方、美鈴は即座に動いていた。
籠女を自分の背後へ引き寄せ、身体を盾にするように位置を入れ替える。
その光景を眺め、阿巳蛇が小さく感心したように息を漏らす。
「最近の"人形"はすごいね……」
そして、口角を吊り上げる。
「──生きてる怪異と、全然見分けつかないや」
その言葉に、籠女の眉がわずかに寄った。
だが、次の瞬間──阿巳蛇の背後から、別の気配が割り込む。
「阿巳蛇さん……相変わらず、速すぎませんか?」
続けざまに、場違いなほど豪快な笑い声。
「だははは!! 無兎は足が遅えからなあ!!」
「……鏑。うるさい」
二つの影が、阿巳蛇の左右に並ぶように足を止める。
無兎と鏑。その立ち位置は、無意識のうちに彼女を中心とした陣形を描いていた。
阿巳蛇は微笑んだ。
「迎えに来たよ……籠女」
──元凶、御対面──
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