第三十三話 緋叉欺のプライド

私は緋叉欺ひさぎ

自慢することでもないけど──私は可愛い。

顔も、声も、スタイルも。

だから、誰に何言われても耳に入らない。


性格が悪い? だから?

口が悪い? それで?


可愛いって、それだけで全部ひっくり返せるの。

少なくとも、私はそうやって生きてきた。


それに──

あー様は、いつも言ってくれる。

可愛いって。

頭を撫でて、笑って、ちゃんと私を見てくれる。


このメイクだってそう。

私の顔に一番似合う形を選んで、時間かけて仕上げてる。

全部、あー様に「可愛い」って言ってもらうため。


だから。


あー様から認めてもらえるだけで、私は幸せ。


なのに──


この女。

私になんつった?


「私のメイクが……なんて?」


───ヒュン、ヒュン、ヒュン。


右手に絡ませている鎖が、空気を切り裂き、乾いた音を規則正しく刻む。

手首のわずかな返しに合わせて、黒い軌跡が円を描き、威嚇するように唸った。


籠女かごめは一歩も退かなかった。

顎をわずかに持ち上げ、威圧でも挑発でもない、ただ相手の本質を量るような視線を向ける。


「性格に劣らず、ほんま"地雷"がよう似合っとる言うとんや」


その一言で、緋叉欺の表情が音を立てて崩れた。


「……ッ!!」


怒りが声に滲み、震えが走る。

円を描いていた鎖がぴたりと止まり、重力に従って地面へ垂れ下がった。


「……なんでだろうね。

普段、誰に何言われてもどうでもいいのに。

アンタから言われんのだけは──」


言葉が途切れた、その瞬間。

鎖の先端が扇状に開き、五本の鉤爪が鈍く光を反射する。

緋叉欺はそれを高く掲げ、感情ごと振りかぶった。


「──すっごいウザいんだけど!!」


鎖が放たれる。


籠女は即座に右手へ妖気を走らせ、先ほど呼び出していた白い手を二本、しならせ伸ばす。

伸びてくる鎖を、上から叩き落とすように押さえつける。


そのまま、わざとらしく顎に指を添え、煽るように首を傾げる。


「それってぇ……ウチが可愛いから、余計ムカつくんとちゃう?」


青黒い髪が風に揺れる。

その何気ない仕草ひとつひとつが、緋叉欺の神経を逆撫でした。


「ウッッッザ!!」


叫びと同時に、緋叉欺の右手に紫の光が灯る。

次の瞬間、白い手に押さえつけられていた鎖が、不気味にうねり始めた。


うねりとともに、鎖全体が変質する。

先端だけではない。

節という節から刃が立ち上がり、一本の長大な刃物へと姿を変えた。


───ジャキンッ。


金属音が弾け、緋叉欺は右腕を大きく振り上げる。

その動きに連動し、刃と化した鎖が唸りを上げた。


鎖を押さえていた白い手が、ズシュシュ、と音を立てて切り裂かれる。

削がれ、裂かれ、それでも完全には止まらない。


間髪入れず、緋叉欺は鎖を籠女へと叩きつけた。

空気を切り裂く鋭音が、一直線に迫る。


緋叉欺は、愉しげに嗤う。


「きゃははっ。どうすんのぉ?

どう触ってもさぁ……傷だらけにしちゃうよ?」


嘲る声が、背中を追いかけてくる。

籠女はそれを振り切るように、鎖の射線から外れて右へ駆けた。


足運びに合わせ、鳥籠がぴたりと距離を保つ。

逃げているわけじゃない。位置を変えているだけだ。


走りながら、ふと周囲に意識を巡らせる。


──人影が、ない。


先ほどの衝突音と横転騒ぎで、通行人はすでに散っていたらしい。

割れたガラスと歪んだ車体だけが、無言で現場を主張している。


「……好都合やな」


籠女は、わずかに息を整える。

遠慮も、加減も、もう必要ない。


これで──

思う存分、やれる。


同時に、籠女の背後から伸びていた十二本の白い手が、二手に分かれる。

半数は籠女の動線を守るように随伴し、残りは左側へと扇状に広がった。


──ここで普通に白い手さんで仕掛けても、鎖で切り裂かれてまう。

せやから、少しの耐えや。ウチ。


鎖は、その動きを待っていたかのように、急激に軌道を変える。


角度も、高さも、速度も。

まるで意思を持つ蛇のように、不規則な線を描きながら籠女を追尾した。


──この鎖……"紫"特有の動きやな。


目で追っている。

いや、追っている以上の"感覚"で、こちらを捉えている。


鎖の先端が地面を叩き、跳ね上がる。

その反動を利用し、右側から鋭く弧を描いて──籠女の首元へ。


だが、籠女にはその軌道が、はっきりと見えていた。


瞬時に白い手が籠女の左腕を掴み、強引に引き寄せる。

身体が横へ流れ、鎖の刃先が、紙一重で視界を横切った。


かわした──。


鎖が伸び切った、その刹那。


「今や」


籠女は地を蹴り、反時計回りに踏み込む。

緋叉欺を中心に、円を描くように距離を詰めていく。


───シュタッ。


足音はひとつ。

迷いのない切り返し。


一方、緋叉欺はその動きを冷静に追っていた。

反時計回りに走る籠女。

対して、時計回りに伸びる白い手の軌道。


──私を囲もうとしてる? 甘すぎ。


緋叉欺は、わざとらしく左手を口元に添えた。


「えー? なにそれぇ。

私、なんか囲まれてるぅ? 怖いんだけどぉ!」


そう言って、にやりと笑う。


次の瞬間、左手から紫の妖気が溢れ出した。

粘つく光が腕を包み込み、そのまま──


───ジャラジャラァッ。


金属音が空気を引き裂く。


左の手のひらから、黒い鎖が噴き出すように伸び、腕へと巻き付く。


余裕を崩さぬまま、緋叉欺は言葉を重ねる。


「そんなんで私を出し抜いたつもりだったら、笑っちゃう〜」


軽く首を傾ける。


「この鎖ね? 私の血液から作ってるの。

だからぁ、私の鎖は私の体内の一部」


緋叉欺はそのまま、身体ごと左腕を振り抜いた。


水平に。

容赦なく。

円を描くように──周囲一帯を薙ぎ払う。


時計回りに這っていた白い手が、触れた端から次々と断ち切られていく。

抵抗する間もなく、すべてが両断された。


籠女は、思わず目を見開く。


──鎖……一本やない。


切り裂かれた白い手は、塵となって崩れ落ちた。


その直後。

鎖が宙を縫い、背後から籠女へと伸びる。


不規則にうねりながら接近するその軌道上で、

籠女の周囲を守るように伸びていた白い手も、次々と斬り伏せられていった。


空間そのものが、削り取られていく。

鎖の唸りが、死角から迫っていた。


「アンタの武器……なくなっちゃったね」


空気を裂く音に、籠女の判断が一瞬だけ遅れた。


鎖の先端。

開いた鉤爪が、籠女の左肩へ深々と突き刺さる。


──なっ!?


痛みを認識するより早く、鎖が引かれた。


身体が浮く。

遠心力に振り回され、左方向へ──十数メートル先のビル壁へ叩きつけられる。


───ダンッ!


「──ぁ……っ」


肺の空気が、声にならない音となって漏れた。


壁に打ち付けられた衝撃と、肩に食い込む鉤爪の痛みが、同時に走る。


だが、息を整える暇すら与えられない。


次いで、右腕。


先ほどかわしたはずの別の鎖の鉤爪が、籠女の右の二の腕へ深く刺さっていた。


認識が追いつく前に、身体が引き上げられる。

地面が、視界の下へと遠ざかる。


数メートル。

宙吊りにされた身体が、空中で止まる。


傷口から血が滴り、赤い雫が重力に従って落ちていく。

それを見上げ、緋叉欺が楽しそうに嗤った。


「その鉤爪……痛そ〜!」


吊られた身体が、ゆらりと揺れる。

揺れるたび、重力に引かれて鉤爪がさらに肉へ食い込み、痛みが増幅する。


籠女は歯を食いしばり、荒れる呼吸を必死に整えようとした。


その様子を眺めながら、緋叉欺が首を傾ける。


「ねえ、なんで何も喋んないの?

さっきまでの威勢はどうしちゃったの?」


返事はない。

籠女は煽りに乗らず、ただ静かに、この状況を切り崩すための思考を巡らせていた。


舌打ちが、乾いた音で落ちる。


「ねぇ、つまんない……」


その一言と同時に──

籠女に突き立てられた二つの鉤爪が、円を描くように開いた。


───グジュジュッ。


肉を抉る、生々しい感触。


「あぁあ────ッ!!」


声にならない叫びが漏れ、血がぼたぼたとこぼれ落ちる。

緋叉欺は、その様子を愉しむように目を細めた。


「痛い? ねえ痛い?

痛いかって、聞いてんだけど?」


鉤爪は止まらない。

回されるたび、痛覚が思考を削り取っていく。


その小悪魔は、

悪戯めいた笑みを浮かべ、ふと、思いついたように口を開いた。


「……こっから落ちても、死なないよね?」


ただの煽り。

そう思った、その瞬間──籠女が、息を乱したまま口角を上げた。


「……はぁ……はぁ……。

ほんなら……やってみぃや」


血に濡れた唇が、歪む。


「落とすんやったら……早ようやらんと──」


右手の指先が、淡く青緑色の光を放つ。


「──損すんで?」


その言葉に、緋叉欺の眉間がぴくりと歪んだ。


直後──。


───ガコン。


背後で、鈍い金属音。


振り向いた、その瞬間には遅かった。

音の正体は──鳥籠。


緋叉欺が声を上げるより早く、鳥籠から白い手が伸び、口を塞いだ。

次いで、両腕、両脚を容赦なく掴み取る。


身動きが、完全に封じられる。

反射的に鎖を操ろうとするが、応えがない。


──鎖は!?


そこで、ようやく理解した。


伸びきった鎖は──。

まだ、あの女の身体に、深く突き刺さったままだった。


その瞬間。


音もなく、緋叉欺の身体が背後へ引き剝がされる。


抗う間もない。

重心を奪われ、視界が反転した刹那。


───ダァン!!


鈍く、骨に響く衝撃。

背中から、ビルの壁へと叩きつけられた。


肺の空気が一気に吐き出され、息が詰まる。

視界が白く弾け、思考が一拍遅れて追いついた。


その衝撃で鎖の制御が乱れ、

宙吊りにされていた籠女の身体が、重力に引かれて落下を始める。


だが、白い手が即座に伸びた。


落下の軌道を掴み、地面へ叩きつけられる寸前で身体を抱え込む。

衝撃を殺しながら、籠女を静かに着地させる。


緋叉欺は、

詰まった息を無理やり吸い込みながら、ゆっくりと視線を上げた。


そこに映ったのは、籠女。


地に立ちながら、

まるで最初からそうあるべき位置にいたかのように、静かにこちらを見下ろしている。


その視線は、単なる高低差ではない。

状況も、情景も、心理も──すべてにおいて。


完全な、"見下ろし"だった。



──プライドの高さは、譲らない──

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