第十四話 戦いの余韻

千手白手せんじゅはくしゅ阿頼耶あらや十識じゅっしきの力によって、れいに勝利を収めた籠女かごめ


だが、勝利の余韻は、痛みと妖力の激しい消耗に押し潰されるほど重く、身体は限界に近かった。


 

「……はっ……はぁ……」

 

耳に届くのは、籠女自身の荒い息遣いと、夜の静寂だけ。

 

零の妖気の気配は、すでに消えていた。

それを肌で確かめた籠女は、倒れそうになる身体を必死に支える。背後の鳥籠には目を向けず、右手をそっと添えた。

 

その微かな動きに呼応するかのように、白い手は静かに鳥籠へと戻っていく。

鳥籠は青緑の光を一瞬放ち、籠女の手のひらへ収まった。

 

それと同時に、籠女の膝が崩れ落ちる。

 

地面に触れる寸前、背中からふわりと支えられた。

 

「……危ないって」

 

声の主は屍々子ししこだった。

籠女をしっかりと抱き寄せ、背中から支えている。

屍々子はすぐに籠女の肩に右腕を回し、倒れないようそっと組み込んだ。

 

籠女は小さく笑い、声を漏らす。


「誰も、まだ動いてええなんて……言うとらんで」

 

「なんだ、元気そうじゃん」

 

「……ふふ。アンタより、百倍元気やわ」

 

屍々子は籠女の肩を支えたまま、ふと足元の影に気づいた。

砂の上に、ヘアゴムと因喰いんじきが落ちている。

 

「……籠女、ごめん。ちょっとしゃがむね」

 

屍々子は、籠女の肩を支えたまま身を落とす。

砂の上に転がる二つを拾い上げ、立ち上がりざまに籠女の左手へそっと戻した。

 

籠女はその重みを確かめるように視線を落とし、ぽつりと呟いた。


「……聞かんのやね。ウチが神社で"これ"を回収した理由」

 

その声には、隠し事を続けることを諦めたような、かすかな影が滲んでいた。

 

屍々子は一瞬だけ黙り込み、それからふっと息をつくように口を開いた。

 

「鍋食う時、聞くわ」

 

あまりの調子に、籠女は思わず固まる。

 

「……は?」

 

間の抜けた声が、思わず口からこぼれた。

 

屍々子は気に留める様子もなく、淡々と続ける。

 

「アタシ、決めたんだ。……自分の行動は、自分の在り方で決めるって」

 

そして、少しだけ息を整えてから言葉を結んだ。

 

「だから、鍋食う時に聞く。

 ……それがアタシ。それが屍々子ちゃん」

 

その声は、ふざけた調子でも、気を遣ったものでもなかった。

ただまっすぐに、自分の芯だけを籠女へ届けようとする声音だった。

 

籠女はふっと笑う。


「肴にしては重いで? この話は」

 

「で、──」

 

屍々子は言葉を切り替えるように、視線だけを零へ滑らせた。

 

「──コイツどうすんの?」

 

籠女はわずかに息を整え、低く答えた。


「……このまま見逃せば、またこの因喰が狙われる。ほんで……」

 

言葉はそこで途切れた。

 

屍々子は横目で籠女をうかがい、短く促した。

 

「ほんで?」

 

籠女は視線を伏せる。

迷いの輪郭が、その角度に滲んだ。

 

「……絶対アンタに飛び火するわな……って」

 

風が通り、夜気が揺れる。

屍々子は長く息を吐き、空を見上げた。

 

「慣れてる」

 

籠女は視線を落としたまま、ぼそりと言った。


「あぁ、そうなん。慣れてる──」

 

言葉のあと、わずかな間。籠女は屍々子へ視線を向けた。

 

「──ん? 慣れてる?」

 

屍々子はゆっくりと籠女に顔を向けた。

まるで日常の一部。そんな声色。

 

「うん。慣れてる。そういうのは──」

 

言って、口元だけを少し緩める。

笑いというより、癖に近いもの。

 

「──人間の頃から」

 

籠女はその表情を目で追い、小さく口角を上げた。

 

「……ウチの杞憂やったな」

 

言い終えると同時に、倒れた零へ視線を向けた。


「……まぁ、でも。ここでトドメ刺しても遅かれ早かれやな」

 

言葉とともに、手にした因喰へと眼差しが落ちる。

 

「それにな。理由は知らんけど、ウチがこの因喰持っとるの……バレとった」

 

わずかな沈黙が落ちる。

そして、屍々子が口を開いた。

 

「じゃあさ、コイツに聞いてみる?」

 

声だけ聞けば、ただの提案。

だが、気絶したままの零を前に、平然と放たれるその言い草は、発想というより暴挙に近い。

 

籠女は屍々子に顔を向け、目を細める。

呆れと少しの敬意が混じり合い、言葉になる。

 

「……アンタな。肝の据わり方、いったいどないなっとんねん。だいたいな、屍々子──」

 

その時、前方から掠れた呼吸が砂をこするように漏れた。

 

「……ぐ、げほッ……げほ」

 

零が、意識を微かに取り戻していた。

 

屍々子と籠女は、同じ瞬間に顔を見合わせた。


・・・。


 その短い沈黙の間に二人が導いた結論は、何故か一致してしまった。

 

次の瞬間、地面を蹴る鋭い音が夜気を裂いた。

 

───ダッ。

 

零までは走ればすぐの距離。

屍々子と籠女は、肩を支え合ったまま、半ば転ぶような勢いで駆けだした。

 

「「うおおおおおおっ!」」


まさかの──阿吽の呼吸。

示し合わせたわけでもない。

ただ、二人の動きは完璧に重なった。

 

屍々子は右足を、籠女は左足を軸にして体重を溜め、足を背後へ大きく振りかぶった。

 

蹴りが迫る瞬間、零は反射的に上体を起こした。

 

「……え?」

 

───ドンッ。

 

二人の蹴りが、同時に零の上半身を撃ち抜いた。

 

反動で、二人の身体が自然と離れる。


零の身体はふわりと宙をかすめ、そのまま力なくうつ伏せに落ちる。


砂が小さく跳ね、静寂が戻った。

零は、再び気を失っていた。


短い沈黙が落ちる。

屍々子と籠女は、どちらからともなく顔を見合わせた。


「「……やっちまった」」


最初に声を荒げたのは籠女だった。


「屍々子! アンタ何やっとんねん!

こんなんやったら、何も聞き出されへんやろが!」


「はぁ? 籠女もノリノリで蹴ってたろ!」


言い返され、籠女はじろりと目を細める。


「ウチの足は……当たっとらん」


「ウソつけ」


言い返す屍々子をよそに、籠女は鼻を鳴らした。


「フッ。これやと、コイツからは何も聞けんなぁ」


屍々子が横目で見下ろしながら言う。


「てか籠女、もう一人で歩けんのか?」


「お陰様でもう大丈──」


言いかけた言葉が、ふっと途切れた。

籠女の視線が、うつ伏せに倒れた零のワンピースへ吸い寄せられる。


白蛇のイラスト──その瞳。


──この蛇の目、どこかで。


胸の奥に、乾いた棘のような違和感だけが残った。


屍々子が眉を寄せ、横から覗き込む。


「ん……? どした?」


籠女は返事もせず、身をかがめてその絵柄の瞳を凝視した。

そして、押し出すような小ささで名をこぼす。


「……阿巳蛇あみだ


屍々子が怪訝そうに聞き返した。


「あみだ……?」


籠女は視線を外さないまま答える。


「昔の知り合いや」


ふーっと長い息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。

その吐息には、いつもの軽口では誤魔化せない重さが滲んでいた。


「……ホンマに厄介なんに、目ぇ付けられたな」


そう呟いた途端、籠女の表情がすっと引き締まった。

左手のヘアゴムを口に咥え、髪をざばっと払う。


右手の鳥籠を軽く持ち上げ、そこから伸びる紐を両手でつまんで首の後ろへ回し、籠女は静かに屍々子へ向き直った。


「屍々子……家帰るで」


ヘアゴム越しのくぐもった声だったが、さっきまでの茶目っ気は消えていた。


屍々子は倒れている零へ目を落としながら尋ねる。


「コイツはそのまま?」


籠女は鳥籠を付け終え、咥えていたヘアゴムを指で抜いた。


「ほっとき。今回に関しては、殺してまう方が面倒や」


籠女は指先で器用に髪をまとめはじめた。

疲労の色を残したまま、それでも動きは迷いなく、確かだ。


「……家帰って、鍋食って、寝て──」


結び終えたポニーテールが、高くひとつに揺れる。

その揺れはどこか、覚悟の合図みたいに見えた。


「──特訓や」


低く落とされた声が、夜気の底に静かに沈んでいった。


籠女はそのまま歩き出し、肩越しに言葉を置く。


「色のことも、因喰のことも……ウチが分かる範囲で全部教えたる」


五、六歩ほど進んだところで、籠女はふいに立ち止まり、振り返る。


「……屍々子、やっぱり……身体、痛なってきたわ」


その力の抜けた告白に、屍々子は小さく息をついた。


「なに。……おんぶでもしたらいい?」


籠女は照れ隠しのように微笑み、こくりと頷く。


「……うん」


ついさっきまで張りつめていた空気は、いつの間にかふわりとほどけていた。


「あ、屍々子……。因喰しまい忘れとったからちょい待ってな──ちょ、待てって屍々子!」



夜は深く。


深く。



──屍々子と籠女が去った二十分後。──




───ビシャァ。


夜気の底で、血の落ちる音だけが妙に鮮明に響いた。


「が……っ、かは……ぁ」


零は、膝から崩れ落ちていた。

腹部は深々と裂け、血が土と混じり、暗い泥をつくっていく。


周囲には、短い時間に激しい攻防があった痕が散っていた。


踏み荒らされた草、抉れた地面、零の手跡が引きずるように残る。

彼が必死に抵抗したことだけは、その乱雑な軌跡から容易に読み取れた。


両手に巻かれていた包帯は、すでに役目を失ったように足元へ乱雑に落ち、

露出した指先は震えながら、まだ"何か"へすがろうと空を掻く。


「お前……ぼ、僕に……こんな……事して……お母さ──」


───グシュッ。


刃が額へ吸い込まれるように突き立ち、零の声が途切れた。


その刃を握る女は、殺したという事実すら興味の外という風に、淡々と言葉を落とす。


「ミズト様……"コレ"は、因喰を持っておりませんでした」


夜気の中に立つ影は、彼女ひとり。


次の瞬間、零の身体は音もなく細かな塵へと崩れ、そこにいた気配ごと、跡形もなく消えた。


地面へ、包帯だけを残して。



──愛情を、教わらないまま──

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