第三十一話 閻魔様のお通り

灰色の妖気を纏った少女──屍々子ししこは、仰向けに倒れたままの男──美門みかどを見下ろしていた。


妖気が、火花を散らすように弾ける。

低い音を立てながら、屍々子の周囲に溢れ、地を這う。


──なんだ、この感覚。


今まで使ったことのない感覚が芽吹いている。

視覚でも聴覚でもない。嗅覚や触覚とも違う。


それは、五感の外側に滑り込むように存在する感覚──第六感。


初めて触れるはずなのに、戸惑いはなかった。

まるで、ずっと前から身体の奥に仕舞われていたものを、今さら取り出したかのような馴染み。


──アタシが怪異として目覚めた時と、似てる。


"知らない感覚"なのに、使い方が理解わかる。


そして、この感覚が、

現時点で屍々子自身が明確に根拠として示せる事、それは──


相手が偽りの言葉を発しているか否か、瞬時に判断出来る。


これから目の前の男に投げる言葉は、

問いではなく──『真偽しんぎの判決』。


籠女かごめは……どこ行った。言え」


美門は歯を食いしばり、上体を起こす。


ほくの六番街……じゃタワーに向かってる──」


口にした瞬間、目を見開いた。


「──ッ!?」


今のは、事実だ。

隠すつもりだった。吐く気など、欠片もなかった。

それでも──口が、勝手に動いた。


理由は分からない。

思考を飛び越え、理屈を置き去りにして、

本能だけが"正しい答え"を差し出していた。


屍々子は、男の反応を一瞥いちべつする。


「……へぇ」


──嘘じゃないっぽいな。


淡々と、"次の問い"を落とす。


「じゃあ、今回の因喰いんじきを無差別に配るよう指示してんのは阿巳蛇あみだか? 言え」


美門は立ち上がった。

乱れたスーツを払いながら、いつもの軽薄な笑みを作ろうとする。


「さあ……どうだろうね。知ってても教え──」


───バゴォッ!


屍々子の右拳が、美門の顔面を打ち抜いた。

灰光が弾け、空気が一瞬、遅れて破裂する。


手応えが、異様だった。

肉を打った感触ではない。

何かを押し潰し、弾き飛ばしたような反動。


美門の身体が宙を舞う。

音もなく持ち上がり、そのまま十数メートル先へ叩き出され、鈍い音を連ねて転がった。


屍々子は眉をひそめた。


──ん? 今、籠女の場所を聞く時と同じ感覚で聞いたよな?


"二つ目の問い"には、『真偽しんぎ』が載らなかった。



♦︎



まただ。


──この女、僕に何をした。


美門は、理解できなかった。


屍々子の拳が届く直前まで、"視線では"追えていた。

動きも、確かに"見て"いた。


それでも──

次に何をすべきか、その判断だけが、完全に抜け落ちる。

思考が届く前に、結果だけが突きつけられる。


美門は呻き、地面に伏す。


屍々子は、拳を見下ろして小さく首を傾げた。


「ん、殴りずらいな」


そして、後ろ右斜めへ視線を向ける。


美鈴みすずさん。この人を、安全な場所に避難させてほしい」


声は平坦だった。

命令でも、相談でもない。

当然の段取りを告げるだけの口調。


美鈴は無言で頷く。


屍々子は、腕の中にいた女をそっと差し出した。

先ほどまで美門が抱えていた身体だ。


その時、女が屍々子を見上げる。


「あ、あの……」


屍々子は一瞬だけ視線を落とす。

女の頬が、涙で濡れていた。


「ん?」


女は一度、息を吸い込み、深く頭を下げた。


「……ありがとうございました」


屍々子は一瞬だけ目を見開き、それから小さく微笑む。


「ん…」


女の頭にそっと手を置く。

なだめるように、軽く二度ほど撫でた。


その様子を見て、あかねが即座に口を挟む。


「屍々子、その人お前より絶対年上だぞ」


美鈴は女を受け取ると同時に、その場を離れた。

女を守るように抱え、迷いなく駆けていく。


茜は地面に伏す美門へ視線を落とし、屍々子に問いかける。


「さぁて、コイツどうするよ?」


その問いに答える前に、美門が動いた。

立ち上がる動作と同時に、両手から淡い青光が走る。


屍々子は、それを一目で捉える。


「まだ、る気っぽいな……だったら」


ゆっくりと重心を落とす。

いつでも踏み切れる姿勢。両足裏に、静かに空気が圧縮されていく。


「立て直される前に……速攻ブッ飛ばす」


───ビュオンッ!


解放された空気圧が爆ぜ、屍々子の身体が弾丸のように跳ねた。

音速が、美門へ一直線に迫る。


美門は、すでに立っていた。


「……もう──」


低く、冷えた声。


「──女の子扱いは、止めだ」


その眼には、いつもの軽薄さはなかった。


美門は両手の指先を合わせ、糸を手繰るように動かす。

輪を作り、それを押し潰すように、静かに指を重ねた。


その時──

茜には見えた。

空間を縫い尽くす、無数の軌跡。

張り巡らされた"糸"の流れ。


それは、網のように均等。

屍々子の軌道に合わせて、包み込める位置に展開されていた。


茜は、頭に浮かんだ回答を、咄嗟に叫んでいた。


「屍々子!! 出来るだけ左に逸れろ!!」


声が届いた、その刹那。

屍々子は右手で空気圧を解放し、その勢いで進路をわずかに左へ切る。


だが──右腕全体に、冷たい感触が絡みついた。


「……まずッ」


───ブシュァッ。


鋭い音とともに、右腕から指先にかけて細かな裂傷が走った。

血が空中に散り、遅れて激しい痛みが追いつく。


焼けるような激痛が神経を貫いた。


「──ぐっ」


短く息を詰めた声が漏れる。

だが、屍々子の踏み込みは止まらない。

痛みは、己を止める理由にはならない。


その様子を見て、美門は即座に次の手へ移った。


「痛くないの? すごいね」


感心するような声音。

両手の指先が、淡い青に灯る。


そのまま、指と指を静かに合わせた。


不可糸議ふかしぎ挟糸きょうしまい


低く告げられた言葉と同時に、空間が軋んだ。


見えない糸が、すでに屍々子の両側へと展開している。

一本の指から三本ずつ。

指先に絡めるように仕込まれた糸は、合計三十本。


それらが、壁のように、檻のように、左右から迫る。


逃げ道は無い。


「あんまり女の子に、こんなことしたくないけど──」


美門は、わずかに笑った。


「──バラバラになっちゃうかもね」


次の瞬間だった。

左側から迫る糸の軌道へ、三本のナイフが滑り込む。


───バツッ。


乾いた断裂音。

屍々子の足元へ迫っていた三本が、正確に断ち切られた。


───カラカラカランッ。


「……ん?」


ナイフが地面を転がる音。

その不自然な落下音に、屍々子は一瞬だけ意識を引かれる。


背後から、風を切る足音。

屍々子の背を追うように走りながら、茜が叫んだ。


「屍々子!!

そのまま左に──滑り込め!!」


糸は、屍々子には見えない。

だが茜の声は、屍々子の目となる。


屍々子は、迷わず右手のひらを上に向ける。

瞬間、空気圧を解放した。


───ボフッ。


宙に舞っていた身体が、一気に地面へ接近する。

地面すれすれ──そのまま重心を後方へ落とし、勢い殺さず滑り込む。


───ズザザザァッ。


靴底が火花を散らし、迫り来る糸の群れを下からすり抜ける。

地を走り、空気圧を加速に変える。


美門の目が、見開かれた。


「……なに!?」


──この女。どうして迷いなく"それ"が出来たんだ。


糸が見えない状況で、恐れず、躊躇せず、当然のように最短を選び、前に出る。


その事が──美門の胸奥で、本能が鳴る。


それは警戒ではない。

恐怖でもない。


"畏怖"だった。


美門は即座に、糸を手繰り寄せる。

空間を締め、距離を断つ──はずだった。


だが、もう遅い。


"閻魔えんま"は──懐にいた。


屍々子の拳が、振りかぶられる。

狙いは腹部。

逃げ場も、受けもない位置。


──判決はんけつとき。──


「どけろ────閻魔様の──」


灰光が唸り、拳の空気が圧縮──そして──


解放した。


「──お通りだ……」


───ッ──ドゴォ!!!


衝撃が、爆発のように弾けた。


───ズガン!


美門の身体が宙を舞い、背後の建物へと叩き込まれる。

外壁が砕け、窓枠が潰れ、コンクリートが悲鳴を上げた。


開いた穴の奥から聞こえるのは──

ぱらぱら、と遅れて落ちてくる破片の音だけだった。


その瞬間、屍々子の全身を包んでいた灰色の妖気が、ふっと霧散する。

自分の意思ではない。


気づけば、閉じられていた。

まるで、"許されていた時間が尽きた"かのように。


静まり返った空気の中で、屍々子はふと眉をひそめる。

先ほど、自分の口からこぼれた言葉を思い出して。


「……閻魔様? なんだそりゃ」




──自覚なし──

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