第四話 少女屍々子は、白妖につき
──なんだ、これ?
それは、
その手を見つめる屍々子は、怪異となってまだ間もない。
「テメェ……がふッ……マジで異質かよ」
その声に屍々子は顔を上げる。
境内の向こう、倒れ伏していた男がよろよろと身体を起こしていた。
口の端から血を垂らし、片膝を地につきながらこちらを睨んでいる。
屍々子がさっき放った拳。あれは確かに人を殺せる威力だった。
その手応えがまだ腕の奥に残っている。
なのに、男は立ち上がる。
折れた獣のように息を引きずり、
それでもなお、彼女を殺す意志だけは濁っていなかった。
屍々子は男を見つめ、少し気怠そうに目を細めた。
「……あんなん食らって立つのもヤバいわ」
男は口元に滲んだ血を乱暴に手の甲で拭い取る。
その仕草に、苛立ちが露骨に滲んでいる。
「おい女ァ……さっきから何なんだテメェはよ!」
低く唸るような声で吐き捨てると、男はギリッと奥歯を鳴らした。
「……妖気が白いままなんざ……ありえねぇだろ!」
屍々子が眉をひそめる。
「は……? ようき?」
その言葉の意味がまったく理解できず、ただの異物のように宙に浮かんでいた。
男は舌打ちを鳴らした。
その直後だった。
男の全身から、ぶわり、と黄色い"妖気"が噴き上がった。
「俺が……」
男の声が低く震える。
「俺が、こんな"色"すら理解してねぇガキに……ぶっ飛ばされたってのかよ…!」
悔辱に噛みつぶした声が、地を踏むたびに圧をばら撒く。
黄色の妖気が、男の身体の輪郭をゆっくりと歪ませていく。
その揺らぎは怒気と混じり、刃物にも似た形で空気を裂いた。
「ふざけやがって!」
妖気が男に纏う、その瞬間──
男の姿が掻き消えた。圧だけが残る。
男の姿は見えないが、──確実にいる。
───ざり。
砂利の上、微かな足音。
男の声が境内のどこからともなく響いた。
「俺の姿が見えなくて怖ぇよなぁ? 逃げ出してぇよなぁ?──」
声は木陰に溶け、柱の影に滲み、風の裏側からひっそりと現れては消える。
境内そのものが嘲笑っているようだった。
「──これからテメェを思う存分痛めつけて、さっきテメェが死んだ時と同じやり方で殺してやっからよぉ!」
屍々子の眉がぴくりと動く。
──さっき、アタシが死んだとき?
「……そういうことね」
「首掴まれる前に、声だけして姿がなかったのって……これのせいか」
男は喉の奥を鳴らして嗤った。
「ケケッ! ご名答…。今更俺の能力知ったところでテメェに勝ち目なんざ無ぇから特別に教えてやるよ」
「俺の能力は『
「俺は恩をしっかり返すからよぉ、今テメェにぶっ飛ばされたお礼をしなきゃだよなぁ!」
その時、風を切る音が聞こえた。
───ビュンッ。
左、右、後ろ、と音が流れる。
男は腕の伸縮を利用し、境内の建物や樹木を掴む。
そのまま腕を縮め、身体を移動させる。
屍々子は目線を動かしながら耳を澄まし、男の音を探る。
──右。
「どうした? 女ァ──」
──後ろ。
「──立ち止まってっと──」
──左。
「──すぐに殺されちまうぞ?」
風を切る音が徐々に屍々子へ近づく。
男が左手の指先を立て、構えた。
屍々子の背後から約二メートル以内。男が、屍々子へ接近する。
──後ろから、来るッ!
屍々子は、男が背後から接近している事に、直感的にでは無く感覚で察知した。
張り巡らせた蜘蛛の糸に、ふいに誰かが指先で触れたような、微細で確かな感覚。
屍々子の身体は反射よりも早く右へ跳ねていた。
迫った一撃は、空を裂く音だけを残して通り過ぎる。
──なに!? この女、避けやがっただと!
男はそのまま屍々子を通りすぎる。
その一瞬。 屍々子の視界に、何かが揺れた。
男が通り抜ける軌跡とぴたり重なる、淡い"形"。
光でも影でもない。空気が、そこだけ人の輪郭を象ったように揺いでいた。
「何? 今の」
男の姿がハッキリと、直接見えたわけではない。
──男の姿を型取った"空気"が見えた。
男はすぐに軌道を変え、闇に溶け込んだまま再び距離を詰めてくる。
──あの女、さっきのは何だ? 何故俺が後ろから近づいたのがわかった?
──俺の姿が見えるわけねぇ! 偶然に決まってる!
左の闇が裂けた。 ひゅ、と短い風の音。
屍々子の左二メートルの圏内に、空気の密度がわずかに揺らぐ。
──来た……左ッ!
屍々子の身体が反射的に動く。
腰をひねり、後方へ滑るように退く。
──なッ! また避けやがっただと!?
男の指先が空を裂いた。
屍々子の髪が僅かに揺れ、風だけが通り抜ける。
男はそのまま屍々子の正面をかすめ、距離を取って着地した。
──クソッ! これ以上はあんまり時間を掛けられねぇ……妖力が尽きちまう。
一体何なんだあの女! 何が見えてんだ!
男は歯噛みしながら、境内の視界の死角、本殿脇の闇に身を滑らせた。
屍々子から十メートル、月光の届かない隅に潜り込む。
『同化』を解除し、姿を現す。
「まぁいい……」
低く吐かれた声は、余裕ではなく計算の色を帯びていた。
「この距離なら俺の攻撃だけが一方的に届く。
それに、女がいる場所からは俺の姿も見えねぇ」
口元が吊り上がる。
「ケケケッ。少し休んだら、次は一気に畳みかけてやるよ」
屍々子は確信した。
──アタシの前を通った影。
男の形をした空気が、──やっぱり、見えた。
「もしかしてさ……」
屍々子は、ふと思いついた様に右手を前に真っ直ぐ突き出し、指を広げた。
──あぁ、そういう感じか。
おそらく体感で半径十五メートル以内。
手に取るように分かる。
屍々子の手のひらに伝わる境内の空気の流れ。淀み。そして──
男の位置。
「見ぃつけた!!」
その言葉に、男が一歩下がる。
──見つけただと!? ハッタリに決まってる!
大丈夫だ……俺がいる場所が"わかる"ハズねぇ!
屍々子の右手から、白い妖気がほとばしった。
境内の空気が震え、アッシュの髪が風に靡く。
──あ、なんか技の名前必要?
・・・、
屍々子は深く息を吸い込み、指先に力を集中させる。
「圧縮!!」
その瞬間──右側、男の耳元でキュルキュルと空気が圧縮され始める。
──っ!? 何だこの音!
男が振り向いた先に、直径十五センチほどの渦。
歪で、荒く、形を定めない"圧"が浮かんでいた。
「マジで俺の場所がわかってたのか!? あの女、何しやがった!」
男が身を引き、距離を取ろうとした瞬間、空気の圧力が唐突に振動した。
屍々子が拳を握る。
「爆ぜろ!」
───ボンッ!
空気が弾ける。
男の横顔を擦った衝撃が、境内の砂を吹き飛ばす。
「ぐおッ!」
その風圧で、男は宙を舞う。
隠れていた場所から放り出された。
──まずい! 早く同化しねぇと!
男の身体に妖気が纏い始め、地面へ着地するその刹那──
───ザッ。
すぐ隣で足音。
聞き覚えのある声が、低く、冷たく男の耳に刺さる。
「よぉ、お帰り。そして──」
空気の圧縮音。
───ブゥゥゥン。
「──おやすみ!!」
男の顔面に激しい衝撃。
ッ ───ドッ!!
渾身の力で放つ屍々子の拳。
空気圧が放出された閃光が、男の顔面を撃つ。
男の身体が拝殿の扉を突き破り、中に沈んだ。
しばしの静寂。
屍々子は、拳を見下ろす。
まだ妖気が立っている。
屍々子は空を見上げ、ため息を吐く。
「あー、アタシ死んだのか」
いろいろと思うことはある。
だが、不思議と自分が死んだことに悲しさは感じなかった。
自分が死ぬ事よりも、
自分の好きな人たちが、自分の前から消えていく方が嫌だ。
「どうせ家帰っても誰もいねぇしな。それよりも……」
しゃがみ込み、右手で頭を掻く。
「はー、これからどうしよ。
てか制服! こんなんボロボロで出歩けないじゃん! 血とかめっちゃ付いてるし!」
その時。
「女子高生がそんなんポーズしとったら、アカンで」
鳥居の方から透き通る様な声。
黒に青の光を落としたような長い髪。
そしてポニーテール。
白いワンピースが、月の光を受けて柔らかく揺れた。
「見えてんで、パンツ」
女は微笑んだ。
──少女屍々子は、
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