第39話

 Vtuber "You"第2のオリジナルソング『Because of you』は、夏休みの終わり頃に配信が始まった。


 デビュー曲『Rebirth』は、攻撃的で扇情的な楽曲だった。世間の常識と相容れないはみ出し者が、音楽界に殴り込みをかけるかのような、挑戦状を叩きつけるかのような楽曲だった。聴く者を挑発するかのようなキーボードの速弾き、ジェットコースターの様に乱高下する旋律。


 このバラードは真逆だった。ピアノとストリングスだけのシンプルな構成。その静寂な音空間の中で、優の歌声が雪解け水の如く清冽に響き渡る。聴く者の胸に深く沁み入り、心の澱を浄化する、癒しの歌だった。


 配信後の反響は爆発的というよりも、浸透的だった。社会現象に近いバズを生んだ、あんなにも熱く激しい曲を歌った "You"が、こんなにも静謐な歌を歌うのか、と。そのギャップが "You"という歌い手に、無限の奥行きを与えていた。


『激しい曲だけじゃないんだ。こんなに、優しい歌が歌えるなんて』

『聴いているだけなのに、理由もなく涙が出てくる。癒されるって、こういうことか』

『"You"はただのVtuberじゃない。生身の人間よりも人間臭い、心のこもった歌を聴かせてくれる』


 SNSのタイムラインは、感激の言葉で埋め尽くされた。その歌声は国境を超え、言葉の壁を超え、痛みと悩みに寄り添う。優が防音室で紡いだ"Because of you(あなたがいたから)"という想いは、世界中へ届けられた。


 そんな折、松田から新たな提案が舞い込んだ。いつものオンラインミーティングの画面越しに、彼女は切り出した。


「ユウ君。……一度だけ、リスナーと『お喋り』をしてみない?」


「お喋り……ですか?」


「そう。雑談枠のライブ配信。事前募集した質問に答えたり、リアルタイムのコメントに反応したりするの」


 優は戸惑った。"You"としての活動は、音楽に限定する約束だったはず。


「もちろん、約束は覚えているわ。でもね、今、"You"と話したい、どんな人柄なのかを知りたいってリクエストが殺到しているの。"You"が神秘のベールに包まれすぎていると、要らぬ憶測が生まれかねない。……それと」


 松田は、少し言い淀んだ後、真剣な眼差しで優を見つめた。


「もし受けてくれるなら、お願いがある。……普段、私や周りの人に話しているような、低く押し殺した声じゃなくて。『ありのまま』の、その高くて綺麗な声で話してほしい」


 松田の依頼に、優の胸はどきん、と跳ねた。日常の優を檻に閉じ込める、コンプレックスの源である「声」。歌うなら、その声は翼となる。しかし、その男性とは思えない声で「お喋り」することへの恐怖と抵抗感は、いまだに根深かった。


「……それは、君自身のためでもあると思う」


 松田の声は優しい。


「もしできるなら、だけど……君の声を、歌だけじゃなくて、会話という『日常』の中でも受け入れてほしいの。君のその声は、決して恥ずかしくなんかない。世界中の人が愛してくれる、素敵な個性なんだから」


 優は、膝の上で拳を握りしめた。足がすくむ様な感覚に襲われる。


 けれど、松田の言う通りだとも思う。この声をありのままに肯定することができたなら。それはずっと憧れ続けながらも、叶わないと思っていたことだ。もしできるのなら、そう成りたい。そう在りたい。


 優は、自分を奮い立たせた。

 "You"というデジタルな器を借りて、ありのままの声で語ってみよう、と。


「……やってみます。僕の、ありのままの声で」


 数日後の夜。優は自宅の防音室で、マイクに向かっていた。画面には、3Dアバターの"You"が、緊張した面持ちで佇んでいる。同時接続者数は、開始前から数万人を超えていた。


「……こんばんは。……"You"です」


 第一声。その響きは女性の様でいて、幼い少年の様でいて、そのどれでもない。聴く者を魅了してやまない奇跡の歌を紡ぐ、朝比奈 優本来の声だった。男性の声を演じようと、無理に低くした声ではない。優が本来持っている、ありのままの声。


「今日は、歌うんじゃなくて……皆さんとお話ししたくて、このお時間を頂きました。……正直、歌う時よりも緊張していて……上手く話せるかわかりませんが、よろしくお願いします」


 優は、運営スタッフがピックアップしてくれた質問カードを、一枚ずつ読み上げていった。


『好きな食べ物はなんですか?』

「ええと……父が作るカレーです。大きめのお肉が、たっぷり、ごろごろと入ってます。あ、でも最近は、友達と食べたファミレスのイチゴパフェも美味しかったかな」


『休日は何をしていますか?』

「基本的には、ずっと歌っています。歌うのが好きだから。……あとは……友達に教えてもらって、映画を見に行ったりもしました」


 優の語り口は、歌っている時の圧倒的なカリスマ性とは程遠い、辿々しいものだった。敬語が変になったり、言葉に詰まったり、コメントの流れの速さに目を回したり。優のあどけない表情は、高精度モーションキャプチャーにより"You"が忠実に再現する。その「素」の声や表情が、ファンの心を鷲掴みにした。


『歌う時は天使みたいなのに、喋ると普通の男の子だ!』

『パフェ食べてる"You"……はぁ、想像するだけで尊いよぉ』

『もうダメ、死ぬ! ギャップが可愛い過ぎて死ぬ!』


 恐れていた「気持ち悪い」という反応は、優が見ている限り、1つもなかった。流れるコメントは温かく、優の不器用さを愛おしむような言葉で溢れていた。優は次第に肩の力が抜け、自然な笑い声も漏れるようになっていった。


 一時間の配信は、あっという間だった。


「……今日は、本当にありがとうございました。すごく、楽しかったです」


 優が心からの感謝を伝えて配信を切ると、どっと心地よい疲れが押し寄せた。

 直後、松田から電話がかかってきた。


「お疲れ様、ユウ君! すごく良かったわよ。君の『ありのまま』が伝わる、最高の配信だった」


 松田の声は弾んでいた。


「……ありがとうございます。でも、松田さん」


 胸の内に芽生えた、小さな疑念を口にする。


「本当に、あんなに好意的なコメントばかりだったんでしょうか? ……質問も、あんなに優しいものばかりだったんでしょうか」


 一瞬の沈黙。松田の呼吸が変わる。


「……そっか。気づいてた?」


 松田の声から、明るさが消えた。


「実はね、運営側で厳重に監視してたの。配信中、ずっと。心ない発言や悪意のある質問はシャットアウトしてた。……君を守るためにね」


「やっぱり……」


「君を応援してくれる人が大勢いるのは事実よ。ただ……そうではない人がいるのも、また事実」


 松田は、言葉を選びながら続けた。


「これは、ユウ君が見なくてもいいものよ。知らなくていい事。……でも、もし見たいというなら、止めない。フィルターを通していない、生のログを送ることもできる。……どうする?」


 優は、迷わなかった。


「……見せてください。僕に向けられた言葉なら、良いものも、悪いものも、全部知っておきたいんです」


 送られてきたログファイルを開いた優は、息を呑んだ。そこには、配信中には目にしなかった、どす黒い感情が渦巻いていた。


『男のくせに、女みたいな声で気持ち悪い。生理的に無理だわ』

『去勢したことを売りにして金稼ぎか? 見世物小屋だな』

『オカマがVtuberになってアイドル気取り? 調子に乗るな』


 鋭利な刃物のような言葉の数々。優のコンプレックスを正確に突き刺し、抉るような悪意。

 読んで、傷つかないはずがない。

 心臓が早鐘を打ち、指先が冷たくなるのを感じた。


 けれど、以前のように悪意に打ちのめされ、眠れぬ夜を過ごすことはなかった。 優は、静かに画面をスクロールし続けた。


(……ああ、やっぱり。こういう人たちは、「いる」んだ)


 それは、静かな受容だった。


 世界中の、すべての人と分かり合うことはできない。自分が存在すること自体を、疎ましく思う人もいる。

 それは、この世界で自分が「何者か」に成ったことの証。


 ふと、梨花の言葉を思い出した。


 『そういう人たちは、心が寒くて、寂しくて、どうしようもないんだよ』


 画面に映る罵倒は、まるで悲鳴だ。彼ら・彼女らの生きる『リアル』での、悩みや傷跡。その痛みをネットの誰かにぶつけて癒そうとする。

 そんな、悲痛な叫び声に聞こえた。


 優は深く息を吐き、スマートフォンを閉じた。胸が痛み、心臓が冷たい。だが、その冷たさを知ったからこそ、ファンの声援が愛おしく感じらる。


 ――これが、僕の生きる世界なんだ。分かり合える暖かさがあって、分かり合えない冷たさがあって。

 ――どちらも受け入れて、明日も歌ってゆくんだ。


 暖かい声援を浴びて。冷たい悪意と向き合って。

 何者でもなかった朝比奈 優という少年は、何者かに成ってゆくのだった。

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