第二十話 扉を開けろ

がい南区なんく・六番街。


───タンッ。


住宅地の地面を蹴る音が、一定の間隔で重なる。


屍々子は息を切らしながら走っていた。


「……はっ……はぁ……」

 

どれだけ走ったのか、正確な距離は分からない。

それでも、脚はまだ前へ出る。呼吸も崩れきってはいない。


右を見る。


籠女が、隣で同じ速度のまま並走していた。


それなりに距離は稼いだはずなのに、その表情は普段とほとんど変わらない。

呼吸も乱れず、肩の上下もない。


──籠女、全然息上がってないじゃん。


そう思った矢先だった。


籠女が、ふっと顔を寄せてくる。

走りながら、覗き込むように。


しかもその表情が──にこやかで、あからさまに余裕がある。

どう見ても、煽りの顔だ。


──コイツ。


屍々子は眉間に力を入れた


「その顔やめろ! 五分に一回その顔でこっち見んな!」

 

言われて、籠女は一度だけ前を向く。が──また顔を覗き込んでくる。

 

「おいコラ。だからやめ……って、フェイントすんな! おい!」

 

籠女は満足そうに前を向いた。


「なかなかええやん。正直、もっと体力ないか思うとったわ」


屍々子は前を向いたまま、息を整えつつ返す。


「体力だけは、めっちゃ自信ある」


その言葉に、籠女が少しだけ眉を上げた。


「ほう。ほんなら、今から課題与えるわ」


「……課題?」


屍々子がちらりと籠女を見る。


「屍々子。走っとるままな? そのまま両足から妖気出してみ」


籠女の視線は前方を捉えたまま、言葉だけが続く。


「順番に片足ずつや無うて、"同時"に両足にやで?」


「いいんだな? 人目につくかもしれないけど」


屍々子がそう返すと、籠女は即座に頷いた。


「ええで」


声は軽いが、その奥は硬い。


「昨日、因喰いんじきが狙われとる以上な。ウチがおらん時に飛び火して、アンタが死ぬんは嫌やからな」


「それに……姉ちゃんに、いずれ会うんやろ?」


籠女の口元が、わずかに緩んだ。


「アンタが"この世界で最強"になったらな。

白い妖気くらい、そこらへんで出し放題や」


その言葉を受けて、屍々子は小さく息を吐き、口角を上げる。


──地元では"鬼"。この世界では最強か。



「任せとけって」



屍々子は意識を沈めていく。両脚へ。さらに、その先へ。


膝に、妖力の熱が灯る。

走る速度は落とさない。呼吸も、崩さない。


妖力の流れを止めず、戻さず、そのまま前へ押し出す。


籠女は何も口を挟まない。

横で走りながら、ただ様子を見ている。


──屍々子。足はな、"ちょっと"ムズいからな。頑張りぃや。


屍々子は違和感を覚える。


──なんだ、これ。

膝下から、妖力を流す"要領"がわかんねぇっ!


意識を送っているはずなのに、先へ進まない。

焦りが、わずかに表情に滲む。


籠女はその焦りに気づき、声を投げる。


「焦らんでええ。

今、自分が"どこ"に妖力を流したいんか、ちゃんと考えや」


屍々子は何とか膝に妖力をとどめ込む。


「どこって、それは……足」


籠女は即座に返す。


「足の、どこや?」


「指先か? それとも裏か?」


「妖力を足に流して、どうしたいんや?

初めて右手から妖気を出した時、どうやったか思い出してみぃ」


屍々子は思考を巡らせる。


──初めて妖気を出した時……。


その時は、咄嗟だった。

身動きが取れない状況で、でも右手には最初から妖力の熱があって、それを。


──それを?


得体の知れないモノだったから、正体は分からなかったけど、

何でもいいから"起点"になる気がして。


一旦、"ソレ"を外に出してみたかった。


なんだか、知らない"扉をぶち破る"ような──そんな考え。


起点。そして、扉を破る。


頭の中で、言葉にならない感覚が、ゆっくり形を持ちはじめる。


──膝に妖力を溜め込んでるっていう状況では、あの時の右手も一応同じだから……。


扉があるという時点では、

留まっている場所はどこであろうと関係ない。


だったら──



また、扉をこじ開ければいい。"そこを起点に"



屍々子は、膝から下へ意識を押し込む。


──アタシが開けたい扉は"ここ"だけじゃない。

この先の扉も、その先も──


"熱"が、両膝から足の指先まで徐々に巡り始めた。


──本当に開けたい扉は……一番最後の扉!


その瞬間───ボボンッ。


視界が、わずかに浮いた。


驚きが、二人の喉から同時に漏れた。


「「……え?」」


屍々子の両足の裏から、空気圧が弾けたのだ。


身体がふわりと浮き、制御を失って前へ崩れる。

視界いっぱいに、地面が迫る。


───ぼふっ。


衝撃は来なかった。


代わりに、正面から受け止められる感触。


籠女が屍々子を抱きとめたまま、勢いに負けてそのまま尻から地面へ落ちた。


「ケツ痛ったああ!」


叫び声が、通りに響く。


前から抱え込む形になったまま、籠女は顔をしかめている。

走っていたせいで上がった体温が、そのまま屍々子の頬に伝わってきた。


周囲を歩いていた人たちが、何事かと視線を向ける。


屍々子は慌てて顔を上げた。


「ごめん、籠女。大丈夫?」


籠女は尻を押さえ、明らかに痛そうな表情を浮かべる。


「アカン……。ケツ、二つに割れた」


屍々子は、突っ込まなかった。


「……それは大変だね」


籠女はその返しに目を細める。


「屍々子。それ、赤点やぞ?」


屍々子は鼻を鳴らした。


「言っとくけどな。アタシ、こう見えて赤点取ったことないからな?」


そう言い放ちながら、屍々子は立ち上がった。

そのまま籠女の手を掴み、引き上げる。

二人は並んで体勢を整えた。


「ん……?」


屍々子は、ふと頭上に違和感を覚えて顔を上げる。


電柱の上。

そこから、三つの眼球を持つ黒い鳥が、じっとこちらを見下ろしていた。


「籠女。怪異界の鳥ってさ……ビジュアルすごくない? 目ぇ三つあるんだけど」


籠女は眉をひそめる。


「目が三つ? そない不気味なん、どこに──」


言いかけて、視線を屍々子とは逆の方向へ向けた。

そこにも、同じ黒い鳥が電柱の上に止まっている。


「……ホンマやな。初めて見るわ」


間を置いて、吐き捨てるように続けた。


「ブッサイクやなぁ……」


その直後だった。


一羽、また一羽と、鳥が増えていく。

電柱の上。建物の縁。看板の影。

視界に入るあらゆる高所へ、黒い影が次々と降り立っていく。


屍々子は、周囲を見回しながら口にした。


「……この鳥、アタシら囲んでない?」


言葉通りだった。

逃げ道を塞ぐように、頭上が黒で埋め尽くされていく。


そして、


「ウポポポポポポポッ!!」


一斉に、鳴いた。


次の瞬間──


キィン。


意味を理解するより先に、耳の奥を貫くような衝撃が走った。

深く、重い耳鳴りが、音という音を塗り潰す。


──アカン。なんも、聞こえへん。


視界が揺らぐ。足元が定まらない。


二人は反射的に耳を塞いだが、鳴り止む気配はない。

耳鳴りが、頭の中で暴れ続ける。


周囲にいた人々は、次々とその場に崩れ落ちていった。

呻き声すら上げられず、ただ地面に伏し、身動きが取れなくなっていく。


黒い鳥は鳴き止まない。


屍々子は、耳を塞いだまま足元へ意識を落とした。

両足に伝わる地面の小さな振動を、直感で感じたからだ。

揺れた感じはしなかった。


でも、"確かに揺れた"。


──誰かが、跳んだ振動ッ。


瞬時に視線を巡らせる。前も、左右も、背後も。

どこにも、それらしい気配はない。


"その答え"は、上だった。


視線を跳ね上げた瞬間、拳を構えた男の影が、真上から落ちてくる。


──マジかよッ!


反射的に籠女を抱き寄せ、後方へ跳ぶ。


その直後、───ドァンッ!!


鈍く重い衝撃が走り、アスファルトが抉れた。

男の拳が、そのまま地面に突き刺さっている。


二人は体勢を崩すことなく着地し、距離を取った。


男は、ゆっくりと身を起こす


盛り上がった筋肉が皮膚の下で軋み、むき出しの上半身には無駄な贅肉が一切ない。


淡い紫のモヒカンが揺れ、黒の瞳が威圧する。

背中には白蛇がとぐろを巻く刺青。

赤いズボンに、黒いブーツ。

ただ地面を踏みしめるだけで、存在感が滲み出ていた。


男は首を鳴らし、苛立ったように空を仰いだ。


「うぉおおおい無兎むとぉ! この鳥うるせーから止めてくれっかよ!」


その声が落ちた途端、黒い鳥たちの鳴き声が、嘘のように消えた。


静寂が戻る。


直後、上方から淡々とした声が降ってくる。


「……ウポーたちは、うるさくないよ」


屍々子たちの右──約二十メートル先の建物の屋上。

その縁に立つ男が、二人を見下ろしていた。


かぶらの声の方が、ずっと響く」


金髪の前髪が目元にかかる。肌は白く、黒い瞳が静かに光る。

真っ白な学ランの背には、同じく白蛇がとぐろを巻く図。

赤いローファーが、縁を無造作に踏んでいた。


無兎は、感情の読めない目で、屍々子と籠女を見下ろしていた。


「ねぇ、君たち。

零百れいももが回収するはずだった因喰いんじきを、どうして持ってるのかな?」


無兎は、静かに笑った。

感情の読めない、薄い笑み。


「大丈夫。怒ったりしないよ」


次の瞬間、右目の奥で緑の妖気が、ふっと灯る。


「……だから、正直に答えて?」


柔らかな声とは裏腹に、視線だけが逃げ場を塞ぐ。


その問いに、屍々子と籠女は同時に顔を上げた。




「「……だっる」」



──怯みは、皆無──





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