第六話 因喰
籠女は男の方へと右手をかざした。
その手に、青緑色の妖気が広がる。
その時、男の身体から叫び声が漏れた。
「ギャギャァ……ッ!! ギィィィ……ガァッ!!」
その咆哮に、屍々子と籠女は咄嗟に身構える。
男の身体から滲み出した黄色い妖気が、
まるで意思を持ったかのように凄まじい速さで男の全身を取り巻き、禍々しい螺旋を描きながら渦巻き始める。
次の瞬間、男の背中が肉を裂く濁った音とともに盛り上がり、四本の腕が内側から皮膚を押し破って飛び出す。
「アカン!
籠女は、男を押さえる白い手とは別に、鳥籠からさらに幾本もの白い手を解き放ち男へと走らせた。
白い手が届くよりも速く、背中から飛び出した四本の腕が獰猛に伸びる。
男の身体を拘束していた白い手を掴み、捻りちぎった。
ちぎられた白い手は、塵のように空間へ溶けていく。
その刹那──
残りの白い手が、波のように男へ殺到する。
だが四本の腕は、不気味に蠢き、まるで互いに意思を持つように絡み合い始めた。
ギリギリと骨の擦れるような乾いた音を立てながら、腕同士がきつく締まり、歪な麻縄のように収束していく。
───ザァンッ!
収束した四本の腕が一気に解かれた。
その反動で、男の身体が後方へ高く跳ね飛び、迫り来る白い手を躱した。
籠女の顔にわずかな緊張が宿り、瞳が細く揺れた。
「……ホンマやっかいやな」
男の身体が空中でひとつ揺れ、四本の腕が蜘蛛の脚のようにぱきりと開き、地面へ着地する。
着地地点は、ざっと十メートル先。
地面を突く鈍い音と共に砂塵が舞い上がる。
四本の腕は指先で大地を捉える。
節足の脚のように、男の体重を支柱のごとく受け止めた。
屍々子は、男の姿に思わず息を呑んだ。
「なに……これ」
屍々子の隣で、籠女は男を見据える。
「
簡単に言うと、ドーピングの一番悪い効果が現れた状況やね」
屍々子は左上に目を泳がせ、言葉を頭の中で転がすように一瞬だけ黙り込む。
そして、すぐに男へ視線を戻した。
「……言ってる事さ、全っ然わかんね。
けど、アイツをもう一回ブッ飛ばせるって事は理解した」
その言葉に重なるように、
男の両腕が、地面を抉る勢いで振りかぶられた。
空気が裂け、砂が弾け飛んだ。
籠女は、迫る殺気を視界の端で受け止めながら、屍々子にだけ柔らかく笑った。
「はなまる大正解やん。ご褒美にアイス
男の咆哮と同時に、振り下ろされる腕が影の斬撃になって二人へ迫る。
「どうやら獣さん、待つ気まったくあらへんみたいやね──」
籠女の瞳が尖る。
「──来るで」
屍々子は一歩前へ踏み込む。身体をひねり、男の右腕をかわす。
その勢いが足へ移る。
屍々子の身体が、男へ向かって一気に加速した。
その直後、籠女の隣の鳥籠から白い手が三本、鋭く突き出た。
三本の手は空中で絡み合い、一つの束となる。
鞭のようにしなり、迫りくる男の左腕を横から弾き飛ばした。
籠女は一切表情を変えぬまま、軽く顎を上げた。
「ウチとお手々勝負するんやったら、もっと本気で来た方ええんちゃう?」
次の瞬間、籠女の眉間に細い皺が一本刻まれる。声色は底へ沈むように低くなった。
「それにな。さっき白い手さんがアンタにちぎられてから、ウチ、むっちゃ腹立っとんねん──」
鳥籠の格子にまとわりつく妖気が、ふつり、と音もなく膨張する。
白い手が格子の隙間で蠢き、青緑の妖気が夜気を震わせる。
殺気が、顔を出した。
「──お返ししたる」
籠女の殺気が通り風のように境内を撫で、残心だけを置き去りにする。
鳥籠から白い手が十数本、その気配をなぞるように男へと走った。
その時、屍々子は一気に踏み込み、男との間合いを奪った。
拳が届く。その一点に、視界も呼吸も収束する。
男の右腕が縮み始めている。骨が折り畳まれるような、濁った音。その動きは、既に遅かった。
───キュゥゥゥン。
屍々子の右の拳に、空気が渦を巻く。
白い妖気が荒く尖る。
「爆ぜろ!」
圧縮された空気の解放。
───ボンッ。
破裂音とともに、拳は空気を断ち、音速に跳ね上がる。
真芯を捉えた一撃が、男の腹に沈んだ。
「グギャァア!」
叫びの途中、男の背から伸びた腕の一本が屍々子へ迫る。速い一撃。
だが、その一撃は屍々子には届かない。
白い手がひとつ、その腕を獲物の首を折るように掴んでいたのだ。
そのままその腕を身体ごと引き寄せた。
ぐらりと、男の体勢が歪む。
次の刹那、背中の残り三本の腕も、それぞれ別の白い手に捉えられた。
「これでは動けへんなぁ、獣さん」
屍々子は即座にその"隙"に対応する。
拳を放った余勢を軸足へ流し、腰を切る。
身体を半月のようにひらりと回し、左足が、弧を描いた。
屍々子の回し蹴りが、男の顔面を正確に撃ち抜く。
「グゥアッ!」
衝撃で、男の身体がふわりと浮く。
籠女はそのタイミングを見逃さない。
──今や。
四本の白い手は、そのまま男の背中の腕を掴んだまま、容赦なく一気に上へ振り上げる。
その動きの合間に籠女は、前方へいる屍々子へ視線を向け、低く落ち着いた声で言った。
「屍々子ちゃん。悪いけど、ちょっと離れとってな」
その声には、戦場の殺気に飲まれることのない、まるで静かな湖面のような冷静さがあった。
鳥籠から伸びていた残り十本の白い手が、
男の背骨を
絡まり合い、
吸い寄せられ、
"束"というより、"殺意の柱"として成される塊。
籠女の声が夜に冷たく落ちる。
「なぁ獣さん? 白い手さんの気持ち、受け取ってや」
その殺意が、男の背中ごと振り下ろされた。
───ブチンッ。
空中で、男の背から生えた四本の腕が、根元から千切れた。
白い手の塊ごと、男の身体が地に叩きつけられた。
抵抗の余地すら与えられぬまま、完全に押し潰されるように。
空気がたわみ、鈍い衝撃音が境内を揺らす。
直前まで境内を荒らしていた暴力的な気配が、そこで唐突に途切れる。
四本の白い手たちは、男のちぎれた腕を掴んだまま空中で静止していた。
ちぎれた腕の断面から溢れた血が、重力に従ってゆっくりと滴る。
赤い軌跡は白い指に触れ、細い筋となって滑り落ちた。
だが、白い手たちはまるで彫像のように静止していた。
揺らぎさえ見せず、ただ"仕留めた後の静寂"だけをその場に残している。
動きを失った腕だけが、風のない夜に不自然なほど鮮やかに晒されていた。
男の身体は、先ほどちぎれた白い手と同じように、静かに塵へと変わり始めた。
崩れ落ちるたび、夜の空気に淡い揺らぎが生まれる。
鳥籠から伸びていた白い手は、仕事を終えた掃除機の電源コードのように、音もなく鳥籠へ戻っていく。
その動きは機械めいているのに、妙に生き物じみていた。
籠女は塵と化す男を見つめる。屍々子もまた、隣で同じ光景を目にしていた。
ぽつり、籠女の声が夜に溶けた。
「怪異はな、死んだらこうして消えるんよ。
"普通は"、やけど」
一拍おいて、横目で屍々子を見る。
「せやから……屍々子ちゃん。
アンタが死んだって言われてもピンと
屍々子は右の手のひらを見つめる。
白い妖気が、たゆたう湯気のように立ちのぼる。
「アタシの方こそわかんねぇよ。
殺されたと思ったら、気づけばわけのわかんない化けもんと戦っててさ」
深く息を吐いた、その直後だった。
───カラン。
境内の石畳に、何か硬いものが落ちた音が響いた。
屍々子の足元に転がっていたのは、黄色い金属製のカプセル状の物体。
月明かりを受け、鈍く光るその姿に、思わず目を止める。
「何だこれ?」
籠女がそれを拾い上げた。視線が鋭くなる。
「……
さっきの男が暴走したんはコレのせいや」
屍々子は、ジトっと籠女を見る。
その視線に、籠女は気づくのが一瞬遅れた。
「ん? どうしたん?」
「だからさ、言ってること全然わかんないんだってば」
籠女は、気まずそうに目を細めて笑った。
「あぁ、そやったな! ごめんなぁ!」
ふっと、境内の空気が軽くなる。
先ほどまでの殺気が嘘のように、夜の気温だけが静かに戻ってきた。
「さて、と」
籠女は小さく息を整え、髪を結んでいるヘアゴムへと因喰を近づけた。 すると、そのヘアゴムから白いものがぬっと突き出る。
白い手だ。
手のひらほどの大きさだが、白い手は因喰を器用に掴み、そのまま音もなくヘアゴムの中へと吸い込まれるように戻っていった。
屍々子は瞬きを忘れたまま、その光景を追う。
「……その手、そこからも出るんだ」
籠女は得意げな笑みを浮かべた。
「可愛いやろ? ウチのおててたち」
冗談めかした声が夜気に溶け、次の瞬間には刃物を拭ったあとのように静かな空気が降りた。
籠女はわずかに表情を引き締め、夜の色を含んだ声で続けた。
「ほんなら……アンタが知らんこと、ウチが知っとる範囲で教えたるわ」
屍々子の胸の奥で、知らぬ恐怖と好奇心が、ゆっくり絡み合う。
──次の道へと、進む──
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