第38話
その翌日。
優は自室の防音室に籠り、松田とのオンラインミーティングに臨んでいた。画面の向こうの松田は、冷静なプロデューサーの顔だ。
「……というわけで、昨夜のプロモーションは大成功。認知度は計画通り、いや計画以上に向上したわ。そこで、次の展開について共有しておきたいの」
松田は手元の資料に目を落としながら、淡々と語り出した。
「作曲家の佐伯先生から、今朝早くに連絡があった。オリジナルソングの第二弾が、書き上がったそうよ」
優は、画面を見つめたまま小さく頷いた。
「第二弾のタイトルは、『Because of you』。……デビュー曲の『Rebirth』は、ユウ君の潜在能力を見せつけるための、攻撃的で扇動的な楽曲だった。でも、次は違う」
松田の声色が、少しだけ柔らかくなる。
「今度は、ユウ君の持つ、繊細な表現力を極限まで活かし切るバラード。テーマは『感謝』。自分を支えてきてくれた全ての人へ、感謝と愛を歌う曲。佐伯先生いわく、『この子の声なら、聴く人の心の壁を、内側から溶かせる』そうよ」
今後のレコーディングスケジュール、ミュージックビデオの制作予定、配信のタイミング。松田の説明は淀みなく続いた。しかし、優の返事は次第に「はい」「わかりました」という、短く生気のないものになっていった。
一通りの説明を終えた松田は、ふと言葉を切った。画面越しに、優をじっと見据える。
「……ユウ君。私の説明、ちゃんと聞いてた?」
優は、びくりと肩を震わせた。
「は、はい。聞いてました。次の曲、頑張ります」
「嘘ね。上の空だったわ」
松田は深いため息をつき、優を問い正す。
「顔色が悪いわよ。目の下に隈もできてる。……何かあったのなら、話しなさい」
優は視線を逸らした。言いたくなかった。しかし、松田の鋭い眼差しからは逃げられそうになかった。優は観念し、ポツリポツリと打ち明けた。
「ネットの反応を、見てしまったんです。デビュー曲の感想とか、昨日のライブの評判とか……」
「……それで、誹謗中傷を目にしたのね?」
「……はい」
優は唇を噛んだ。
「僕の過去の配信の切り抜きが出回っていて……。言葉にしたくないような、酷い言葉で溢れていて……。頭では、分かっているんです。そんなの気にしちゃいけないって。でも、言葉が刺さって、抜けなくて……」
ノートPCに映っていた松田は、天井を仰いだ。
「はぁ……。あれほど言ったでしょう? エゴサーチはするな、って。近頃のネットの海は毒が強くて、サーフィンには向かないのよ」
松田は姿勢を正し、事務的な口調で続けた。
「いい? Vtuberが誹謗中傷に晒されるのは、残念だけどよくあることなの。これに関しては、確立された対処法――ベストプラクティスがあるから、すぐに実践しなさい。ミュートワードを設定して物理的に目に入らないようにする。悪質なものは即座にブロック。もしも殺傷予告や度を超えた名誉毀損があれば、うちの法務部がIPアドレスを開示請求して、淡々と法的措置をとる。君が心を痛めて反応する必要なんて、1ミリもないの」
それは前にも聞かされた、教科書通りの対応策だった。優は無言で頷くしかなかった。そんなことは、分かっている。分かっていても、心がついていかないのだ。
優のそんな心中を察したのか、松田の声色がふと変わった。ビジネスライクな冷たさが消え、年長者が若者を諭すような、静かな響きを帯びた。
「……ユウ君。厳しい言い方かもしれないけど、聞いて」
松田は、画面の向こうの優の目を、真っ直ぐに見つめた。
「これは、君が本当の意味で『ありのままの自分』でいるための、必要な通過儀礼なのかもしれない」
「……通過、儀礼?」
「そう。これまで君は、とても暖かくて優しい人たちに囲まれてきた。ご両親、学校の友人、先生方。その人たちのおかげで、君は守られ、素晴らしい才能を開花させられた。とても幸運で、ありがたいことだと思う」
松田は言葉を選びながら続ける。
「でもね、一歩社会に出れば、そんな人たちばかりじゃない。特に、君が有名になればなるほど、君が『何者』かに成れば成る程……君のことを受け入れない人、分かり合えない人は、どうしても出てくる。それは、避けられないことなの」
優は、息を呑んだ。
「世の中には、理不尽な悪意がある。君がどれだけ誠実でも、どれだけ良い歌を歌っても、石を投げてくる人は必ずいる。……でもね、優君。そんな中でも、自分を保っていられて、初めて『自分自身』でいられるんだと思う」
「誰かに肯定されるから自分を好きになるんじゃない。誰に否定されても、『自分は自分だ』と言える強さを持つこと。それが、ユウ君が目指すべき『ありのまま』なんじゃないかな」
松田の言葉は、優の胸に染み入るようだった。
「それにね、人間の脳って、不便にできているの」
松田は、少し笑う。
「人間は、肯定的な意見よりも、否定的な意見を10倍は重く受け止める生き物らしいわ。たった1つの悪口が、10個の賞賛を消し去ってしまう。生存本能みたいなものね。だから、意識的に『良い言葉』を取りにいかないと、心はすぐにバランスを崩してしまうの」
そう言って、松田は優に宿題を課した。
「だから、君の歌で救われた、癒された、楽しかった、って意見を、意識してたくさん読みなさい。アンチの言葉の10倍、ファンの言葉を浴びなさい。それが、プロとして長く戦い続けるための、唯一の処方箋だから」
ミーティングが終わり、通信が切断された後も、優はしばらく呆然としていた。 松田の言葉は正論だった。頭では理解できる。しかし、沈んだ心を浮上させるには、まだ何かが足りない気がした。
その時、スマートフォンが短く振動した。梨花からのメッセージだった。
『ユウ君、お疲れ様! 相変わらず、すごい人気だね!』
相変わらずの明るい文面に、優は少しだけ救われた気持ちになる。続けて、何枚もの画像が送られてきた。
『ネットを見てたら、嬉しくなっちゃって。ユウ君の歌に感動した!凄かった!って言ってくれた人たちの声を、集めてみたよ!』
それは、SNS上のコメントのスクリーンショットだった。
『"You"の歌声を聴いて、鳥肌が止まらなかった。明日からまた頑張ろうって思えた』
『辛いことがあって、学校に行けなくなっていた。でも、この歌を聴いて、明日は行こうと思った』
『Rebirth、最高でした。私の人生も、変えてくれる気がする』
最後に、梨花のメッセージが添えられていた。
『こういうのをたくさん読むのが良いらしいよ。心の栄養になるんだって! 読んでみて!』
優は、はっとした。梨花は、松田の言っていたことを、そのまま実践してくれていたのだ。
優は、送られてきた画像を一枚一枚、丁寧に拡大して読んだ。そこには、悪意など入り込む隙間のない、純粋な感動と感謝の言葉が溢れていた。顔も知らない誰かが、優の歌を受け取り、心を動かし、生きる力に変えてくれている。
その事実が、優の冷え切っていた心に、じんわりと染み渡っていく。1つの悪意に目を奪われて、100の善意を見落としていた自分に気づく。
――届いている。僕の歌は、ちゃんと、届くべき人に届いているんだ。
優はスマホを胸に抱きしめ、深く息を吐いた。次の曲、『Because of you』。――あなたがいたから。
その曲を誰のために歌うべきか、優にはもう、はっきりと分かっていた。
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