14.翻意


 レイリーリャは自らの身支度を行い、ハイリアルの着替えの準備など朝の作業を行う。これを行う身体は軽く弾むように軽かった。しかし、これからの身の振り方を思ってしまうと心が重く沈んでしまう。



……館に戻れば、襲われるような恐い思いはもうしないで済む。けど……



 ハイリアルに付いて行かずに館に戻る。

 こうした後の自分がどうなるのか。

 周囲の反応と自らの気持ち、これらを想像すると、相変わらず悪い予想しか思いつかなかった。一夜明けても変わらなかった。



 起床と朝の準備でハイリアルと顔を見合わせた時に、レイリーリャは挨拶を含めた必要最小限の会話しか行えなかった。

 苛立ちか何かを抑え堪えているような彼の表情も、昨日と変わらなかった。


 彼女はこれから自らが怒られ責められそうになる怖さを感じ、話しかける事に躊躇した。そして彼に目も合わさず俯いて作業を行うのだった。



 朝食時も変わらなかった。

 ハイリアルは朝食を食べる間もいつも通り無言であった。

 レイリーリャも呼ばれたら答えるだけで、ただ黙っていた。


 彼女は黙々と食事を摂る彼の姿を見つめている。



……このまま館に戻るまで、ハイリアルさまに責められないですむのかな?……



 レイリーリャはふと思った。そう思った瞬間に両肩に乗せられていた重荷が取れ、軽くなったように感じる。



―――もう大丈夫。責められない。ハイリアルさまは甘くヌルい、おめでたい人だから怒らない。



 その心の中に彼を軽視する言葉が浮かんだ瞬間、自らに対して驚き戸惑いを覚えた。

 そして心の中で否定する。



…………ハイリアルさまは甘くてヌルい、おめでたい人なんかじゃない。部下思いのいい主人よ。こんなメイドの私を許してくれるんだから。



 自ら思った事に対して反駁しながら、自分自身に対して見苦しい物を避けるように厭わしく感じた。



…………それにしても、わたしって、ハイリアルさまの思いやりを嘲笑うような、浅ましい事を思うオンナなのね…………。


 しっかも、ハイリアルさまの身体の事を考えずに、自分自身の心配しかしてないし……。



 忌まわしい物を直視するのを避けるように、嫌そうに顔をしかめ横に俯く。



 立って控えるレイリーリャの目の前を蝿が飛ぶ。空いているテーブルの上に止まると両前足を擦り合わせた。そして再び羽音を鳴らして飛ぶと、何度も窓のガラスにぶつかりコツコツと音を立て続けている。


 ハイリアルは彼女からどう観られようが全く関係ないように、黙々と朝食を食べ続けている。



 ハイリアルの食事が終わり、レイリーリャは自らの分の朝食を食べていた。この日の朝食は幾種類もの根菜が煮込まれたスープとパンであった。



…………やっぱり、ハイリアルさまに付いて行くのは、怖いよね。何度も何度も思ってるけど。魔物に襲われるの嫌だよね。



 レイリーリャはパンをスープに浸して味を付けつつ、これからの事を考えていた。

 しかしどのような行動をしようが、何かしら辛く嫌な思いをせざるを得ず、避ける手段は全く思いつかなかった。


 いくら考えても今まで思った事の繰り返しにしかならず、一夜明けても相変わらず堂々巡りであった。



……だけど、このまま館に戻って良いのかなぁ……。

 館に戻ったら、本当に冷たい上に恩知らずで浅ましいオンナじゃないの。嫌だなぁ。



 スープを吸わせたパンを咥える。

 口に含まれ噛むと、パンから野菜の甘みが少し混ざった塩味が舌に拡がる。



…………館の人達に、ハイリアルさまに付いて行かずにノコノコと帰ってきた、恩知らずなオンナだなんて悪口言われたくないなぁ。やっぱり。



 口の中にあったパンを飲み込む。口の中に塩気が残る。



…………何かあったら、仕事が遅い。さっさとしな。雑過ぎ。丁寧にしなさい……だなんて、副メイド長に文句言われるのかな。



 迷惑している表情を装いつつ、責める悦びが口許からこぼれている副メイド長の顔を想起する。


 彼女は自らの言動等を正しいという理由付けをその場で出来なかった為に、その反論が出来ず、表に出せない苛立ちが甦る。



……そんで、『獣族みたいに野蛮な種族だから、仕事覚えられないのよ。孤児院出身だから、行儀作法が全くなっていない振る舞いしか出来ないのよ。』……だなんて、館のあの人達が言いそうね。



 先輩や同輩のメイド達が固まって、彼女の陰口を言い合う様子を想起する。過去にその様子が目に入る度に忌ま忌ましさを繰り返し感じた事が甦る。そう感じる事にうんざりし、顔を横に背け犬歯を噛み締める力が籠もる。



…………その癖、わたしがいないと仕事が困るようだし…………何なんだろうね。あの人達……。



 彼女は館の執事に直接頼まれた業務を終えて持ち場に戻った時に見た、副メイド長と他のメイド達の狼狽ぶりを思い出す。


 館で必要とされる業務量に対して使用人の数が不足していた。


 溜息をつくと、匙に取ったスープを口に流し込んだ。舌の上に根菜の甘みが拡がる。



…………本当に館に戻った方が良いのかな。魔物に襲われている間は怖いけど…………。



 レイリーリャは顔を上げる。食堂内の他のテーブルに冒険者や商人、旅人などが数人座っている。彼等は彼女を気にする事など無く、食事を摂ったり茶を飲んでくつろいだりしている。


 彼女の目の前で蝿が羽音を立て弧を描くと、スープが入ったボウルの向こうに止まった。そして頭を横に動かし、付いた汚れをなすりつけるように両前足を擦り合わせた。

 それを見てレイリーリャは忌々しそうに手の甲で払いのけた。


 蝿は羽音を立てガラス窓に向かって飛んでいく。

 そこから外に出る事が出来ないにもかかわらず、またガラスにぶつかる度にコツコツ音を立て続けている。



 自らの食事が終わると、レイリーリャはハイリアルが宿泊した部屋で後片付けと、彼の出発する準備を行った。それが終わると自分が泊まった部屋に戻り、自らが出発する準備を行った。


 部屋のガラス窓を風が何度も叩きつけ、その度に枠ががたつき音を立てる。



 レイリーリャがそれらを終えると、宿を出て自らが乗る馬を厩舎から牽く。

 馬を連れ出し宿の玄関前に行くと、既にハイリアルは先に出発の準備を終えて、自分の荷物を結わえた愛馬の側で待っていた。


 風は道の上を沿うように通り抜け、彼の右頬を吹き付ける。上に立たせた髪が風に靡く。



「……今日の風は冷えるな……。」



 彼は風上に当たる宿の向かい側を眺めながら、そう独り事を呟く。


 その先には山腹が雪に覆われたデサジスラローン山脈が連なり、その白い斜面からは落葉した木々の暗褐色した幹や枝を曝け出している。



 レイリーリャはズゼルーマーを停め、その背の両脇に荷物をロープで結わえ始める。


 ハイリアルはその彼女の姿が目に入ると、ちらっと顔を向けた。そして再び顔の向きを戻し、山脈がそびえる方を眺める。

 しかしその目は山脈ではなく、考え事をするように、自らの正面の空間に焦点が合っているようだった。



「…………まぁ、仕方ないか……。」



 その呟く声は小さく、本意を呑み込むようであった。


 彼女は作業に追われながら自分の世界に没頭している。

 ハイリアルの呟きはその耳まで届かない。




 レイリーリャの出発する準備が終わった。

 彼女をズゼロスコエ伯爵邸に帰す為に、それが建てられている領都に向かって出発する事になった。


 彼女は俯き、彼と目が合っていなかった。

 不安と緊張に心を囚われていた。

 これからどういった内容の説明で伝えれば怒らせずに済むか、頭の中で捻り出そうとし、思い悩みながら考え続けている。


 彼も彼女と目を合わせていない。眉間に皺を寄せ堪えるような険しい表情をしている。


 互いの想いは互いの視界に入っていない。



「……これから館に戻る。今日は今まで通った道を逆に戻り、昨日泊まった町の宿まで行く。」



 ハイリアルは言い終わると同時に振り返る。そして居辛い所から離れるように愛馬へと向かった。



「……ハイリアル様、待って下さい。」



 レイリーリャは彼に縋るように歩み寄った。しかし彼が振り返ると、思わず竦んで立ち止まってしまった。着ている外套の下で尻尾が力なく丸まってしまう。

 それでも身体の内にある勇気を振り絞るように身体に力を込め、言葉を口から出した。



「……わ、わたし、館に戻るの、止めます。」



 彼女はその険しい顔を見て内心怯えた。前言を反故にして彼を振り回す事になってしまい怒られはしないか、そういう怖れもあった。



「……私もハイリアル様に附いて行きます……。」



 ハイリアルは表情が変わらずレイリーリャの顔を凝視し黙っている。



「……あらためて考え直してみましたが、わたしが館に戻ってしまったら、ハイリアルさまのみゃ支度みじたくや日常のお世話とかをする人がいなくにゃって、ハイリアルさまも大変だと思いみゃすし、もしお身体の調子が悪くにゃってしまった時にゃれだれも付き添う人がいにゃいと、ハイリアルさまも辛く大変な事ににゃってしみゃった時にどうなってしみゃうのか解りませんし、わたしのみゃ勝手みがってな思いでハイリアルさみゃにご迷惑をかけてしみゃうのは心苦しいですし、それに―――。」



 彼女は上辺を繕うように一心不乱に喋り続ける。いつもなら余り出ない猫族訛りも出てしまうが、それに気を付ける余裕も無い。

 彼に心の奥底を覗かれ、見透かされてしまうようで不安であった。


 彼自身の、その身体への心配が、前言を翻してこの旅に従い続ける事の、主要な本心からの要因になっていない事を、彼に悟られる事を恐れている。



「…………もう良い。…………本当に良いんだな。」



 ハイリアルはレイリーリャに問い掛ける。

 据わった声の調子であった。

 魔法で敵を狙い狙撃する時のような目つきで彼女の目を凝視する。



「―――ンッ。…………はい。かみゃいかまいません……。」



 彼女は息を呑む。内心動揺し戦慄しつつも、取り繕って応える。

 背中と尻尾が竦み上がり小さくなっているが、全く自覚していない。

 意識しようとする余裕などない。


 彼は何も言わず彼女を凝視し続ける。


 二人が立つ間に風が吹き彼女が着る外套が風に靡かれる。



「…………まぁいい。付いてこい。」



 ハイリアルは振り向いた顔を正面に戻すと、愛馬の鐙に足を掛けその背中に跨がった。



「……ハイリアル様、有難う御座います。」



 レイリーリャは礼を述べた。緊迫感が無くなり脱力し座り込みそうになるが、堪えて平静さを装った。

 自らの思いに囚われ、彼の態度を見てそれについて意識する事はなかった。



 ズゼルーマーは荷物を両脇に背負ったままこの場に留まっている。

 嫌そうに後ろを振り返り、その荷物を見つめ続ける。




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……この作者、他者評価に対して淡々としているようでも、やっぱり褒められると喜んでいるようなんです。


作者おだてりゃ 木を登り

ますます ハナシ 創りまくる

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