第40話

 街路樹の銀杏が黄金色に染まる十一月。ステラ・プロモーションのオフィスに、一通のオファーが届いた。

 それは、日本で音楽に携わる者なら誰もが夢見る、最高の舞台への招待状だった。


 松田は、震える手でその書類をデスクに置くと、優を緊急で呼び出した。放課後、制服姿のままオフィスに駆けつけた優に、松田は興奮を隠しきれない様子で切り出した。


「ユウ君! ……ついに、来たわよ!」


 松田の瞳は、かつてないほどの輝きを放っていた。


「NHKから、正式なオファーが来た! 『第××回 NHK紅白歌合戦』への出場依頼よ!」


 優は、言葉を失った。


 昨年の大晦日、慎二の家で眺めていた煌びやかな舞台。初詣の賽銭箱の前で、願ったこと。「あの影絵のアーティストのように、何者かになれますように」と。その願いが、一年も経たずに、現実として目の前に提示されている。


「理由は明確。第一弾『Rebirth』と第二弾『Because of you』の、社会現象とも言える爆発的なヒット。そして……第二弾のバラードが持つ、一年の締めくくりに相応しい、癒しの力が評価されたの」


 松田は、オファーに添えられた制作統括からのメッセージを読み上げた。


『今年は、従来の歌手の枠組みを超え、多様なアーティストに参加していただきたいと考えています。Vtuberというデジタルな存在にも関わらず、これほどまでに生々しく、人間的な、魂の叫びのような歌声を聴かせるアーティストは、過去に例がありません。"You"さんの歌声で、日本中の視聴者の心を震わせてほしいのです』


 読み終えた松田は、誇らしげに微笑んだ。


「……自慢じゃないけど、私の狙い通りになった。デジタルなアバターと、リスナーを揺さぶるようなユウ君の歌声。その組み合わせは、全く新しいコンテンツになって、現代人の心に刺さると思ってた。あと、正直に言うとね……第二弾にバラードを持ってきたのも、リリースのタイミングも、この紅白の舞台を狙ってたのよ」


 優は呆然として、松田の深謀遠慮に圧倒されていた。彼女には最初から、この景色が見えていたのだ。


「……すごいです、松田さん。夢みたいで、信じられない」


 優の反応を確かめると、松田の表情から、ふと笑みが消えた。彼女は姿勢を正し、真剣な眼差しで優を見据えた。


「でもね、ユウ君。喜んでばかりはいられない。……貴方に『覚悟』があるか、問わないといけない」


 室内の空気が、張り詰める。


「紅白歌合戦は、ただの音楽番組じゃない。老若男女、日本中の数千万人が視聴する、巨大な国民的行事だから。ネットを見ない層や、Vtuberなんて言葉さえ知らない人たちも、君を目にすることになる」


 松田の声は、低く、重かった。


「知名度が爆発的に上がるということは、それだけ、君を理解しない人間も増えるということ。ネットのコメント欄なんて比じゃない。世間の冷たさ、無理解、残酷な好奇の目……それらが、津波のように押し寄せてくるかもしれない」


 松田は、あえて厳しい言葉を続けた。


「『男のくせに女みたいな声だ』『デジタル人形が歌うな』……そんな心ない言葉が、お茶の間で交わされるかもしれない。君は、それに耐えられる? その冷たさを、受け入れる覚悟はある?」


 優は、拳を握りしめた。ファンと「お喋り」したあの日、松田に見せて貰った剥き出しの悪意。その痛みと冷たさを思い出す。あれ以上のものが、日本中のお茶の間から、自分に向けられる。そう想像すると、足がすくむ様な恐怖に襲われた。


「……少し、考えさせてください」


 優は、その場で即答することはできなかった。


 その夜。優は自室に一人、籠っていた。紅白歌合戦への出場という、夢のような機会。浴びせられるかもしれない、無数の悪意。その舞台に立つための揺るぎない意志が欲しくて、手掛かりを求めていた。手の内で、スマートフォンの画面が光っている。検索ワードを入れて結果を見て、ブラウザバックして、また検索し直して。


 『紅白歌合戦 出場者 その後』 『紅白 歴代 失敗』 『NHK紅白 Vtuber アンチ』


 いくつかの検索ワードを試したのちに、あるリスナーの呟きを思い出した。


 それは、梨花と行った一度きりのライブ配信で、コメント欄に残された「現代に甦ったカストラート」という言葉だった。「カストラート」という存在は、この身体と無関係に思えない。優はwikipediaで「カストラート」のページを開き、歴史に消えた去勢歌手たちの生涯、歌声、社会的地位について調べた。


 去勢手術と引き換えに得た、この世で最も美しいとされた歌声。彼らはバロック時代の欧州で絶大な人気を誇り、富と名声を得た。しかし、その一方で社会的には異端視され、孤独な生涯を送った者も多かったという。


 スクロールする指が、ある伝説の前で止まった。十八世紀に実在した、最も偉大なカストラート。ファリネッリの逸話だ。


 ――絶頂期にオペラの舞台を引退した彼は、スペイン国王フェリペ五世に仕えた。当時、国王は重度の躁鬱に苦しみ、国政もままならない状態だった。ファリネッリは、毎晩国王の枕元で歌い続けた。彼の清らかな歌声だけが、狂気に蝕まれた国王の心を鎮め、癒すことができたという。彼は二十年以上にわたり、ただ一人の孤独な王のために、その歌声を捧げたのだ。


 優は、画面から目を離し、天井を見上げた。


(……心を病んだ王様を、癒すために歌った)


 癒すために、歌った。

 

 奇しくも、紅白でオファーを受けた『Because of you』もまた、癒しの歌だった。優の脳裏に、旋律が流れる。『大切なあなた』への感謝を歌う、癒しのバラード。


 優は思索する。


 ――もしも、僕の歌で誰かを癒せるとしたら。数千万人が聴くあの紅白の場で、僕が歌えるとしたら。

 ――僕は、誰のために歌うべきだろうか。誰に、癒しを届けるべきだろうか。


 思索を巡らせた果てに思い浮かんだのは、応援してくれるファンの姿ではなかった。


 その、真逆だった。


 心無い言葉を浴びせてきた、世界の悪意。寒い心の、寂しい者たち。相容れないとしても、分かり合えないとしても。紅白歌合戦という場を借りて、一度だけでも、歌を届けられるとしたら。ほんの少しでも、彼ら・彼女らに癒すことができたなら。


 (……その時、僕はきっと、僕自身を、本当に好きになれる気がする)


 優は、深く息を吸い込んだ。

 胸の奥にあった恐怖が、静かな決意に塗り替えられてゆくのを感じた。


 翌日、優は松田に連絡を入れた。


「松田さん。……紅白の件、お受けします」


 電話越しの声は静かだが、揺るぎない意志が宿っていた。


「僕のことを悪く言う人は、たくさんいると思います。……でも、そんな人たちのためにこそ、歌いたいんです」

「松田さん、前に言ってましたよね。僕は、もっと僕自身を好きになるべきだ、って。紅白で歌って、そんな人達を少しでも癒せたら……多分僕は、僕を好きになれる気がします。僕自身のためにも、あの舞台に立ちたいです」

 

 松田は、受話器の向こうで、しばらく沈黙していた。やがて、感極まったような、震える声が聞こえてきた。


「……わかった。ありがとう、ユウ君。……最高のステージにしましょう。私も、全力でサポートするから」


「はい。よろしくお願いします」


 電話を切った優は、窓の外を見上げた。冬の訪れを感じる寒々しい曇り空の向こうに、微かな光が差しているように見えた。


 大晦日の紅白歌合戦まで、あと一ヶ月と少し。

 癒すべき者を癒すために。

 

 令和のカストラートは、舞台に立つ準備を始めた。

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